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沖縄の人間関係

 沖縄の人間の仲間意識は理想的だ。「いちゃりばちょーでー」とはいうが、出会えば兄弟とは言っても、仲間という理想はあれども、実際はかなりドライだ。仲間だとは言うがいざ頼ろうとすると手の平返したように、避けたり、フリをする。相談事は通じないと思ったほうが良い。特に内地の人間は。沖縄の人間に言うと「難しい事考えるな。楽しい事考えろ」と突き放す人が多い。それはそれで構わないが、一番いやなのは、人のことを心配してくる態度や、「悩んだら相談していいよ」と言う人達だ。いざ頼ろうとすると、手の平返したように避けだす。それが一番ウンザリして、トラウマになる。それでいて仲間意識を吹聴するのは卑怯に思う。この態度は「私はあなたの敵でない」という合図らしい。彼らは被害者意識強く、人の意見に対して目くじら立てたり、目で威圧する人がいる。それで「怖い人」として扱い、人を加害者扱いしてくる。そうなったら名誉挽回もない。何もしてないのに「暴力人間」扱いされていく。楽しい事だけが許容されてゆく。

 沖縄の人は仕事しても1年か2年でやめる人が多いとは言うが、やめる理由は年長者の人間に仕事を吹っ掛けられて残業していく事や、同僚と意見を同調させる事できつくてやめていくのかもしれない。群れるだけになる。結果的に。団結を言うが、それだけ。団結のみではいき苦しい。沖縄では仲間意識を誇張するが、幻想だ。誇張して主張したいだけ。群れるだけになる。結果的に。団結を言うが、それだけ。団結のみではいき苦しい。

もし年長者に逆らうと、年下の同世代の人間が年長者の代理人として、逆らった人間は袋叩きにされて服従を要求してくる。学生時代にそういう経験があり、今思うと年長者に逆らった結果だろう。

今でも思い出すと嫌になる。知識人の何人かは沖縄のすばらしさを語る。又は沖縄戦の大切さを語る。しかし、今の沖縄の現状について語るのは少ない。体験を語るのは乏しく、向こうの人間さえも笑顔で言わない。過去はいるが、必要なのは今の現状だ。向こうに行くと、同調して団結したり、群れると勢いに乗り出してゆく傾向がある。その割に団結はもろい。それはこれかもしれない。

「僕達はともかく誰かと一緒にいるけれど、いなきゃいけないようなところもある。踏み込んだ深い話は出来ない。本当に自分の事を理解出来る友達は少なくて、ぼくたちは孤独なのです」                 沖縄の基地問題を考えるためのヒント 樋口耕太郎×藤井誠二 (6)より(https://news.yahoo.co.jp/byline/fujiiseiji/20151009-00049813/)

仲間で群れても、深い話ができない。団結するために年長者の要素に左右されやすく、腹を割って話すと避けられる。思い返すだけでむせる。この仕組みの中で自分が飼い殺しにされいたことを思うと。何がチャンプルーだ! 向こうのマスコミの作り上げた幻想でないか! …と思ってしまう。沖縄に学生時代含めて、8年いたためか、しきりに仲間意識を強調して言う人がいたり、なんとなく群れて行って、時間も無駄をして不満だったことが多々ある。

沖縄とは何なんだろう?




 


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