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「Z世代」について

「Z世代」というのは、1996~2014年に生まれた人々のことである。少子化の影響で人数が少ない。マーケティング的には商売としての旨味に乏しい相手だということになるらしい。

Microsoftの「Windows95」が発売されたのは95年で、NTTドコモの「iモード」がリリースされたのが99年である。その頃からパソコンとインターネット、そして携帯電話が、一般大衆に一気に普及している。つまり、「Z世代」というのは、「デジタル・ネイティブ」世代と重なる。

日本経済の趨勢を見ると、バブル崩壊が91年、銀行や証券会社が倒産したのが97年・98年頃、ITバブル崩壊が01年、リーマンショックが08年という流れになる。したがって、「Z世代」とは、「失われた30年」にどっぷりと浸かり、景気の良い時代をまるで経験していない世代でもある。

僕のようなアラカン世代は、まだ楽観的に明るい未来を信じていたところがある。少なくとも大学を卒業する時点では、大手銀行が倒産する時代が間もなく来ることになるとは想像すらしていなかった。

嘉門タツオに「明るい未来」という楽曲があるが、僕らが子どもの頃は、まさにあんな感じであった。親の世代よりも豊かになれることを誰もが些かも疑っておらず、思えば、のどかな良き時代であった。

いまの若い世代は、親たちよりも豊かな生活を送ろうと思うと、なかなか難しいのではないだろうか。昔は「一億総中流」と言われた時代もあったが、現在は「格差社会」であり、社会人としてスタートラインに立った時点で既に大きな差がついていることに気づかされる。

最近の若い人を見ていて思うことだが、僕らが若い頃よりも、世の中を醒めた目で眺めていることに気づかされる。もっと言えば、大人にも社会にもあまり多くを期待をしていないということであろうか。

一方で、大人たちは、漠然とではあるが「Z世代」に対して期待しているフシがある。それはつまり、日経の記事にあるように、<明らかに昭和生まれが築いてきた日本経済・社会は行き詰まり、閉塞感が漂う。そこで自分たちも苦しんできた年功序列、上司・先輩への忖度(そんたく)、環境破壊型の経済などをZ世代に否定してほしいとの願望もあるのだ。>ということである。

しかしながら、これはちょっとムシが良すぎるような気がするのだ。

25年には、「団塊の世代」の全ての人が75歳以上、つまり後期高齢者になる。圧倒的に頭数が多い老人たちが「勝ち逃げ」を決め込み、圧倒的に頭数が少ない若者たちに厄介なことは押しつけることになってしまう。しかも老人たちの年金、医療費、介護費用等は、若者たちの犠牲と負担によって賄われることになる。

僕は、大学を卒業して社会人になった頃、あと10年くらい早く生まれていれば良かったのにと思ったものであるが、いまの若者たちと比べたら、僕らの世代もまだまだ恵まれていたことに気づかされる。

以上のようなことを考えると、僕ら世代も含めた老人たちが、いまの若者たちにできることと言えば、できるだけ負担をかけず、邪魔をしないことである。

端的に言えば、働けるうちは頑張って働いて、働けなくなったら、さっさと早く死ぬることに尽きる。

病気になって余計な医療費を使わなくても済むように、ふだんから健康管理に気をつけて、健康寿命を維持するように努める。介護が必要な状況になったら、ジタバタせずに、早く死ねるように努める。延命措置など、とんでもないことだ。要は「ぴんぴんコロリ」である。

前にも書いたが、人口減少が問題であるというよりも、世代間の人口がアンバランスであることが問題なのである。アンバランスを可及的速やかに解消するためには、高齢者をさっさと片付けるのが最も即効性がある。

コロナ渦は、本当はわが国にとっては僥倖だったのかもしれないが、政府も厚労省もポンコツぶりを露呈させたわりに、なぜか日本人はあまりコロナでは死なない民族らしく、さほどアンバランス解消にはつながらなかったのは残念としか言いようがない。

平均寿命も健康寿命も、日本は世界のトップランクにあるようだが、平均寿命が長いことは決して喜ぶべきことではない。「平均寿命 ー 健康寿命」=「要介護期間」であるが、これはストレートに「社会的コスト」を意味する。

コスト云々もさることながら、老人が多いことは、社会の気分や空気を退嬰化させる。太平洋戦争の敗戦後、政官財の各界でそれまで仕切っていたシニア層が揃って公職追放となり、中間管理職クラスの世代が、いきなり各界のトップを務めなければならなくなったことは、結果的には社会の活性化に大いに貢献することとなった。日本が焼け跡から急速に復興できたのと大いに因果関係があると思う。

銀行員の頃、僕はひそかに取引先企業の役職員の平均年齢に着目していた。平均年齢が30代くらいまでの会社はまあ良い。会社に行っても、活気に溢れている。これが平均年齢40代半ばよりも上の会社となると、会社の姿勢そのものが守勢に回って、新しいことにチャレンジしなくなってしまう。会社に行っても、何やら空気が澱んでいるような気がする。会社から加齢臭が漂うのだ。ウソのような話だが、本当のことである。

「デジタル・ネイティブ」で、日本が落ち目でダメな時代しか知らない世代である「Z世代」は、少なくとも「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とか言って勘違いしていた老人たちの世代よりは大いに見込みがあると思う。

僕らのようなアラカンにできることは、元気なうちは一生懸命に働いて、彼らのお手伝いをして、それが難しくなったら、さっさとフェイドアウトすることである。

少なくとも、彼らの厄介者になって、ご負担をおかけするのは申し訳ない。


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