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志賀直哉×里見弴×暗夜行路

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志賀直哉と里見弴の関係を著作から検証した記事です
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記事一覧

志賀直哉×里見弴×暗夜行路(目次)

目次 1.志賀直哉×里見弴×暗夜行路①  文豪ブームでも取り上げられていない、当時は有名だ…

麻井 朝
1年前
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志賀直哉×里見弴×暗夜行路①

※こちらは、詳しい内容を知りたいかたや、考察したいかた向けの内容です。 ちょっと読みたい…

麻井 朝
2年前
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志賀直哉×里見弴×暗夜行路②

ところで、話を進める前に、ひとつ確認しておかなくてはならないことがある。 当時の「同性愛…

麻井 朝
2年前
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志賀直哉×里見弴×暗夜行路③

ふたりの関係を知るための資料を確認しておこう。 志賀直哉、里見弴とも、相手について言及し…

麻井 朝
2年前
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志賀直哉×里見弴×暗夜行路④

今回から里見の「君と私と」を紹介していこう。 実は、前回の記事は、ほぼ「君と私と」を参考…

麻井 朝
2年前
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志賀直哉×里見弴×暗夜行路⑤

「君と私と」は、自己嫌悪についての物語だとも言える。 野口冨士男はこう述べている。 〈自…

麻井 朝
2年前
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志賀直哉×里見弴×暗夜行路⑥

次のポイントは志賀直哉だ。 最初に言ってしまおう。 二枚目のカードは、志賀からの干渉である。 ふたりをめぐる噂では、里見が志賀にコンプレックスを抱いていた、というのが強調されがちだ。 しかし、志賀の執着も相当だったのではないか、と言いたいのである。 「君と私と」は、志賀との付き合いをテーマとしている。 しかし、志賀との関係の深まりに、いささか曖昧な点があるのだ。作中で見られる関係の深まりを拾ってみると、 明治27年頃:出会う 明治33年頃:生馬を介して遊ぶようにな

志賀直哉×里見弴×暗夜行路⑦

ここで扱う資料の関係を整頓しておこう。 今回の記事では、志賀の「暗夜行路草稿」と里見の作…

麻井 朝
1年前
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志賀直哉×里見弴×暗夜行路⑧

「耽溺」の行きつくところ 前回の記事では、様々な資料と「君と私と」を読み比べながら、主に…

麻井 朝
1年前
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志賀直哉×里見弴×暗夜行路⑨

「君と私と」 「腐合いと蝉脱」「熊の手」事件が起きたのは、大正元年9月21日。 それから一ヶ…

麻井 朝
1年前
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志賀直哉×里見弴×暗夜行路⑩

志賀は「善心悪心」の何に怒ったのか 前回は、「善心悪心」に怒った志賀が、怪文書を里見に送…

麻井 朝
1年前
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志賀直哉×里見弴×暗夜行路⑪

暗夜行路・前 前回までは、志賀直哉と里見弴の関係の実際の様子や、その関係が里見にどういう…

麻井 朝
1年前
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志賀直哉×里見弴×暗夜行路⑫

暗夜行路・中 志賀の「ゴー慢」とはなんだろうか。 「草稿」が書かれ始めた大正元年、その前…

麻井 朝
1年前
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志賀直哉×里見弴×暗夜行路⑬

暗夜行路 後 里見の特別さとは何だったのか ドンキホーテは志賀、サンチョパンザは里見とおぼしきこの小文だが、注目したい箇所がある。 サンチョパンザが「同伴者」とされているのだ。 サンチョ・パンサは、通常「従者」などと翻訳され、ドン・キホーテより格下として扱われることが多いので、より対等な「同伴者」という表記は珍しい。 実際、スペイン語のウィキペディアでは「escudero」、英語のウィキペディアでは「squire」とされ、どちらも「従者・盾持ち」の意味だ。 同文中にも