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「皮算用」について

こういうのを「皮算用」と言うのかもしれない。

原則は65歳開始である年金受給を、60~75歳の範囲で受給開始年齢を変えられることになった。仮に70歳に遅らせた場合、81歳11カ月以上長生きすれば、65歳の場合の受給総額を上回る。さらに75歳まで遅らせれば、86歳11カ月以上生きるとプラスになるのだという。

2021年の日本人の平均寿命は、男性が81.47歳で、女性が87.57歳なので、男女ともに70歳から受け取り開始で「得」になる人が多いようにみえるが、何歳まで生きられるか事前に予測するのは難しい。あくまで平均値の話である。自分が何歳まで生きられるかなんて、わかるはずもないではないか。

僕は既にアラカンだし、あと何年かすれば年金受給年齢に達する。然しながら、健康状態に支障なければ、かなりの確率で65歳以上になっても仕事をしているだろうし、別に年金を貰わないと生活できないわけでもない。そうなると、おのずから繰り下げという選択になるのだろうが、受給額の増額を狙うつもりもない。

だって、自分がいくつまで生きるかなんてわからないし、知りたいとも思わないからだ。さらに言えば、長生きを目標にしたいとは思わない。

前にも書いたが、「ぴんぴんコロリ」をめざして、結果として80歳になるのも、90歳になるのも、それは別に構わない。

だが、病気で体調が悪くて、誰かの厄介にならないと生活もままならないような状態になってまで、長生きしたいとはまったく思わない。それで年金をたくさん貰っても仕方ない。そもそも社会に対して申し訳ない。

医学というものが中途半端に発達してしまったことについては功罪相半ばすると思っている。少なくとも、医学の発達と同時に、倫理も発達すべきではなかったのか。つまり、社会正義に照らし合わせて、医学をどう運用するべきかについて、もっと議論を深めておくべきだったのではないだろうか。

コロナ渦で、病床や医療機器がひっ迫した際に、若い患者と老人の患者のどちらを救うべきかという話が話題になったことがあった。僕などは、当然、若い患者を優先すべきだと思うのだが、そういうのは命の選別だから、断じて許されないと考える人も少なくない。

でも、「体外式膜型人工肺( ECMO)」が1台しかなくて、若くて前途有望な若者と、年金を貰うしか能のない老人とどちらかしか助けられないとして、老人を助けるべきだろうか。公平にジャンケンか抽選をするべきなのか。議論するまでもないと思う。

そもそも、高齢者に無駄な延命措置を施すのは一種の虐待であるから慎むべきだと考える国もあるようだ。僕もまったく同意見である。

医療というものは、希少な社会資源のようなものであり、決して無駄遣いするべきではない。助けるべき命を優先するのは当然である。不治の病の患者や高齢者に対しては、むしろ尊厳ある死こそ相応しい。

「長生きして年金をたくさん貰って、得をしよう」と考えるのは人情として否定はしない。だが、それが目的化するのは、いかにも卑しい。新聞や雑誌も、こういう記事ばかり書いて(ニーズがあるから仕方ないのだろうが)、煽るのはやめてもらいたいと思う。

知り合いの医療関係者に前に聞いた話だが、病院に長期間にわたり入院していた90歳超の老女が危篤に陥った際に、ふだんは滅多に見舞いにも来ないガラの悪そうな家族が病院に詰めかけてきて、どんな手段を使ってでも延命させろ、死んだら病院を訴えてやると散々に恫喝したそうである。聞けば、老女の受給している年金が一家の貴重な収入源なのだとか。死なれたら大損だから必死なのであろう。

こういうのは極端な例であるが、自分の余命をあれこれ計算しつつ、年金受取額に一喜一憂しているようでは、基本的なスタンスは大して変わらない。

これは前々から思うことなのだが、年金受給者になったら、いわば社会の厄介者になるわけだから、いろいろと私権に制約を課すことを検討したらどうかと思う。

たとえば、医療費の使い方について、あれこれと注文をつける。QOLを維持するための治療は構わないが、治らない病気を無理に治そうとはしない、無駄な延命は行わないといった具合である。もしそれでもやりたいと言うのであれば、すべて健康保険の適用外、自費負担とするとか。電化製品だって、保証期限が切れたら有償でないと修繕してもらえないのではないか。

選挙権も返上してもらう。社会の厄介者なのだから、もう社会の構成員として頭数には算入しない。未成年者と同じ扱いである。頭が半分ボケた老人に投票させても意味がないし、そんなことをやっているから若者に寄り添った政策が出てこないのだ。

こういうことを普段からあちこちで言っているので、変人扱いされることになる。自分がアラカンなのにである。近いうちに、自分も社会の厄介者になるんだから、余計なことを言わない方が良いのはわかっている。

でも、少子高齢化社会というのは、社会の厄介者ばかりが増えてしまうことを意味する。勤労世代の負担はますます重くなる。いろいろと考えながら、世の中として「出口戦略」を考えないことには、閉塞感しか感じられない、若者が日本に生まれたことを後悔するような社会にしかならない。

まずは老人を少しずつ間引きすること。そして若者を増やすことである。人口が減るのは仕方がない。問題は世代間のバランスの悪さ、逆ピラミッドの世代間の人数格差を是正することである。

そのためには老人にとって、長生きすることが「カネもうけ」になるような世相をあまりに助長しすぎることは決して望ましいことではない。


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