見出し画像

思い出の整理 沖縄〇にや 続き

書いた記事
思い出の整理 沖縄〇にや |dragoniata|note

共感的な縄張りの話をした。

そこから付け加え。
私は自己アピールや無意識に目立ちたい所がある人間だった。
それを自覚したのはこの団体のリーダーの影響だ。
無意識にこの人間と似通る特徴があった。

具体的にはわからない。しかし行動に惹かれるところがあった。創価学会に入っていること以外は。

私は面白がられることが好きだ。まじめな話以上に。
その部分が影響されたと思う。

魅かれる一方でこのリーダーは自分以上に目立ちたがり屋で、アピール宣伝をしてた。メーリングリストで。この目立ちたがりさがメンバーに影響し、よさこい踊りに対する自己陶酔性が特徴化されたのかもしれない。

それが自分に影響されて、似た者同士の錯覚を生み、苦しかった。
その為か自己アピール性が裏目に出た。水面下でウザがられたのだろう。
それ以上に、団体に逆切れされて留まったのもあった。

団体に入る前、学生時代の悲惨な経験の埋め合わせるための行動をしてた。
誰かに頼るだけ無駄と思った。カルトな創価がいたために。又は相談できる年上の人間はいても、学生間で話せるのはいない。いなかった。

逆に相談相手にされるだけだった。
こちらがしようにもできなかった。それは踊り団体でも同じだった。違うのは「相談してあげようか?」という哀れみを言ってくる人がいて、その言葉に平等性を感じた。それが失敗だった。

話戻す。
自己アピール性は団体のリーダーの方がよかった。「みんなのために」という発想でしている。それが私にはなかった。今も乏しい。
「みんなのために」が共感性を産むのだろう。ただよさこい踊りの完成された効率性にて成ってた。

ただリーダーも一方で話が長く。人の意見を聞いているように見えても、乏しい所もあったように思う。皮の厚い所もあるためか、美味しい所は自分が持って行ったりしてた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?