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「統一教会」について

統一教会の問題が世間を騒がせ始めた頃から、ずっと思っていたことであるが、統一教会が問題になるのであれば、どうして他の新興宗教も問題にならないんだろうか不思議であった。

公明党の支持母体である創価学会は、「財務」と称してお布施を集めるのが重要な年中行事であったと思う。年末頃のイベントだったと思うが、毎年1,000億円以上だったか、巨額のおカネが動いたはずである。創価学会を上得意客とする銀行にいたから、その時期の事務の煩雑さは熟知している。事務ミスなんかあるとタイヘンだから随分と気を遣ったものだ。

創価学会だけではない。似たようなことは、どこの宗教団体でもやっている。もちろん、「自発的に」信者がおカネを寄進しているのであるが、そんなのは統一教会だって言っていることである。どこも、「強制的に」「無理やり」「脅迫して」おカネを集金しているとは言わない。

某支店の貸付先の中に、某有名タレントの身内がいた。貸付金の資金使途は某大手新興宗教団体(統一教会ではない)のお布施であった。借金して多額のお布施をして、結果的に首が回らない状態になっていた。タレントが連帯保証人になっていたのを幸い、延滞していた貸付金をタレントに代位弁済してもらったのは言うまでもないが、その頃から新興宗教などを下手に信仰したら、身ぐるみ剝がされるんだなと思っていた。

宗教と政治の結びつきも、今に始まったことではない。国政選挙の時期になると、ずっと前に同じ職場にいた創価学会員から電話がかかって来て、公明党議員に投票しろと言われる。年賀状のやり取り以上のつき合いは一切ないような相手であっても、ちゃんと必ず電話がかかって来る。たぶん彼らは選挙時期には膨大な分量の電話を架けまくっているに違いない。もちろん、これも「自発的に」やっていたのであろうが。

前にも書いたが、宗教なるものは、人間の心の弱さにつけこむ詐欺の一種である。それは新興宗教だけでなく、キリスト教、仏教、ヒンドゥー教、イスラム教等の伝統的宗教も同じである。年季の入り方の違いだけに過ぎない。

詐欺であれば、被害者には取消権がある。本当に「騙された」のであれば、救済するのは当然である。

また、正常な判断ができないような心理状態に意図的に追い込んでいるとすれば、やはり詐欺として被害者を救済するべきなのであろう。

そうなると、なかなかたいへんなことになるかもしれない。統一教会のみならず、伝統的宗教も含めた諸々の宗教団体は、いつ詐欺だと訴えられてお布施の返還請求をされるやら、わかったものではなく、戦々恐々となるに違いない。

しかしながら、宗教の場合、信者は純然たる「善意の被害者」なのか判然としないことが多い。荒唐無稽な与太話であっても、信者にとっては真実なのである。いや、真実だと信じたいのである。客観的に見れば、「こんな話を信じる方がどうかしている」というようなケースも少なくない。

いわば、騙されたがっている人たちが、「飛んで火にいる夏の虫」のように、自らの意志で進んで寄進やお布施をしておいて、後になって何かの拍子にマインドコントロールが解けて、「あれは騙されたんだ」「救済されて当然」と主張するようなものまで何でも救済するのが正しいとは思わない。どこかで「自己責任」ということで線を引かないと、宗教という「産業」自体が成り立たなくなるような気がする。

そうなると、宗教団体が今後、お布施とか寄進を受けるに際してては、不動産の取引とか投資運用商品の申込み手続きの際と同様に、重要事項説明書のような書類を提示しつつ、「こんなリスクありますけど、ちゃんと説明しましたよ」とか言いつつ、信者サイドから署名・捺印をもらうような事務手続き導入しないといけなくなるかもしれないし、そうでもしないと、組織を防衛できないのではないか。

いずれにせよ、救済法案でビビッているのは、統一教会だけではないのは間違いないはずである。


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