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美味しいのは「冷えた生酒」だけではない。火入れで旨味増す日本酒のビジネスモデル【宣伝会議 第44期 編集・ライター養成講座卒業制作優秀賞受賞作品】

この記事は、宣伝会議 第44期 編集・ライター養成講座の卒業制作として作成し、【優秀賞】を受賞した作品です。
取材にご協力くださった皆様、宣伝会議の講師・事務局の皆様、受講生の皆様、本当にありがとうございました。

美味しいのは「冷えた生酒」だけではない。火入れで旨味増す日本酒のビジネスモデル

 冷蔵庫からうやうやしく取り出された日本酒をワイングラスで飲む——。近年の飲食店の見慣れた光景である。元来日本酒は常温、または温めて楽しむものだということを知る人はいかほどであろうか。

 冷蔵庫が普及したことにより冷蔵向きの日本酒が増えた。それに伴い日本酒を冷やした状態で提供する飲食店が増え、消費者は「冷えたフレッシュな日本酒」を好むようになった。
 影響は酒屋にも及び、常温の棚に陳列されている商品より冷蔵庫に入った酒が手に取られる。常温で保存できる酒を、販促のために冷蔵推奨とする酒蔵もある。
「昨今のエネルギー事情を考えると、要冷蔵の酒を主体とした販売スタイルではいずれ逼迫する。持続可能なのは常温で保管できる日本酒です」と語るのは、奈良地酒専門店「もも太朗」店主の杉本憲司さん。

奈良地酒専門店「もも太朗」店主・杉本憲司さん

 もも太朗は80年代中頃に、奈良は法隆寺にて創業。当時はアルコールなどを添加した酒が主流だったが、客の健康を考え、混じりっ気のない純米酒を販売する店とした。
 しかし純米酒は大手の蔵ではほとんど作られておらず、地方の小さな蔵でしか作られていない。それならばと杉本さんは、県内に約60軒あった全ての蔵に直接足を運んだという。清酒発祥の地、奈良の地酒は抜群に美味しく、これからは奈良の時代が来ると確信を持った。

酒の常温保存で節電に協力

 2012年、もも太朗はJR奈良駅直結の商業施設、ビエラ奈良の2階にも店舗を展開。
 県内屈指の名酒が並ぶ中、「節電協力商品」と銘打たれた酒が目をを引く。生酒として出荷される酒を、杉本さんが蔵に依頼して火入れ(加熱処理)した酒である。

常温保存可の酒に「節電協力商品」と杉本さんが銘打った

 生酒は冷蔵が推奨されているが、加熱して火落ち菌(日本酒の品質を損なう特殊な乳酸菌の一種)を死滅させ、酵母のはたらきを止めた酒は常温で保管が可能だ。冷たい状態で飲みたい時は、飲む前に必要な分だけ小瓶に移して冷蔵庫に入れればいい。
 節電協力商品は、客に火入れ酒のメリットを伝えるきっかけとして活用されている。

「常温で保管できるお酒の割合が増えれば冷蔵設備の使用量が減る。電力消費が減れば少しでもカーボンニュートラルに貢献できる」と杉本さん。
 店頭に設置された冷蔵庫3台、冷凍庫1台を合わせると、1ヶ月の電気代は約20万円になる。冷蔵庫1台の価格は40万円から50万円ほどだ。火入れ酒をメインにすればコストも削減できる。

奈良を代表する酒蔵の酒がずらり。火入れ酒はお土産や贈り物にも適す

生酒と火入れ酒の違い

 節電協力商品の火入れは、瓶詰めした酒を瓶ごと湯煎する「瓶燗火入れ」という方法で行われる。
「せっかくの生酒なのに、火入れしたらフレッシュさが損なわれて味が落ちる」と考える人も多いだろう。しかし、火入れは味の面でもプラスに働く。
 しっかりと造られた酒は火入れして熟成させると、新酒として販売するよりも旨味が乗ってくる。最初に搾った直後の酒を生で新酒として販売し、残りは瓶詰めした後に火入れして、蔵の涼しい場所で一夏を越す。そうして熟成させた酒を「ひやおろし」として販売する蔵も多い。
 つまり節電協力商品は、秋に出荷されると同時に皆が飛びつくひやおろしと同じ性質の酒ということだ。「ひや」と冠されていることからひやおろしは要冷蔵と思われる傾向が強いが、実際には常温で保存が可能である。さらに、ひやおろしは燗上がりする酒と言われ、常温もしくは温めて飲むことでより一層旨味が感じられる。誤解を防ぐため、名称を「あきあがり」として販売する蔵もあるほどだ。

 肝心の味の変化をみる。同じ酒の新酒と火入れ酒を常温で飲み比べたところ、新酒は一口飲んだ瞬間にアルコールの刺激を鼻の奥に感じたが、火入れ酒は角が取れてまろやかになり飲みやすかった。加熱したことにより酒本来の旨味や香りが花開くように感じる。
 生酒と火入れ酒の味の違いは、自宅でも試すことができる。生酒の一部を小瓶に移して約65℃になるよう湯煎にかけ、冷ませばいい。火入れ前と後の酒を好みの温度で飲み比べてみてほしい。 

杉本さん自身が火入れした酒とその「生」。入荷した酒のテイスティングは欠かさない

「生のお酒と火入れしたお酒だったら、後者の方が飲みやすく感じる。刺身と焼き魚なら、同じ量を食べていても刺身の方が先に食べにくくなるのと同じ」と杉本さん。火入れ酒の方がおかわりが進み、杯数が増えるのではないか。火入れ酒は飲食店の売上にもプラスになるという。
 
 常温に耐える火入れ酒だが、実際には冷蔵庫で保管して冷酒として提供する飲食店が多数を占める。常温で保管していては冷酒の注文に瞬時に対応できない。冷蔵しておけば「冷や(常温)」を求められても、グラスに注いで放置すればそのうち常温に戻る。急ぎなら徳利に移して、ごく短時間だけ湯煎にかけて温度を調節することもできる。何より「冷蔵されている酒は上等」「冷蔵 = フレッシュ(生酒)」というイメージを抱く消費者が多い。消費者のニーズを満たすには、冷蔵した方が効率がいいのだ。
 ただし、日本酒は光(紫外線)を浴びると劣化が進む。また温度変化が激しい場所で保管すると品質変化の原因になる。蔵が想定するベストな状態で消費者の元に届けるため、火入れ酒も冷蔵するべきという考えもあって然りだ。

「生」と地球温暖化

 なぜ日本酒にフレッシュさが求められるようになったのだろう。この件にも地球温暖化が影響しているのではないか、と杉本さんは振り返る。
 80年代中頃のことだ。夏場は日本酒の売れ行きが鈍くなるため、大手酒造メーカーが「冷酒用」と書かれた首かけ(瓶の首部分にかける販促ツール)を使用するようになった。冷やすとより旨くなる特別な酒かと思いきや、中身は通年販売のお酒とまるきり同じだったという。
 その後、出荷前に一度だけ火入れした生貯蔵酒が出回るようになる。フレッシュな味わいを残しながらも常温輸送が可能で、夏場の日本酒訴求に繋がった。
 温暖化が進み猛暑が続くようになると、新酒と同じ生の酒を「本生」と呼称し、冷蔵して販売するようになる。
 同じ頃、熱処理した製品が主流だったビールも生に移り変わった。夏の盛りに飲食店のサーバーから注がれる生ビールの魅力には抗い難い。そのイメージにつられて「日本酒もキンキンに冷えた『生』だ」と言いたくなる気持ちも理解できる。
 生の日本酒は外部要因により品質が変化しやすく、本来は蔵で搾った瞬間にしか飲めないものだった。冷蔵設備が普及したことで、市場に流通するようになったのは前述の通りだ。
 
 生酒の魅力は生野菜のシャキッとした食感に例えられる。生野菜は鮮度が高いほど美味しい。しかし冷蔵していても鮮度は日に日に落ちていく。生酒も刻一刻と酒質が変化する。開栓した当日、2日目、3日目で味は異なる。それを劣化と捉えるか熟成捉えるか悩ましいところだが、生き物である酒そのものの味わいを楽しめるのが生酒の美点だ。

大倉本家の無濾過生原酒など。味のインパクトに負けないラベルでジャケ(酒)買いも

 無濾過生原酒は蔵の個性をダイレクトに感じることができると、日本酒愛飲家から絶大な支持を得ている。
「日本酒は搾った後に、濾過器にかけて不純物を取り除いたり、加水してアルコール度数を下げたり、加熱処理して安定した品質にしたりして出荷する。その工程を一切せずに出てきたお酒を、そのまま消費者に届けるのが無濾過生原酒。やっぱりお酒に自信がないとできない」と杉本さん。高度な技術力がなければ出荷できない無濾過生原酒は、蔵の矜持を表した酒なのだ。

生酒の管理の難しさ

 明治29年創業以来の山廃仕込みで酒を醸し続ける大倉本家の、蔵元自らの名前を冠した『大倉』シリーズは、その大半が無濾過生原酒だ。四代目蔵元・杜氏の大倉隆彦さんは、生酒の管理についてこう語る。

「酒は本来、素朴・端正を持って極上とする」を家訓とする大倉本家は明治29年創業

「生酒は雑菌汚染に弱いんです。衛生に関する設備が進歩して劣化を防ぎやすくなったけど、雑菌はどこに潜んでいるのかわからない。昔は一度使った酒の瓶を業者が回収して、洗浄して繰り返し使用していた。でも生酒を詰める瓶に少しでも雑菌が付着していると劣化する可能性が高くなるから、必ず新しい瓶を使わないといけない。瓶の消毒も入念に行う必要がある。水をかけて擦ればいいというものではない。洗剤で洗って、殺菌剤やオゾンガスをふりかけて、完全な無菌状態を作らないといけません」
 今でこそ生酒は当たり前のように売られるようになったが、リスキーな商品であることに変わりはない。

 温度が高ければ雑菌の増殖は早まる。出荷した先が常識的な管理をするとは限らない。暑い時期に生酒を安易に出荷すると、火落ち(腐造)して自主回収の憂き目にあう。酒屋に出荷するのは火入れ酒のみで、直営の店でのみ生酒を出すという蔵もある。
 ならば生酒を扱っている一般の店は「酒の知識が豊富で信頼に足る店」と蔵からお墨付きを得ていることになる。一種のステータスだ。その特別感が生酒の需要と供給を高めている一因にも思われる。

 こうした生酒の取り扱いの難しさを一手に解決するのが火入れだ。蔵が一番美味しいと判断したタイミングで殺菌し、発酵を止める。フレッシュさはなくなるが、限りなくよい状態をキープできるようになる。

醸造後も酒造りは続く

 手造りに徹し、上質な酒を醸す奈良豊澤酒造は取扱商品の99%が火入れ酒だ。

生産石高県内随一を誇る、奈良豊澤酒造

「お酒を造る技術も大切ですが、その後の火入れ作業や保管の仕方によってもお酒の品質は左右されます」と、工場長・統括マネージャーの林泰弘さんは語る。

 日本酒の酵母は原則65℃で失活されるというが、同蔵では念には念を入れ、瓶燗火入れでじわりじわりと68℃まで温度を上げるという。蔵によっては90℃まで上げて、瞬間的に温度を下げるなど独自の手法を用いることも。加熱によるたんぱく質白濁を防いだり、風味を損ねたりしないよう、酒質や設備によって微調整が加えられる。醸造後も酒造りは続くのだ。

瓶燗火入れを行う設備。酒を一升瓶に詰めて湯煎にかける

 火入れをすれば安定した状態で酒を熟成させることができる。常温(20度〜25度)で陳列して、次第に味乗りするという特性を理解し、火入れ酒をメインに仕入れる飲食店もある。冷蔵庫に入れずに済むため、在庫を常に確保しておけるのも利点だ。同じ酒の生と火入れを飲み比べできる粋な店も増えた。
 酒によって美味しく飲める温度も異なる。すべての酒を冷蔵するのではなく、それぞれの酒に適した保管方法で、料理に合わせてベストな酒の温度を提案してくれる。そんな店が理想だ。

奈良の地酒を輸出

 とはいえ、消費者が生酒を好む傾向があるのは事実である。生酒の供給が減ると、日本酒そのものの売上が減少するとも考えられるだろう。しかし常温保存が可能な酒により、市場は拡大する。そう、海外輸出だ。
 現代の日本の人口では、生産されている日本酒を全て消費できない。高齢化が進むにつれ、日本酒の消費もさらに減少すると予想される。現在酒造りを生業とする人の生活の安定を考えると、海外に目を向ける必要がある。
 杉本さんは奈良の地酒の輸出を目指している。輸出手段を持たない小さな蔵を応援したいという。

 目下の目標である東南アジアはまだ電力供給が安定しておらず、停電が起きる可能性が高い。そして暑い。並大抵のことでは劣化しない、強い酒でなければならない。
 日本酒の輸送は主に船で行われる。しかし船上の環境は過酷だ。コンテナは船の甲板に積まれるため、高温になることがある。また魚を保存する冷凍コンテナはあれども、緻密な温度管理ができる設備はそうそうない。
 1ヶ月以上税関で止められることもある。このような環境下で、繊細な生酒を理想的な状態で輸送するのは極めて難しい。

 輸送コストも課題だ。生酒は「微生物」を含む物品に分類され、少量であれば空輸が許可される。しかし輸送費は非常に高額となり、通常はビジネスとして成り立たない。生酒を輸出する会社はごく一部だ。
 火入れした酒であれば、それほど輸送時の環境を気にしなくていい。船である程度の本数を輸送することができる。

 中国やオーストラリアを始めとする数カ国に日本酒を輸出する奈良豊澤酒造の火入れ酒は、食中酒に適したバランスの良い味わいが印象的だ。

海外で人気の「無上盃」。飲みやすく杯も食事も進む

「海外では純米吟醸『無上盃』が人気です。すっきりしていて、香り高い酒が好まれる傾向にあります」と林さん。10年前と比べると、諸外国でもかなり嗜まれるようになったという。海外において日本酒の需要が高まると共に、火入れ酒の価値もますます見直されていくだろう。

火入れ即ち強制熟成の妙

「生酒の出来立ての良さというのはもちろんある。生酒は生酒であって当然いい。でも火入れ酒の良さというのも、造る側がもっと発信していかないといけない」と大倉さん。
 蔵伝承の山廃仕込みで醸す大倉本家の酒は、個性豊かで一度飲むと忘れられなくなる骨太な味わいだ。大倉さん曰く、新酒の段階よりも時間経過と共に味が深まっていくのが同蔵の酒の特徴だという。
「火入れは一瞬温度を上げる作業。温度が高くなるということは熟成するということ。温度が高ければ高いほど、熟成は進む。火入れというのは短時間の話だけど、その瞬間にも熟成は一気に始まる。火入れと生の違いはやっぱり熟成。強制熟成ですよ」

一部特約店でのみ販売の大倉本家の熟成古酒は燗つけてよし。日が経つにつれ旨くなる

 人が年齢を重ねることで魅力を増すように、日本酒も熟成で滋味を増す。生酒のフレッシュさは筆者も好むところだが、ぜひ様々な状態の酒を飲み比べて、自分の舌で確かめてみてほしい。

火入れ酒は環境負荷低減、業界の発展、顧客満足、三方良しを実現する

 今年の6月下旬は各地で記録的な暑さとなった。6月に最高気温40度台が観測されたのは史上初だ。地球温暖化は着実に進行している。そんな中電力需要の逼迫が懸念され、同年7月1日から節電要請期間が始まった。断続的に電力を消費する設備の使用量を減らさねばならない。となれば、酒屋や飲食店ができる節電対策に、冷蔵設備の使用量削減が挙げられる。火入れ酒の価値を再確認し、常温保存できる酒の取り扱いを増やしていくべきではないだろうか。

 生酒の魅力は限りない。酒を造る蔵それぞれに意図があり、酒造りも多様化している。搾りたてが美味しい繊細な酒もあれば、徐々に味乗りして旨味が増す酒もある。蔵の考え方によるものであって、優劣をつける必要はない。
 だが火入れ酒は環境負荷の低減、日本酒業界の発展、顧客満足と三方良しを実現する酒であることは間違いない。「ここから先はお客さんに選んでもらうことです」と杉本さんは語る。
 今宵は旨い酒を飲みながら、持続可能な社会の実現について、皆で語り合ってはいかがだろうか。

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