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BUT LOVE ME

【あらすじ】

とある詩人の話。
彼は、開けてしまう。
パンドラの箱を。それは本当に開けてはいけないものだったのか。
彼の思考を共有し、壊れてしまうのは、誰の意識なのか。
現実と彼の思考を行ったりきたり。最後まで正気でいられるのは誰なのか。




第一話 だけど、僕を愛して



——僕は開けてしまった
パンドラの箱を

ただ、興味が勝った。

理由を聞かれると、沢山のまとわりつく言い訳を引き剥がすと、そんな単純な事なのかもしれない。
けれどそれは、踏み入れてはならないものだった。
いや、本当にそうなのか。
頭の中で繰り返される、自問自答。
いつからこんな自分になってしまったのか。

いつから

いつから

いつから


僕はいつからか、詩人だった。

それは、いつからだったのか分からない。

本当の意味では。

ただの数字の羅列でなら、記憶している。

そんなこと、この世界では無意味だ。

この、奇妙な世界では。




『創造主』

創造したくなったんじゃない
創り出さなければ いけなくなったんだ

多分 気持ちって 形にしないと
飲み込まれてしまうんだ
自分が飲み込まれてしまう前に
引き剥がして 
置いておく必要があったんだ

沸々と湧き上がる 泉に気付いたから
泉が 無限に湧き上がると気付いたから

自分が飲み込まれてしまう前に
形を変えておく必要があったんだ

溺れて苦しくなってしまう前に
自分と一体化してしまう前に

多分 気持ちって 形にしないと
すぐに重たくなってしまうんだ
歪な形に変わってしまう前に
美しいまま 
形にしておく必要があったんだ

飲み込まれないようにしているだけ

僕は美しい創造主じゃない
だけれどそれでも 
溺れなければ

それで 良い

歪な形に変わる前の優しい気持ちを
残したいんだ

美しいものばかりで 埋め尽くしたいんだ

君がいる世界だから
君が傷つかないように 

君が包み込まれて 幸せになってくれたら
それは自分の幸せにもなるから

だから創造主になるよ

僕にも 美しく、作り出せる力があるならば



僕に、子供が生まれた。
この子は、僕と彼女から引き剥がされた感情の塊だ。創られる時に、僕たちが強く抱いていた感情の塊。
彼女の体に小さく宿り、大きく膨らんだ。
個の分裂。
そしてまた、この世界に数を増やす。
レイヤードされた世界。

私たちから生まれた感情の塊は、とても美しかった。幼な子とは思えない程に整った顔立ちで、その子の寝顔を見ると美しくてため息すら出てしまう。
その小さな感情の塊の産みの親は、幸いにも女神だった。
子供を愛おしく見つめ、優しく見守った。
その女神に、私も救われていた。

私は、子供にブルーの宝石のついたリングを、女神にはお揃いの宝石がついたネックレスをプレゼントした。
女神は微笑み、その場で着けてくれと、髪を束ね、私に背を向けた。
その後ろ姿も、見惚れるほどに美しかった。

彼女の影に隠れ、僕は真っ当な父親のふりをしていた。

詩人としての自分。
僕は言葉の生まれる根源の探究を始めた。

そしてある日、自分の感情の蓋を開けて覗き込んだら、溢れ出した本音で蓋が閉まらなくなった。

整えられた世界に、僕はみんなと一緒に並んでいた。
数年前まで。

今では考えられない。その整った隊列の中に、自分が収まれる気がしない。
僕は、奇妙な世界に取り込まれてしまったんだ。

微かに僕の頭に漂っていた疑問を追いかけ始めた。
ずっと本心では追いかけたかったもの。

誰も疑問視しない問題。
仮定しない世界。
あり得ない考え方。

奇妙だと思ったのは、似た様な顔の人間を分類し始めてからだ。

この人は友人に似ている。
この人は親戚に似ている。
この人は
この人は
この人は

パラレルワールドと言われる概念がある。
僕はその存在を知っている。
けれど、追い求めて行く程に奇妙な沼に嵌る感覚を覚えた。
パラレルワールドは、どこか別の場所に存在するものでは無い。
今、ここで重なり合っている。

自分のバージョン違いが無数に存在している。
同時に。
まるで分裂を繰り返す細胞の様に。
違う自分が違う人生を送っている。

最初に違和感を覚えたのは、彼に会ってからだ。名前は、ハドロン。
初めて会った時、彼の周りには白いモヤの様な物がみえた。
それから磁場が歪んだような、船酔いの様な気持ちの悪い感覚を覚えた。
その感覚に、彼が何か悪い物にでも取り憑かれているのかと思った。
けれど話をしていくうちに、奇妙な一致。直感とでもいうのか、そういうものを覚えた。
彼の最近はまっているカードゲームの話だった。
可愛い女の子のキャラクターのカードを集めて戦うのが流行っているという。
その中でもお気に入りの女の子のキャラクターの話をしていた。
けれど、聞けば聞く程にその女の子のキャラクターは、僕が仲良くしている子と趣味、生い立ち、好みの食べ物、性格まで同じだった。
一人目を聞いた時は、単なる偶然かと思った。
けれど、三人まで聞いて僕は、そのカードゲームに興味があるフリをしながらメモを取り始めた。
三人とも実在の人物と特徴があまりにも似過ぎていた。
単なる偶然で終わらせてしまうには、あまりにも……。
彼が家に帰った後、僕はこのカードゲームについて調べた。
カードゲームには疎かったから知らなかったが、最近流行りのゲームらしい。
登場人物は百人を超える。
発売されたのは、三年前。
三年前……。
僕の仲の良い女友達は、もちろんそれより前に生まれてきている。
キャラクターの参考にされた? そんな偶然があるのか?

ハドロンに会うたび、彼の近況を聞いた。
奇妙な事に、僕が興味を抱くものとハドロンの話す事柄は一致していた。

それから暫くして、彼に、ハドロンに自分の面影を見つけた。
別バージョンの自分。その呼び方がしっくりくる。


——僕は開けてしまった
パンドラの箱を

あれからどれくらい月日が流れたのか

私には、時間は重なり続けているものの様に感じた。
流れて行くものではなく、重なり、層を厚くする。

そして、私の行いが誰かの結果に結びつく。
カードゲームの登場人物が、実在の人物と同じ瞬間にそこに存在する様に。

卵が先か、鶏が先か。そういう様な感覚だ。
私の存在は、単なる私という個体の価値だけではない。
他の者と連動している。人生のレイヤード。

分かっている。誰かに話したところで馬鹿にされるだけだ。
この感覚は、この世界を感じた者にしか分からないのだ。

私は、この奇妙な世界の真実を暴こうと、色々な文献を読み漁った。
誰か私と同じ様な考えの者はいないのか。
どういう仕組みになっているのか。
物理学などの専門書は知らない言葉の羅列ばかりで、無知な私は理解するのにかなりの時間が掛かった。
今でもきちんと理解出来ているかと言われると自信は無い。

けれども調べていくうちに、自分で立てていた仮説が正しいのではないかという思いが強くなっていった。

この奇妙な感覚を共有し、探究してくれる人……
一人だけ心当たりがあったけれど、この世界ではどこを探しても彼は見つからなかった。
なんらかのズレによって彼に出会えない。時空の歪みなのか。パターンの変化なのか。

私は新たに頼りになる人物を探し出すしか方法を思いつかなかった。
物理学に詳しい人間、複雑な情報を整理できる人間、先入観を持たずに探求できる人間を。

私はこの情報を、詩人という権限を使って世の中に緩やかに浸透させた。
同じ考えを持っている人なら、きっと伝わるはずだ。
あとはこの信号に気づいた人からの連絡を待つだけで良い。
その人間がどういった人間かは、会えば分かるはずだ。
私と違う世界が見えているのならばそれはそれで情報として取り込めば良い。
もっと何か核心をつく様な真実に近づけるはずだ。
【全て】に。

人は私を何かに取り憑かれた変人だと思うだろう。
そういう者たちには、きっとまだ早いだけだ。【全て】を知るには。

きっと、【全て】は存在する。
その構造は多分、驚くほど簡単で、驚くほど複雑だ。

掴めそうで、掴めないのがもどかしい。
奇妙さに気付いてしまったからには、追い求めずにはいられない。
私を魅了して止まない、この世界の仕組み。

開けてしまった、パンドラの箱。
人生を大きく捻り曲げてしまう程の強烈な魅力。
底の見えない沼。

愛する者がそばに居るのに……。
狂おしく私を引き込むその沼は、きっと私のそばに居る者さえも飲み込むだろう。
狂気に満ちた探究。

他人には理解されない。
私はただの変人でしかない。
それで良い。

ああ、けれど、私は至って正気だ。



「パパー! また本なんて読んでいるの? そんな難しい本読んでどうするの? パパは詩人なんだから必要ないじゃない」
私の最愛の娘エランだ。
「知識は、何事も源泉になり得る。無駄な事はない。書物が語ることを過信しすぎるのも良くないがね」
「う〜ん。またそういう言い回し。だからパパは面倒くさがられるのよ」
「エランもそう思うのか」
「私は、そうは思わないわ……ちょっとくらいしか」
エランはそう言って笑った。それから付け加える様に言った。
「私は、【蒼の世界】の本が一番好き! 可愛い妖精が出てきて、冒険に出かけるの。とても美しい世界だったわ。ああいう本を読むのが良いのよ。想像力を膨らませるの」
「私の頭の中は、エランが思っているより、もっと想像力に富んでいるんだよ。それに、【蒼の世界】はパパの一番好きな本だよ」
「そうなの? でもパパの想像力は、いっつも小難しい事ばかりに使っているでしょう? そうじゃなくて、楽しくて、可愛くてハッピーな事に使ったら?」
「私はもう可愛いエランがいるから、楽しくて幸せ。だからもう十分なんだよ」
「ふふっ。私もパパの事大好き。パパの子供で幸せよ。……私、青いお花も好きなの。妖精のリリーはね、青いお花から生まれるから」
「……うん。そうだね」

「リリー、こういうお庭にあるようなお花から生まれるのかな」
「いや、リリーの生まれる花はこの世界では表現するのが難しいくらいに、もっと美しい」
「パパ、見てきた様な言い方」
「【蒼の世界】には詳しいからね」


私は、秘密の研究をしている。
相棒の彼は、私の秘密の研究室に約束の時間にやって来る。

「やあ。調子はどうだい」
「ああ、いい感じだ。また新たな事も分かったよ。君が来るのを待ってた。早くこの事を話たくて。他の者に話しても良いんだが、みんな理解するのに時間が掛かる」
「僕だけ特別扱いかい? 嬉しいね。ところで新たに分かったことって何だい?」
「物事はいつ決定するのかという事だよ」
「物事が?」
「ああ。運命論についてだ」
「あらかじめそうなる様に定められている。そういう話の事か? 私は信じない。いくらでも可能性はある。本人の頑張り次第でより良い状態に変えていけるものさ」
「そうだ。パターンは無限に存在する。全ては最初から決まっているのではない。瞬時に調和するのだ」
「調和する?」
「ああ、最初から物事はある結末に辿り着くように起こる出来事が決まっているという考え方がある。だが、私が考えるのは、そういったものはいくつもの可能性とパターンが存在していて、自分が行動を起こした瞬間に未来と言われるものと調和する様になっている。」
「未来と言われるもの?」
「ああ。未来とは今の言葉の定義そのままだと混乱を招く。」
「というのは?」
「先のものを指し示しているものでは無いからだ。まず、時間の概念から根底を覆す」
「……」
「後に起こっているとは限らないという事だよ」
「……?」
「時間は、前も後ろもない。全ては起こった瞬間に、調和するんだ。超調和状態だよ。静電気の性質の様に、不釣り合いの状態から、バランスの良い状態に戻ろうとする。君にも分かるかい?」
「いや、さっぱり」
「まあ、そうだろう。大抵誰も理解しない。けれど、これはきっと真実に近い。そうだ、調和状態なんだ。だから人間も惹かれ合う。調和しようとするんだ」
「惹かれ合うのは、話が別じゃないかな?」
「いや、だから不均衡な状態を調和するために惹かれ合うんだよ。なぜ人間は愛し合うのか。調和するためにだ。そう思わないか?」
「……?」
「自分に足りないものに惹かれるんだ。足りないものを補い合って、調和する。一緒に居る人と服装だったりにしても似てきたりするだろう?」
「まあ、自分の持っていないものを持っている人に惹かれるっていうのは分かるかな。確かに、仲の良い人は似てくるというのも分かる気がするし……」
「うん、そういう事だよ。だが、人間が惹かれ合うのはもっと他の理論もありそうだ。何事も答えを追い求めていくには、人間の一生は短すぎるね」
「何でもそうやって追い求めて考え過ぎですよ」
「探究心は、生きて行くには必要な衝動だろう? そうやって人間は進歩しているし、面白みを見出している」
「ええ、まあ。」

未知なる世界への探究と平穏で安定の生活、どちらが良いかと聞かれて前者だと答える者はどれだけいるのだろう。
新しい世界に不安と恐れを抱かない者はいるのだろうか。
何かが満ち足りないという思いに、気付いてしまった者はどれだけいるのだろう。


未知の世界を追い求めて行く程に、いま目の前にあるものを疎かにしてしまう自分に気付いていた。
ここじゃ無いどこか。もっと真実に近い場所。【全て】がある所。
私の頭はその場所を追い求めて止まない。
この、幸せで安全な場所に留まってしまいそうで。あの世界が垣間見えなくなりそうで、その場所を追い続けていた。

『カゲ』

君の強すぎる光は 
僕の影をやけにしっかりと映し出す

未熟な僕の輪郭を型取り
はっきりとそこに意志でもあるみたいに
不安な表情は無かったみたいに
まるでとても力強いみたいに

君の強すぎる光は 
僕の陰をやけにしっかりと映し出す

未熟な僕の内面を照らすように
はっきり欠点を指摘するみたいに
不安を炙り出して
まるで小さな存在になったみたいに

けれども僕は
不安があることに安心して
安心の中に不安を見つける

多分この陰さえも好きだ
君と居られるのなら

この影は美しいものだと思わないかい?
この陰は美しくも見えると思わないかい?
君に映し出されたものだから

全ては 引き立て合うように
夜に潜む孤独の闇とは違って 
増悪に潜む嫌悪の闇とは違って
何か美しいもから産み落とされたみたいに
その暗がりそのものが美しかった

きっと光があったから
僕のカゲすら綺麗だと思えたんだ

君の強すぎる光は 
僕のカゲをやけにしっかりと映し出す



私は、詩を書く。
何の為にかは、分からなかった。生み出さなければいけない。
ただその思いに駆られていた。

詩人になったのは、いつだ?



ある時私はとあるパターンに気付いてしまった。
そのパターンは、奇妙だった。
深掘りしていくと、相手も自分自身のような奇妙な感覚に襲われた。
私の発言、行動を鏡写しの様に相手が行う。
ハドロンだけでは無い。私のバージョン違いは、ハドロンだけでは無い!

会わなければ。私は会わなければ。
この世界を知っているある人に。【全て】へと導くある人に。
そうしなければおかしくなりそうだった。
どこにいる。どこにいるんだ。


私のせいで、なにか問題が起きてしまったらと考えると恐ろしくなった。
けれども走り出したら、もう引き返せない。
どうやって戻れば良いのか、私には分からない。そして、本心では戻りたくないと思っている。
今の私に出来ることは、嫌な予感が当たらぬ様にと願うばかりだ。
……大丈夫だ、そんな予感当たりはしない。

善良な顔をした、不誠実な自分が見えそうで怖かった。
善良であると信じたかった。
……大丈夫だ、私は誠実だ。

私のせいで
私のせいで
私のせいで

怖かった。恐ろしかった。

私の心の中に、巣食う感情。
ぞろぞろと私の中を這い回るむず痒さが、私を不安にさせた。

善良とは……?

ふと湧いて出た疑問。
奉仕する心?
無償の愛?
悪を正す心?

悪とは……?
 
……いや、待てよ。
辞書で善良を調べてみた。
『正直で素直な事』

偽らないこと。誤魔化さないこと。

私は、何かを勘違いしていたのか。
何か、とても正しい心を持った人のことだと思っていた。
善良な人間とは、
偽らない人。誤魔化さない人?
善良な人間とは……。

自分の思いも、偽らない。誤魔化さない?

善良な心。そうだ、必要なのは、善良な心だ。


恐ろしくなった。その世界に浸っていると、ひどく孤独で。
彼女という光さえも、自分の一部のように感じて。
自分しかこの世界に存在していない様な気持ちになって。
バラバラに、世界が乱雑に秩序を乱していることで、私の心は平穏を保つことが出来た。
別の者も存在しているという安心感。
【超調和状態】は恐ろしく完璧な世界だ。
いや、平和的で実に完璧すぎる世界だ。

無秩序になっていくのは、自然の摂理。
超調和状態へと変化していくことは、自然の摂理に反する。
つまりは、逆向きに移動している。超調和状態を感じることで、逸脱しているのだ。この世界から。

無秩序に慣れ親しんでいた私は、新しく現れたこの世界を、何かが完璧に崩れ去りそうで恐れていたんだ。

その何かを言葉で表すのなら……そうだ、
自我の崩壊。
きっと、そんなところだろう。


今日も相棒の彼は、私の所へと足を運ぶ。

「ああ、やっと来てくれたか。君に話したい事がまた出来たんだ。調和状態についてなんだが」
「また新たな考えが閃いたんですね。そのお話もとても興味があるんですが、私の話から先に良いですか?あなたのお話を聞いていると夢中になりすぎて、大事な用件を忘れてしまうので」 
「もちろんだとも。君が私に話を持って来てくれるなんて嬉しいね。それで、どういった話だい?」
「あなたは今まで私に沢山の面白い考えを教えてくれた。そろそろ二人だけでこの研究を進めていくのは卒業にしないかい? 発表するんですよ、世間に。あなたの研究結果をまとめて。私がその舞台を用意します。二人だけでこの面白味を味わうには、あなたの研究は壮大過ぎてもったいない。チームも大きくして良い段階だと私は思っています。どうでしょうか」
「……それについてはだね、私もそろそろその時が来たのではないかと考えていた所だよ。チームをつくる。とても優秀なチームをね。発表については……君がそれを望むのなら、そうしよう。いい機会だ」
「ええ。あなたが乗り気になってくれて良かった。実は緊張していたのですよ、何てお返事をいただけるのか。では、進めていきましょう。発表する舞台と、人材探しを。私も優秀な人材には心当たりがあります。彼らなら、きっとこの研究を理解し、大きく前進させてくれるでしょう」
「君の認める者なら間違いないだろう。ぜひ、紹介を頼むよ」
「はい。では、近い内に顔合わせ出来るよう段取りしておきます」
「私も資料の方を整理しておくよ」
「……それでは、改めて新しい考え、先ほどからずっと気になっていたのですが【調和状態】について。だったか、聞かせて貰えますか」
「ああ。その前に今日はコーヒーでも淹れる事にしよう。そこにかけてくれ」
そう言って彼を広めのソファへと座るよう促した。

私は丁寧に淹れたコーヒーを彼の前に置き、ミルクを添えた。
自分も向かいのソファに腰掛け、コーヒーにミルクを落として、先程の話を続けた。
「我々は、コーヒーとミルクなのだよ」
「コーヒーとミルク?」
「コーヒーの中にミルクを落とすと、勝手にゆっくり混ざり始める。つまりは、人間も同じ事が起きている。同じ空間にいる事で、混ざり合うんだよ。目に見えないレベルでね。それは、意識が混ざり合って変化しているのかもしれないし、細胞レベルの変化かもしれない。その可能性は大いにあるだろう?」
「でも、人間はドロドロと溶けたりしない。同じ部屋にいたり、触れ合う事で混ざり合っているようには思えないのですが」
「ああ。だから、変化している事に気づく者が少ない。我々はスライム状に見えないからね。触れ合う事で互いに干渉し合うとは、思えないのだよ。まあ、こう考えたのにも理由がある。それも今、資料にまとめている所だよ」
「楽しみにしています。私でも理解出来ると良いのですが」
「いや、いいんだ。君は素直な感想を言ってくれれば。私の気づかない何かに、いつも君は気づいてくれるからね」
「私でも、役に立てているならば良かった」
「もちろんだとも。いつも頼りにしている」


私に、転機が訪れた。
沢山の人の前で、自分の作品について語ってくれないかと。依頼が来た。
私は自分が異質な存在だと自覚していた。
だからある意味、自分の作品に身を隠し、この世界の住人に本体が見つからない様にしていた。
けれどもその依頼が今の私には、遠く追い求めていた【全て】へ辿り着く道筋にも見えた。
何かを大きく変えられる気がした。私は快諾し、その準備を進めた。何かが始まる。その予感と共に。

……私は、正直焦っていたんだ。
この身が老いてしまう前に、【全て】に辿り着かなければと。


『夢』

夢から覚めてしまいたくなくて
現実から目を背けた
慌ただしく過ぎるものが多くて

雑音が耳をかすめる
騒がしい時間が嫌で
全てかき消してしまいそうで

ずっと夢を見ていたいんだ
いつまでも
眠り続けていたい



「ジャン、最近変よ。心ここに在らずな感じで。何か私に隠していることがあるんでしょ?」
「なんで急にそんな事を言うんだ?」
「急にじゃないわ。ずっとよ。最初は気のせいだと思ってた。仕事が忙しいからだって。だけど、最近は独り言も増えたし、ずっと何かを調べてる。仕事のことじゃないんでしょ?」
「気のせいだよ」私は目を逸らさずに、しっかりと答えた。
「私には、最近あなたの考えている事が分からない。あなたが心を開いてくれていないように思うの」
不安そうな女神に、なおも目を逸らさずに返した。
「私は、なるべく君には話そうとしている。可能な限りね。全てをうまく説明するのが難しいんだよ。君は何でも知りたがるけどね」
「あなたは、何か大事な事を隠しているようにも見える」
「君に理解してもらえる様に、喋っているつもりなんだけどね」
「……じゃあ、もうこれ以上聞かないわ。……責め立てたいわけじゃないの」
「ああ。私も不安にさせて悪かったね」
私は、女神の頭を撫でた。

女神には、本当の事を言えなかった。
私が彼女を汚してしまいそうで。
彼女には女神のままでいて欲しかった。

笑い合える関係だった。
何も知らなければ、開けなければ。
のっぺりとした、表面だけ捉えたもので良いならば。
足りなかった。私にはそれでは足りなかったんだ。

数日のうちに、女神は私を責め立てるように言った。

「……いつからなの? あなたが追い求めているのは、何? 誰かなの?」
「何の事を言っているんだ?」
「本当はわかっているんでしょ?」

苛立ちに混ざる細やかな彼女の感情を、言葉から全て拾うにはもどかしく、どこか正解とは言い切れない。
「……何で、話してくれないの? 私は本当の事を知りたいだけ。ただ、それだけ。そしたらあなたを責めたりしないわ。……嫌なのよ。あなたを理解出来ていないことが。あなたには、そんな私の気持ちが分からないんでしょ? 逃げ続けてるのよ、私から」

私を突き放す冷たい言葉に、時折混ざる、正反対の意味合い。不協和音。
彼女自身は気付いているのだろうか。彼女自身の感情の衝突を。

怒りは爆発的なエネルギーを生む。
破壊的で、攻撃的で、時に創造的で、新しく作り変える力を持つ。
小さな一個体から発せられる、溢れ出す怒りのエネルギーは、周りの者を怖ばらせ、縮こまらせ、まとめ上げ奮起させる。

やり場の無い怒りを、ただ消火させるには惜しく、一個体の中でグルグルと放出するその時を待たせるには、勿体無いエネルギー量だ。

そんな事を、ただ淡々と感じている私は冷たいのだろうか。
怒りの感情に寄り添うべき時、またはなだめる時なのだろう。
けれども、何でその様なことにそんなにも怒れるのだろうかと言うのが、私の正直な感想だ。

「私は、自立しているわ。あなたに頼ってばかりじゃない。理解者にもなれる。支えられるわ。……あなたが頼ってくれさえすれば」
違和感のある首元に、ブルーの宝石が光り、執着心がチラつく。

純粋な狂気。
その瞳に、怒りは見えない。いや、あるのかも知れない。瞳の奥底には。
けれども、私の目に映るのはただの純粋な想い。優しく、冷たい狂気。その気持ちに、答えたくなった。彼女が踏み込んだ。私の、侵してはならない場所へ。

ああ、そうだ。告白しよう。
私はあの時から囚われているんだ。

【蒼の世界】ただの物語では無い。
空想では無い。

女神に問い詰められ、私はそのままを彼女に話した。
何もかもだ。
「ただの作り話よ。存在なんてしないわ」
「いいや、いるんだよ。妖精は。君たちには分からないのか? あの世界が」
「現実と作り話の違いも分からなくなってしまったの? あなた。どうしちゃったの?」
「どうもしていない。私は正気だ」
女神が信じてくれるかは分からない。けれど私は信じている。
彼女なら分かってくれると。伝わると。

妖精はいる! いるんだよ! 実際に!

初めて妖精の君を見た時、純粋に綺麗だと思った。
その時から、僕の心は君から離れなくなってしまったんだ。

妖精に、恋をした。
この世界では作り話の妖精に、だ。
馬鹿げているとみんな笑うだろう。
ずっとひた隠しにしていた。いや、自分自身をも誤魔化したかった。
きっと永遠に叶わない想いだと自分でも本心では分かっていたから。
けれど、どんなにもがいても違うものに目を向けてみても君の姿が私の人生にチラつくんだ。
私が言葉にしない様にしていたとしても。

こんなに恋しくても、会えない。
会いたいだけなんだ、君に。
純粋に、狂気だとしても。

運命というものはあるのだろうか。私も単なる歯車に過ぎないのか。

私はどうやって過ごしたら良いんだ。
君が姿を見せないこの世界で。この途方もなく長い人生を。

ただ自分は特別だと信じていたい。
君に特別だと思ってもらえる様に。

『君は』

君は強くて弱い
だから 隣にいたい
笑っている君の心が覗きたくて
倒れてしまいそうなら 支えたくて
僕の元気を分け与えたくて

君の握力は弱い
何でもすぐに落として
慌てて拾って
僕の手を握る力も弱いから
しっかり僕が繋いでおかないとダメなんだ

僕は弱いけど強い
打ちひしがれても
しっかり立っていられるから
笑うことが出来るから

君の握りしめる力は強い
つかまえた夢は離さないから
どんなに小さな希望も
見つけ出して拾えるから

僕にいつだって 元気をくれるんだ


そうだ。大切なのはきっと、善良な心。

——素直に、正直に。

君が恋しい。
君に会いたい。
あの時間は、夢だったのか。
目を瞑り、君との時間を辿っている。
私ばかりが追いかけても、きっとどうにもならないんだ。
君も、私を追いかけてくれないと。

……いや、君は逃してくれたんだ。きっと。
本当は……、逃げたんだ。君の本気から。

あの時、僕は立ち向かったんじゃない。
君の本気から、きっと逃げたんだ。受け止めきれなかった。全てを。
ただ、用意してくれた道へと、進んだだけだ。

…ああ、君は本当に存在しているのか?
僕はおかしくなってしまったのか?

女神は本当にここにいるのか?
女神の手を握り締め、体温を感じ、別の存在であるはずだと感じようとする。
けれども僕の頭は、目の前にいる別の存在さえも僕自身だと認識しようとしている。

そして気付いた。

ああ。そうか。

君は、僕で

僕は、君だ。

ずっと繋がっていた。
ここにいたんだ。私の中に。

孤独をかき消すように、もがいている。
僕は誰だ。

詩人になったのは、いつだ?

自我の崩壊。

——そうだ。【全て】は最初から決まっているのではない。瞬時に調和するのだ
勝手に、僕たちが生み出し続けている。
【全て】は、あるもので、ないものだ。

私が書いたから、そうなった。

私が書いたから。

その事実に、気付いてしまった。

生み出し、その世界に浸っている。


私は、詩を書く。
そして世界を創る。
レイヤードされた世界だ。

何かが私を駆り立てる。
そして、【全て】を創り出す。

言い訳をしていたのは、自分自身だ。
君の存在を信じきれないのも、きっと自分自身だ。

【蒼の世界】

遠い世界。
手の届かない世界。
なのに、僕は心から望んでしまう。


だけど、
僕を愛して。

君を、愛しているんだ。



この世界が、僕の単なる

空想だとしても。



第二話


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