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他人が自分をどう見るかは、見る人の問題である

一言でいうと

脳が忙しいとき、しっかりとした考察はなされにくい

活用シーン

人間関係

内容


ハーバード大学ダニエル・ギルバートの研究。

女性の被験者たちに七つのビデオを見てもらう。
ビデオでは若い女性が初対面の人と話をしている。
それぞれの映像には字幕がついていて、女性が相手と話しているトピックが示され、音声はありません。
七つのうち五つのビデオでは、女性は見るからに不安そうで落ち着きがありません。

被験者の一部には、なにか不安を生じるような話題をビデオの女性がしていると思うように誘導しました。具体的には、秘密、個人的な挫折、屈辱的な出来事、性的空想などに関する字幕を出したのです。

被験者の残りの人たちには、ビデオの女性たちが普通の話題(評判の本、良いレストラン、海外旅行など)について語っていると知らせます。

さらにそれぞれのグループの半分の参加者には、映像を見ながら会話のトピックを暗記するように指示し、他の事柄を考えられないようにしました。

整理すると・・・
A:不安な話題を話すビデオと思わせ、暗記の指示を出さなかったグループ
B:不安な話題を話すビデオを思わせ、会話のトピックを暗示するよう指示されたグループ
C:普通の話題を話しビデオと思わせ、暗記の指示を出さなかったグループ
D:普通の話題を話すビデオと思わせ、会話のトピックを暗示するよう指示されたグループ
という4つのパターンで実験をおこなった。

結果として、B、Dの「暗記」の指示をされたグループの人は、ビデオの女性の様子を判断できませんでした。

一方、ビデオの女性は「心配性か?」という問いに対し、B,Dのように暗記の指示をされ、「脳が忙しい」グループはビデオの中の女性の状況を考慮して判断していない傾向がありました。逆に、A、Cのように、暗記の指示がなく「脳が忙しくない状態」にあった人は、ビデオ内の女性のストレスをしっかりと観察し、彼女が心配症であるかどうかを判断した。

つまり、人が他人を見るとき、自分の脳が忙しいと正しい考察を行わない、という事が観察された。

だれもわかってくれない: 傷つかないための心理学
ハイディ・グラント・ハルヴァーソン (著)

人が人を評価するときに、自分の状況の影響を受ける。
これ、けっこう危険です。
たとえば、新しい人との出会いがあったとして、その時に相手の頭のなかが「ゆとりがあるか」、「考え事で忙しいか」によってその人に対する印象が濃くなったり薄くなったり、という事があるわけです。

逆に言うと、私達は、常に自分のことを「正しく見てもらっているわけではない」という事を意識しておいたほうがいいかもしれません。自分は本当はこんな人間なのに、誰一人分かってくれない・・・と言っても仕方のない話なのかもしれません。自分には自分の都合があって、こう見られたいという思いがあるのと同様、相手には相手の都合があるわけです。

そもそも、人間関係のむずかしさというのはそんなところにあるのかもしれません。


それは人間そのものだけでなく、例えばこういったnoteや、ブログ、書籍などの文章も同様ではないかと思うのです。自分はこんなつもりで書いたのに、相手が時として「よくそんな曲がった捉え方ができるよね」と思うほどに捻じ曲げて解釈することはあるものです。

しかし、見せる相手が固有名詞で話できる友人ならいざ知らず、公に公表する以上は、出した文章や作品の解釈は自分のものではなく、それを手にした人のものである、という事で割り切ったほうが楽じゃないか、と最近思います。そもそも人に、「これはこう解釈すべきものだ」なんて講釈を垂れるのはおこがましいのかもしれません。

文章であれ芸術であれ、生み出す人と、受け取る人の解釈は違っていてあたりまえ。作って公に出す者のスタンスとしては、受け取り手にゆだねるのが現実的じゃないかと思います。

交友関係においても、自分がこういう人間である、という確固とした生き方は大事だと思います。しかしそれを、どう捉えようとそれは周囲の人の問題。相手の受け取り方までを変えようとしても自分が苦しむだけじゃないかな、と思うのですがいかがでしょうか。


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