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自己陶酔と価値

思えば、昔いた踊り団体は、価値と最大公約数の理念で自己陶酔している人が大半だった。

価値の効率化によって、伝播させることを目指してた。

高知ほにやからもらってきた、または、衣装とともに買って、暖簾分けされた証によって。踊りをΓ価値だ」としか言ってなく、それを元にマウントをとってただけな気がする。その上での集団化、仲間意識と言う理想。

大したものでないのに、大きな事だけは言ってたな。リーダーとその取り巻きらが。
存在価値はあったのだろうか?
踊りの価値より、集団の自己陶酔する価値しかなかった。

やっと言語にできた。

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