見出し画像

明日生きている保証はないと実感した体験ーー19歳で車にはねられた

◉「明日生きている保証はない」

よく聞きますし、実際、誰にも「明日」の保証はない。
今朝、目が覚めたことは「当たり前」ではないんですよね。

私は、19歳の時に車にはねられて、頭を三針縫いました。

横断歩道の歩行者信号が青になった時に走って渡りだし、右折車にはねられました。

雨が強い日の出来事でした。土曜日だったのかな。

私はその日からサークルの合宿に参加しようとしていて、右側に大きなバッグを持っていまして。

車にぶつかったのはそのバッグの側で、体と直接車はぶつかってなく、無傷だったのだけど、ぶつかった拍子に倒れて、アスファルトのギザギザで頭を切ったのでした。

事故にあった時の記憶って、再現VTRみたいにコマ送りなんです。

持っていた傘が手を離れて、飛ばされていく一コマ一コマ。

その後、視界に空だけが見えて、何が起きたのか理解できない状態で倒れていました。

車からドライバーのおじさんが降りてきて、お姫様抱っこで車道から歩道に運ばれました。何が起きたのか、この時点でもわかってない状態です。

頭からの出血って嘘みたいに血が出るんです。

そして、自分から流れる血は温かかった。なんであったかいんだろう?とぼんやり思っていました。


道路脇の、軒を貸してくれたお店の人が、バスタオルをかけてくれました。
それで初めて、雨の中、大量の血を流していることに気がついたのです。

◉この流れているあったかいのは、「血」なんだよ

救急車が呼ばれて、大きな病院に運ばれました。
救急車に乗るとき、救急隊員の人に「自分で歩けますか?」と聞かれたので、「はい」とお返事して乗りました。

椅子に座って、「書けますか?」と用紙を渡され、氏名・住所・連絡先などを書いたのを覚えています。

あの時は、何がどうなのか全くわかってなかったけど、あれも問診の一種のようなものなのでしょうね。
(普通の顔して書いたけど、白いセーターに血だらけの私。想像するとシュールですね)

荷物とかどうなったんだろう?荷物がなくなった記憶はないから、一緒に救急車に乗ったんだろうか???警察が回収?お店の人が保管してくれてたのか???(全く記憶にない)

救急車は大きな総合病院の緊急搬送室(何ていうの?)の横に横付けされて、私は多分、自分で降りて、言われるままにうつ伏せでベッドに横になりました。

今となっては、本当に「軽い怪我」の分類なんだと実感しています。

救急車の到着に合わせて、医師の方々が数人いらっしゃったと思うんだけど、うつ伏せだったので雰囲気しか覚えていません。

ベッドを囲む十人くらいの大人たちはとっても和やかでした。

頭から出血しているので、髪を剃りますよって言われて、傷のところを剃って、傷は3センチくらいだったのかな。三針だから、多分そのくらい。

縫うとかそういうのではなく、ステープルみたいなものを使うことになったようだったのですが・・・

私の頭の上で交わされた会話

「これ、どうやって使うの?誰か知ってる?」
(私の心の声:え?何?使い方知らない人が何をするの?)

「これはこうやって使うんですよ」
(私の心の声:あ、よかったわかる人いたんだ・・・)

「おお!先生、内科なのによく知ってますね!」
(私の心の声:えええええ?内科?外科じゃなくて、内科?・・・)

救急車で運ばれてきた割に、とっても軽傷で、私の意識もはっきりしているし、みんな安心していたのでしょう。
結果として無事に生きているので、思い出としては笑って話せますけど。

◉まず、私を安心させることからやってくださいよ!って言いたい

応急処置が終わって、担当医?の人から、

「今は病院のベッドがいっぱいで、入院はできないこと」

「頭を打った患者さんは、直後は元気でいても、時間が経ってから意識を失うこともあって、死んでしまうケースもあること」

「だから、今日は一人ではなくて、誰か一緒にいてくれる人のところで過ごすように」

みたいなお話をされました。これを一人で聞きました。いきなり、死が身近になりました。

見えないだけで、いつも隣で待機してる。

注意事項を聞き終わったら帰っていいよ的な流れで、私は病院の端っこのコンクリート床のだだっ広い緊急搬送室?のそのだだっ広さに寒々しさを感じながら、その部屋を出てすぐ横にあった公衆電話から、母の勤務先に電話をしました。母の勤務先は土曜もお仕事だったのです。

電話番号、覚えてたんだ、あの頃は。

電話口に出た人に名前を名乗り、母につないでもらって、車にひかれたことを告げました。あの時、泣いてなかったな、私。変な興奮状態だったのかもしれない。

母が、私が住んでいたところの近所に住むいとこに連絡をするから、いとこの家にいくように言われて、何も考えずにいとこの家に行きました。

(今考えると、いとこ(姉妹)が家にいてくれてよかった)

いとこのお姉さんに、「着替えなよ」って言われるまで、自分がきている白いセーターが血だらけなことに気がついてなく、脱いでびっくりした…どうりでみんな私を見る目が痛い痛しかったわけだね。頭の包帯のせいだと思ってた。

両親は大雨の中、高速を飛ばして駆けつけてくれて、いとこ宅に泊めてもらいました。


私は朝が来るまで、一睡もできなかった。。。安心なんて微塵もない。眠ったら朝が来ないような気がして。

私はあの医者が言ってたように、急変して本当に死ぬんだろうか、死んだらどうなるんだろう?そればっかり考えていました。

空が明るくなって、朝がきたのを確認して、少しだけほっとしたのを覚えています。

あの事故にあうまで、生きたいって思ったこともなかったし、死にたいと思ったこともなかった。

◉あの日、死ぬってどういうことって一晩中考えながら過ごしたことを今思い出すと、自分の意識とは別の何かに生かされていることを実感します。

本当に、「明日があることは当たり前ではない」のですね。

それから後の私の人生に、ショックなことはまあまあ起きるわけです。

そして、「私死ぬのかな」と思った夜も何度となくあります。

死んだ方が楽なんじゃないか、と思うくらいにひとりぼっちで絶望した日も普通にあり、あの事故で一生分の不幸を受け取ったとか思ってた19歳の私は甘い甘い子どもだったと知るわけなんですが、

でもね、今を生きていることって、本当にすごいことなんだと、いのちに関する感受性はより強くなり、生きること、死ぬことについて考えるとすぐに涙が流れます。

加齢とともに涙もろくなるのは、なぜなんでしょうね。

「今」を大切に生きる、とは

「今を大切に生きる」ことって、瞬間瞬間の自分を受容することなんだなと今は思っています。

何かに必死にならなければいけない、気を抜いていてはいけない、生きているうちに何かを達成しなければならないとか、「使命」とか、力んで考えて、何もできてない自分をずっと責めているところがあったけど、それだと「今を大切に」できてないのですよね。

昨日、タイムラインに流れてきた記事で、双子の赤ちゃんの片方が1歳を待たずになくなった方のお話を読みました。

今も元気に生きるもう一人が、お腹の中で双子でいたことをご両親にお話ししてくれるんだそうです。読みながら、複雑な気持ちのまま、涙しました。

私は双子で生まれたかったと長い間思って生きてきていて、それは、自分だけをわかってくれるテレパシーも通じるもう一人が欲しかったんだけど、それって、私は寂しくて寂しくて、双子に憧れたんだなと思いました。それくらい寂しさを抱えているんだな、わたし。

自分の気持ちを、自分がもっと理解できるようになるのも、「今を大切に生きる」ことだな、と思いました。

今日は、「夏越の大祓(なごしのおおはらえ)」

半年に一回、「おおはらえ」をして、生きていること、生かされていることに感謝をする習慣のある国、ここ日本。
どれだけ、心を大切に生きている民族なんだろう、と先人たちに思いを馳せています。

「スピリチュアル」をマーケットにするくらいの現代であり、見えないものは「怪しい」といぶかしげになる風潮もありますが、本来、スピリット(霊・魂)が存在しない世界に生きてはいないのです、私たち全員。

死にたくなっても死ねないことも多いし、死を意識した途端に、生きたいという強い思いがお腹から上がってくることもある。

私が死にかけたことは、この交通事故の他にニアミス的にあと3回くらいは自覚している+一年前は本気で生きることを拒否してた感じではありますが、でも、絶望の中で、生きるためにできることを無意識に選び続けている感覚があります。

思考はなんで生きるんだろう、ばっかり考えているところがあります。答えが出るのは、死んだあとになるのかな。

ところで、夏越の大祓ですが、応仁の乱で途絶えてたそうです。

「大祓」を400年の時をこえて復興したのは、明治天皇!
大政奉還のストーリーって誰が書いたシナリオなんだろう・・・・
徳川慶喜、明治維新、坂本龍馬、明治天皇・・・公開されていない時間がたくさんあるのでしょう。

1860年代、現在と同じくらい大騒ぎな先行き不透明な時空間だったろうに、明治天皇ってやっぱりすごいんだなぁ・・・そしてそのあたりの時期には、渋沢栄一さんも政治の中心にいるわけですよね。もうすぐ、一万円札の顔になりますね。

先人が描いた、未来を生きる私たちは、それぞれの「今を大切に」生きているのでしょうか。精一杯、「私」を生きていますか?

自分を責めることは誰のプラスにもならないので、それをやってる自分を見つけたら止めましょう。できない時、できないだけの理由があるのです。

いつも、元気いっぱいで、何事にもワクワクして、未来への希望しかない人生なんてないのです。未来への希望は自分から創り出すもので、ここは自分の「考え」が見せている世界だから。

人間は、放っておくとネガティブに傾くように設計されているようなのです。
だから、

◉自分で自分を大切にすることは、人生でマスターする必須項目なのかもしれません。

何事も、まずは自分から、ですね。
自分を承認することからやってみます。

あなたの今日もまた素晴らしい一日でありますように。


編集後記:夏越の大祓だな、と思ったら、【「生きていること」を実感せよ】みたいな思いが上がってきて、この投稿になりました。自分と向き合う日のようです。何度も、自分責めをする自分を、もう手放そうと決めているのに、やっぱり何だか自分なんて・・とやりがちな私ですが、それはもう閉じる扉の向こうへ感謝とともに封印していこう。なんて気持ちでいます。
もっと自由に、言いたいことが言える私になりたい。なろうよ!
表面的な仲良しごっことかじゃないの、本当の仲良しでいよう。

この記事が参加している募集

#自己紹介

230,405件

#スキしてみて

526,139件

よろしければサポートお願いします! 進化のサポートいただけると嬉しいです❤️私もサポートする側になるために!