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『自分を知る』~勘違い~

皆さん、こんにちは。
私の恩師である「先生」との衝撃的な出逢いから、記憶をたどりながら、
この地球の「大いなる仕組み」としか言いようがないものに
どうやって掴んでいけたのかを綴っていきたいと思う。

当時の私は、今、思えば、不足だらけの欲求不満状態であり、幸せは
『結婚』でしかないと、思い込んでいた。
今もなお、その妄想にハマっている方は多いかもしれない。
そして私は、そこに思いきりハマっていたし、自分の人生を自分で何とかしようとせず、結婚相手に丸投げし、現実から逃げるための手段として探していた。

もちろん、当時は、そんな自分の本音には気づかず、女性なら、普通に思う
普通の願望をもつだけの、普通の人間…。
いや、とんでもなく「いい女」と思っていた。
普通を遥かに超える「いい女」「完璧な女性」結婚したら間違いなく
「良妻賢母」になる自分だと思い込んでいた。

「今の段階では、料理は、まぁまぁの腕前だが、結婚したら、その人の為に
プロに習いに行って、料理上手な奥さんになるはずだ。
旦那さんは、こんな素晴らしい妻を持てて、嬉しいだろう。
さぞ、皆に自慢したくなるだろう。
ふぅっ。
私の旦那さんになる人は、とんでもなく幸せものだな。
こんな私を奥さんに持てる男性というのは、どれだけラッキーなのか。
この私の旦那になるのだから、それはそれは最高の旦那に違いない。
一体どこにいるのやら。
この良妻賢母を発揮するのは、いつになるのか。待ち遠しいことだ。」

だったのである。
思い込みと、何十年に渡る現実逃避からくる思考回路は、恐ろしいものがある。自分でも驚く思い込みを、本気で思っていたのである。

先生に出逢った時に、直観的に
「この人だ!」
と思った。
ずっと探していた人だと直感的に思っている自分がいた。

当時は結婚相手を探していたので、「この人がそうだ」と思ったが、
すでに結婚されていたので、

「おかしいな。私がふさわしいはずなんだが、
なぜ、すでに結婚してるんだ?探していた人ではないのか?」

だった。
後に分かってくるが、私は間違いなく、出逢えるはずもなかった存在と出逢えていた。
それは結婚相手とか、そういうものではなく、そんなものを
遥かに超える出逢いであった事を、のちに気づくことになる。

当時の私は、
「私は気立てもよく、性格もいい。スタイルも、モデル程ではないが、すごく良いし、資格も持っていて、仕事もバリバリしてるのに料理も上手。
結婚したら更に上手になる見込みがある。
明るいし、優しさも持っていて、旦那さんのご両親とも上手くやっていける。私が誘ったら、誰でも喜んで付き合ってくれる。だから、慎重に選ばなければ。あとは、おめがねにかなう相手と出逢いさえすればいいのだ。」
だった。

そこで、恩師を見たとたんに、惹きつけられ、「この人だ!」
と思い、ゲットする気でいた。
だが、相手は既婚者であるから、手は出せない。

「一体、どうしたらいいのか?」

と思っていた。恩師に聞いてもないのに、お誘いしたら、それに
答えてくれると思っていたのだ。
とんでもない勘違いの中、恩師の話してる内容が入ってこないほど、頭の中がピンク色に染まっている中、何度か「お話し会」が開催され、その話の中で、恩師は

「あなたみたいな人は、僕は嫌いだ。嫌い、嫌い、大嫌い。」

と言われた。
固まってしまった。
言葉も発せられないほどのショックを受けた。

今までも、自分の事を、嫌っていた方はいるだろうが、それはこちらも嫌っていたし、またあえて「嫌いだ」と、相手に言ったこともなかった。
また、こちらが一方的に気に入ってる状態で、特に嫌な態度をした覚えもなく、嫌われてるとは、これっぽっちも思っていなかった状態で、なおかつ、面と向かって言われたのである。

皆がいる前だったことから、恥ずかしさもあり、どうしていいか分からなかった時に、主催者が

「いや、そんなこと言っても、それはねぇ…。」

と主催者が、かばって

「何かの冗談で、本気で言ってるわけではないのよ~」

みたいな、フォローのようなことを言っていたが記憶にない。
逆に、さらに惨めな気持ちになり、悲しくもなり、もう少しで、目にたまっていた涙があふれそうになるのを必死でこらえた。

恩師は

「今はね。でも、先は分からないよ。」

というようなことも言われていた。こう伝えてくださった真意は、のちに分かっていくのだが、当時はショックで、その場にいるのが苦しくなり、疲れてしまい、お話し会の休憩時間に、主催者のご自宅のベランダに出た。

ため息をつき、気分はブルー。

「先生は、私がそんなに嫌いなのか。私はそんなに嫌われていたのか。」

ガックリきていた。
お話し会が終わり、先生が帰ろうとしたときに、私は嫌われていると思っていたので、先生が目の前を通り過ぎようとしたときに、後ろに下がって、
近づかないように、さけた。

すると、先生は、柔らかな笑顔で私の頭に手を「ポンっ」とのせたあと

「わっ、髪がかたいね。」

みたいなことを言われた記憶がある。
先生のその手の優しさに驚いたし、冗談ぽく話される笑顔に、ふさいでいた気分が一気に上がった。
言葉には言い表せないのだが、とても優しさを感じるものだった。
嬉しくなったし、安心もした。
私がふさいでいることは、分かっていたのかもしれないし、真意は確認してないから分からない。

私は、他人から初めて、「嫌いだ」と言われた。
それは、衝撃的な出来事だった。
高慢で、プライドの高い私は、普通なら

「そっちが嫌いなら、こっちは初めから、大嫌いじゃ!
こっちから願い下げじゃー!」

みたいな、よく分からない罵声を浴びせて、二度と近づかない自分だった。
もちろん、本人にそんな言葉を発する訳ではなく、心の中で叫び

「私を嫌うなんて!それは相手の見る目がないだけだ!」

と思う自分だった。

だが、恩師に関しては、そんな思いがわくどころか

「どうか、嫌いにならないでください。直しますから。お願いします。」

という心境だった。
「嫌いだ」と言われているのに、離れきれない自分に驚いた。

「先生から、「二度と来るな!」と言われてる訳じゃない。でももし、言われたら?その時は、お話し会が終わるまで待って、また、参加できるよう懇願するしかない!」

と、「どんなことがあっても、離れないし、離せない。離れられない!」
と思っている自分がいた。
基本的に人を追いかけるなんて、絶対になかった私であったし、
特に女性が、嫌われている相手に、懇願してでも、追いかけるのは、

「益々、嫌われるだけだし、そんな恥さらしな事はない。潔く引くべきだ。そんなことをするなんて女性の風上にも置けん!私にはあり得ない行為だ」

と思っていた。
その私が翻弄された。コントロール出来ないほど、心が乱れた。
このことにも驚いたが、この恩師から放たれた「嫌いだ」は
なにも、恩師だけの言葉ではなく、お話し会に参加されている全員から
嫌われていることを、のちに知る事になる。

こうやって、私は自分の事実を知っていくことになる。

恩師のおかげで、私は自分の事実を知る事が出来た。
日本は特に、本音を正直に言ってくれることがない。
逆に、思ってもないことを言うことが多い。

自分を知らないと、大きな勘違いの中で生き、ずっと恥をかいているのに
全く気づかずに終わることが多い。
多くの方から、実は自分の事を伝え続けて頂いているのに、当の本人は聞く耳を持たない。
結果、末路が悲惨な状態になることは一目瞭然なのに、本人だけが気づかない。

『自分を知る』ということは、イバラの道である。

誰にでも簡単に自分を見れるものではない。

だが、自分の心の内にある何かが、それをずっと求めているはずである。
自分にだけは、嘘をつけないからだ。

どんなにお金を持っていても、どんなに優しいパートナーがいても、
家族もいて、五体満足であっても、資格をもって、友人らしき人がいても
私の心は晴れたことがなかった。

どんなに楽しいと思えることをしても、美味しいものを食べても、旅行に行けても、誰かに褒められても、感謝をしても、親切にしても、私には
むなしさしかなかった。

それがなぜなのか、全く分からなかった。
だが、恩師と出逢ってから、この理由が分かり、今は毎日が秋晴れになった。虚しさは消え去った。
もちろん、人間だから、秋晴れもあれば、雨や曇り、台風までくる心の状態だが、それが楽しいし、素晴らしい経験であることも知れた。

私の外見も環境も両親も、前と同じではあるが、まるで感覚が変わった。
だから、違う人間で生きていることが、自分だけは、分かる。
それは誰にも邪魔されず、誰にも奪われない自分だけの喜びになった。
お金でも、外見でも、環境でも、パートナーが原因でもなかった。
全ての原因は、自分だったのである。
だが、そのままの自分でいいのである。

その自分のことを私はまるで知らなかった。
『自分を知る』世界を世界中に伝えたいと思っている。
もちろん、伝わらなくても、100年後には、当たり前になっていることだろうとも思う。
ただ、恩師から伝えて頂いたことを、私が生きている限り、伝え続けていきたいと思っている。

うまく伝えきれないのだが、きっと皆さんが、この経験談から、少しでもヒントになっていくのかもしれないな。なんて思っている。

また、少しずつ、ひとり言として、綴っていこうと思う。
ではでは、今回はこのへんで。


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