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「聞く力」について

先ごろ、英国でエリザベス女王の国葬があったが、英国では君主以外の国葬は、議会の決議が必要とのことである。したがって、英国での国葬は、エリザベス女王の前は1965年のチャーチル元首相まで遡る。サッチャー元首相でさえ国葬ではなく、準国葬あるいは儀礼葬という扱いで、費用の一部を政府が負担するにとどまる。安倍晋三元首相の国葬を内閣で決定した日本とはえらい違いである。本来、それくらいに国葬とは重いものなのであろう。

元大阪府知事で弁護士の橋下徹は、「首相経験者は死んだら全員を国葬にするべきだ」「生前の業績や評価は一切問わない」「なぜならば議論が分かれるからだ」という趣旨の発言をしている話を前に書いた。

その際にも書いたことだが、国会議員は特定の立場や利益の代弁者に過ぎない。だから「代議士」と言うのだ。支持者がいれば反対者もいる。日本は議院内閣制だから、主権者である国民が選挙をして首相を選んだわけではない。国会の多数派政党が組閣して、たまたま総理大臣になっただけの人である。アメリカ大統領のように国の元首ではない。

安倍元首相はテロの犠牲者であり、事件直後は同情論も多かったと記憶している。参議院選挙では自民党はずいぶんと追い風を受けて美味しい思いをしたはずである。ある意味、タイミング良すぎな感じもしないでもなかった。

そういう空気が支配する中、「国葬でも良いんじゃないの」と、自民党の誰か有力者が言って、「聞く力」が売り物である岸田首相がそれに乗っかってしまった。当初は、もっと国内のコンセンサスが容易に得られると高を括っていたのかもしれないが、思ったよりも反発が多く、それでも、今さら引っ込みがつかず、突っ走るしかなくなってしまった。今回の「国葬騒動」の背景は、だいたいそんな感じではなかったのか。

エリザベス女王の崩御と国葬も彼らには想定外であっただろう。世界中からVIPが多数参列する「本物の」国葬を目の当たりにして、こちら側の来賓のショボさがますます目立ってしまうことになった。

英国の元首相の国葬はチャーチルまで遡るが、日本は吉田元首相まで遡る。チャーチルに吉田茂である。この2人に並べられる安倍さんには同情を禁じ得ない。さすがにこれはちょっとやり過ぎだと、きっと今ごろどこかでご本人も困惑しているに違いない。

結局のところ、岸田首相とその取り巻きのメンツのために、多額の国税、全国から動員された警察官をはじめとする大勢の警備関係者、本当は気が進まなかったろうに義理で遠路遥々やって来させられた来賓の方々等、多方面にわたり、随分なコストや労力を浪費したものである。誰も自分の財布は傷まないから、こういうことが容易くやれてしまうのであろう。

政治評論家の田崎史郎からも、岸田首相は、「打った手が次々に外れている印象」「やるたびに支持率を下げていく」「ちょっと独断的になってきてる」と厳しいコメントをされていた。田崎氏は、安倍元首相には甘かったが、岸田首相にはシビアなようである。だが、田崎氏に限らず、今の世間の評価はだいたいこんなところであろう。

それにしても、「聞く力」というキーワードは、岸田首相がどのようなスキルを有していることを示したかったのであろうか?

普通に考えれば、いろいろな意見をバランス良く集約した上で、総合的かつ偏りのない判断に基づいて、最適な判断を下せるような人物をイメージしてしまうが、どうやらそういうタイプの御仁ではないようだ。

単なる「聞き分けが良い」人物、あるいは「誰かに言われたことを、自分ではあまり何も考えず、とりあえず鵜呑みにする」ような人物だとすれば、単なる「イエスマン」であり、サラリーマンは務まったとしても、一国のリーダーとしては甚だ頼りない。

あるいは、「聞く」ばかりで、「発信力」がないということなのか。たしかに、岸田首相は、何を喋っても、自分の言葉で語っている感じがまったくしない。個性というか、自身のカラーがまるで見えないのだ。聞くばかりで、メッセージを発信できないのであれば、単なる「ブラックホール」である。

政治の世界でも、あるいは企業においても、日本では、あまりアクの強いリーダーは好まれない。「神輿は軽い方が良い」などと言われる。欧米のようなトップダウンの組織運営ではなく、中間管理職によるボトムアップ式の組織運営の方が馴染みやすい社会だからか。

一方、安倍元首相はというと、結果云々は別としても、欧米型のトップダウン型のリーダーをめざしていたように思われる。その後の2人の首相、菅・岸田コンビは、どうやら逆のタイプのようである。

企業の場合でも、業績が順調であれば、誰が社長でも大丈夫であろうが、危機的状況においては、それなりに腕力のある社長でないと務まらないはずである。国も同様であろう。

今の日本の置かれている状況は、決してご安泰とは言えない。平時であれば、誰がリーダーでも務まったのかもしれないが、そんな甘い状況ではないはずだ。

「聞く」ばかりで、「発信力」がない人物、あるいは自身のビジョンが見えてこないような人物をリーダーに選んでいて大丈夫なはずはないと思うのだが、この先、どうなることやらという感じである。


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