「対面営業」について
銀行に勤めていた頃、営業店の窓口業務の非効率さに呆れたものである。
預金為替の窓口業務の大部分は定型的な事務手続きである。いまどき、やろうと思えばATMで対応可能なものがほとんどだ。したがって番号札を引いて窓口に並ぼうとするお客さんたちも、ロビー案内をやっている人たちに指示をして、基本的にATMコーナーに誘導するように業務フローを変えた。
高齢者や情弱な人たちには文句を言われたが、ちゃんと操作方法を教えて、そちらの方が窓口よりも短時間で完了することを理解してもらったら、次回からは自ら進んでATMコーナーに行ってくれるようになった。
それでも異例な事務、いろいろな変更手続きとか、相続といったものについては、窓口担当者が対応するしかないのだが、電話での予約制度に誘導するようにした。今だったらネット予約があるはずだ。歯医者だって予約制が基本なんだから、銀行の窓口の手数がかかる事務は当然に予約制にすべきだという理屈である。
投資信託や法人取引なども、もちろんあらかじめ予約してもらえば、店頭で
お待たせずに済むし、こちらも事前準備ができるから、中身のある応対ができるというものだ。
そうした当たり前のことを徹底したところ、僕のいた支店の窓口業務はひどくスッキリとした。来店客数はそこそこ多いのだが、あまり混雑もしないし、待たされて怒るようなお客さんもいなくなってしまったのだ。社員の残業もなくなった。本部や他の営業店からも見学者が来たが、こちらは当たり前のことをやっていただけだし企業秘密なんか何もない。
銀行員を辞めてから、僕は滅多なことで銀行の窓口には行かない。たいていはパソコンかスマホのアプリ、あとはATMコーナーで完結させる。窓口で手続きをしたのは、親の相続手続きの時と、NISA口座を他行に移管する手続きをした時くらいである。両方とも事前に電話をして予約してから行った。それでも相応に時間がかかったので、改めて銀行窓口など二度と行きたくないと思った。
コロナ渦以降、さすがに銀行も営業スタイルをどんどんと改めつつある。店舗も急速に整理・統廃合を進めている。たぶんフルラインの店舗なんか、日本全国に10ヶ所かそこらだけ残して、あとは全部潰してしまっても大丈夫なはずである。
人手がかかるということは、それだけ余計なコストがかかっていることを意味する。そもそも来店させて、人手で処理しないと完結しないような事務手続きなど、業務フローの設計がどこかで間違っているのである。
金融機関と役所は、窓口に来させて、人を平気で待たせる。腹の底にある「お上意識」がいつまでも払拭されないからである。黙って待ってくれるから改善意識が醸成されない。単なる甘えである。
証券会社や保険会社の対面営業も似たようなものだ。こちらはコスト意識の問題というよりも、あまり変わり映えしない商品を無理やりマンパワーで売りつけるためであろう。あと、「対面営業こそが正義、あるいは美徳」という間違った価値観に支配されているような気がする。
普通に考えれば、あれだけマンパワーをかけたら、どうやって人件費を回収するのだろうかと疑問に思うだろう。もちろん、お客さんからしっかり回収しているに決まっているのであるが。
生命保険のおばちゃん外務員など、僕が若い頃から、「いつか絶滅する職種」だと言われて久しいが、いまだに絶滅していないのは、一体全体、どうしたものであろうか。
昼休みに職場をうろちょろして、飴ちゃんを配り歩き、お誕生日にはプレゼント、バレンタインデーには義理チョコ配り。あんな高コストな営業をやってもペイするということは、加入者はどれだけ法外な保険料を吹っ掛けられているのか、わかりそうなものである。
これは要するに、業界ぐるみで、お客さんのポケットからおカネを盗んでいるのと同じである。
結論として、ネット保険、ネット証券があれば、対面営業の保険営業や証券営業は無用である。あんなものは情弱な高齢者を食い物にする悪徳商法の一種に近い。
たしかに、IT化についていけない人、人間にいちいち説明してもらいたい人、単に寂しさを紛らわしたい人とかが一定数存在するのは間違いない。そういう人たちが、ぜんぶ仕組みを納得した上で、それでも高コストなサービスを享受したいと思うのであれば、あとは趣味の問題、世界観の違いである。座っただけで何万円も取られる北新地とか祇園のクラブに遊びに行く人たちと同じである。
そういう無駄や非効率は馬鹿馬鹿しいと思う僕のような人間にとっては、銀行、保険、証券といった金融機関は、もはやネットの中にあればいい。少なくともほぼ9割以上の業務はそこで完結できる。
以前、『エンベデッド・ファイナンスの衝撃: すべての企業は金融サービス企業になる』という本を紹介した。その際に、ビル・ゲイツの、「銀行機能は必要だが、今ある銀行は必要なくなる」という趣旨の発言も書いた。
銀行の持ついろいろな機能、「預金」「融資」「決済」等の基本機能は、今後も我々の生活のインフラとして必要である。しかしながら、わざわざ店舗にこちらから出向かなければならないとは思わない。
通信機能がそうであるように、まさに「空気」のように、どこにでもあるのが当たり前になる。金融の「土管化」である。
みずほグループが楽天証券に出資するという記事があったが、ネットが金融の主戦場になるなんて、「何を今さら」という感じである。
そんなことで驚いていたら、そのうち、AmazonかGoogle(アルファベット)、あるいはアップルに、みずほグループそのものが買収される日が来るかもしれない。
否。案外、そんなに遠くない未来かもしれない。1989年(平成元年)の世界の時価総額ランキングを見ると、上位10社のうち7社までが日本企業、NTTと東京電力以外はすべて銀行だった。みずほの前身である興銀が2位、富士銀行が4位、第一勧業銀行が5位である。隔世の感がある。
今はどうか。GAFAからすれば、日本の金融機関なんか、時価総額だけ見たら衝動買いできちゃえそうなレベルである。とりあえず買収しておいて、バラバラに解体して、使えそうなところだけ残して、あとは捨ててしまっても少しも惜しくはないだろう。
前にも同じことを書いたが、古き良き時代に銀行を卒業しておいて、本当に良かったと思う次第である。