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私は理想の自分を作るための黒子だった

ずっと誰にも言えなかった違和感は、誰かに吐き出すにはあまりにも曖昧で形を成さないものだった。いつからかそれは自分さえもそれが違和感だということを忘れてしまうほどに長い時を経てすっかり私にこびり付いてしまっていた。ここに来るまで私は数え切れないほどの名もなき偉大な人たちと出会った。その度に感謝や憧れ、尊敬の念と同じくらいの劣等感を溜め込んでいたらしい。

いつから?と思い返すときっと思春期くらいからなのかな。それまでの自分は好きなことはとことん好きで、周りにどう見られても気にしたことはなかったけど、いつの間にか周りの目が気になりはじめて自分の知っている「すごい人たち」に少しでも見劣りしないよう、がっかりされないよう、理想的な思想や価値観を持つように空っぽの器を飾り付ける黒子に徹するようになったようだ。それ自体が滑稽なことにも気づかずに。いつしかゴテゴテに飾り付けられた器を自分の本体だと勘違いし始めた私は、本体がどこか遠巻きに私を客観視していることが当たり前になった。きっと子供のころは感じられていた自分を偽る罪悪感も時がたつにつれて薄れていき、時々感じる違和感の正体がそれだと気づくことができなった。

最近意外なタイミングでそれに気づくことができて謎の違和感が解消された。自分よりも自分をわかってくれる人たちがまるで私の鏡のように気づかせてくれる。すごいことだな。と思いつつ、きっとずっと気づいてほしかった黒子の自分と器の自分。黒子と器が一つになることはこの先ないのかもしれないけど、黒子と器の二つがそろって自分なのだと気づいた令和元年秋。かっこつけるのも虚勢を張るのももう私の一部になってしまったようだ。ならそんなかっこ悪い自分もこの先に一緒に連れて行こう。【きづき】ってすごいキーワードだ。

#エッセイ #自分と向き合う #鏡 #気づき

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