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働き甲斐のある会社について

「良い会社」というもののイメージも、世の中の移り変わりに従って、ずいぶんと変わってきているのかもしれない。

「ジャパンアズナンバーワン」とか言われていた頃、高度成長期からバブル崩壊の頃までは、伝統的な大企業というものは、それぞれの会社のカラーがあったが、上から下まで「金太郎飴」みたいに同じ色に染まっていた点に関してはどこも似たような感じであった。組織体制はまるで軍隊みたいに整然としており、上意下達方式の仕事の進め方に適合した体制になっていた。

現在も、だいたいの企業の仕組みは、その頃と基本的には変わり映えしないが、新興企業を中心に少しずつ変化の兆しはうかがえる。たとえば、「サイボウズ」の青野社長は優れた経営者の1人だと思うのだが、同社は社員にとっての働きやすさと会社としての機能性の両立をめざしているのではないだろうか。

そもそも、企業や官僚組織にとってのある種の「お手本」であった軍隊組織でさえ、スピード感ある意思決定を実現し、現場での機動性や実効性を担保していこうと思えば、硬直的な組織からもっと融通の利く柔軟な組織体制に変化するしかない。

少し古い本だが、『TEAM OF TEAMS』(スタンリー・マクリスタル著)にでは、03年のイラク戦争において、米軍のエリート部隊である統合特殊作戦任務部隊(特任部隊)が、アルカイダ(AQI)と戦う中で、20世紀型の伝統的な軍隊組織を解体して、21世紀型のチームに変貌を遂げていく過程が描かれている。

20世紀型の伝統的な組織には、軍隊や官僚組織、大企業等の大部分が含まれるが、こうした組織体制は、テイラーの「科学的管理法」に基づく効率性の追求に適合するように設計されている。「反復可能なプロセスを、非常に高効率で大規模に実施」するのには適しているが、非連続で再現性のない事象が絶えず頻繁に発生するような環境には対応できない。

じゃあ、どうするかという話であるが、ピラミッド型の組織を壊して、信頼と共通の目的でつながった少人数のメンバーで構成されるチームに大胆に権限移譲をする。徹底的な情報共有を推進しつつ、従来の大きくて硬直的な組織を、小さなチームが有機的なネットワークで繋がった生命体みたいな組織に再構成するしかないということになる。

1人の人間が管理できるメンバーの数には自ずから限界がある。それに現場の状況が絶えず変わっているような環境において、末端の現場からトップまでいちいちお伺いを立てなければ動けないような組織では仕事にならない。

一方で大きな方針(=戦略)に関しての共通理解、共通認識がなければ、現場ごとの動きがバラバラになってしまい、カオス(混沌)に陥ることになる。したがってトップのやるべきことは、戦略を誤解なく明瞭に示すことである。その後の戦術レベルの日々の意思決定に関しては現場を信じて大胆に任せるしかない。

マイクロマネジメントに陥る管理者、リモートワークで部下がサボらないか心配な管理者の心理状態というのは、ある意味、共通している。ひと言で言えば、部下との信頼関係が欠けているのだが、さらに言えば、自分がやるべきことと、部下に任せるべきことの「仕訳」「区別」が明確になっていないのかもしれない。

「働き甲斐の有無」と「裁量権の有無」には因果関係がありそうである。上司から信用されておらず、箸の上げ下ろしのようなことまでいちいち決裁を取らないと何もできないような組織では、「働き甲斐」を感じることは難しいであろう。逆に何もサポートしてもらえず、「丸投げ」で「あとはよろしく」という感じの組織もまた困りものである。

理想を言えば、メンバーの能力やスキルと、与えられた裁量権との間で絶妙なバランスが取れていれば、「働き甲斐」を感じて仕事に取り組むことができる。「絶妙なバランス」というのは、「過不足なく」という意味ではなく、「少しだけ背伸び」を要するレベルに近いように思う。筋トレと同じで少しだけ無理をすることで、成長や進歩が期待できると思われるからである。

組織である以上、大きな方針(=戦略)の策定に関しては、上意下達、トップダウンであって良い。しかし、今日のような変化の激しい環境において、細目まできっちり完璧に作り込みすぎることには無理があるし、戦略に相反しない範囲内での現場への権限移譲、裁量権の許容というのは、むしろ現実的な対処法であるということになる。

ところで、ここまで書いてきた話とは相反するような話になるのだが、中小のスタートアップ企業の場合、伝統的な大企業とは異なり、小さなチーム単位を基本とした融通無碍な組織体制で仕事をしている(というか、そうならざるを得ない)ことが多いのだが、少し規模が大きくなったり、社員が増えてくるにつれて、どういうわけだか、伝統的な大企業のような整然とした組織体制を志向するようになる。

僕が所属している企業も同様である。ここ2年ほどで社員数が2倍くらいに増えたせいもあるが、部門数が増えて、役職員の階層も増えた。その結果、社長と平社員の間の距離感は、少し前と比べてずいぶんと大きなものになり、それに伴い社内のコミュニケーションが目に見えて悪くなってきている。自分の上司と部下とが、自分の頭越しに直接コミュニケーションを取ることすらあまり好まぬような幹部社員もいる。気がついたら、ミニ「大企業病」のような様相を呈してしまっているのだ。

スタートアップ企業らしい機動性やスピード感を取り戻すには、もう一回、「なんちゃって大企業」みたいな組織を解体して、コンパクトで小さなチームのフラットで有機的な集まりに再編するしかないのかなと思うのだが、果たしてそういうことが可能なのかどうなのか。組織というものは、一回できあがると、壊すのはなかなか難しい。むしろ放っておくと増殖しながら複雑怪奇なものになりがちである。

いずれにせよ、組織の解体・再構成を行なう際にキーワードとなるのは、社内での「情報共有」と「心理的安全性」の確保ではないだろうか。

思い切った「情報共有」を行なう。先ほど例に挙げた「サイボウズ」では、「社員の個人情報」「インサイダー情報」以外は、誰でもアクセス可能であるという。経営会議も社内で実況中継されているので、若手社員が飛び入り参加して社長に意見具申することだって可能である。

またそういうことが可能なのは、どんどんと積極的にモノ申しても咎められないという「心理的安全性」が担保されていることが重要になる。そうでなければ、自由闊達な意見交換を行なうのは難しい。

先ほど紹介した『TEAM OF TEAMS』でも書かれていたことだが、米軍の特任部隊でも、従来は少数のメンバーでトップシークレットとして取り扱われていたような情報までもが、全員アクセスできるビデオ会議で共有されるようにしたとある。もちろん情報漏洩リスクへの配慮も必要であるし、すべての情報を共有すべきだとは思わないが、組織のスピード感や機動性を確保するために現場への権限移譲を行なう以上は、思い切った情報共有の推進は避けては通れない必須条件であろう。



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