言葉と思考が作る世界
私たちが見ている世界というのは、案外あやふやなもの。
「さっき目の前を通った赤いポルシェだけど…」
なんていう風に話しかけられると、実際に見たのはシルバーのポルシェだったのに、記憶の中では赤いポルシェにすり替わることがけっこうある。
これが目に見えないことだとなおさら。
たとえば、「じつはAさんって、すごくいい人に見えるけど裏では人の悪口ばっかり言ってるんだよ」なんて言われたとする。
Aさんに関心があるとか、Aさんの子と結構好きだな、と思っている人は、「え?ほんと?」とちょっと驚くかもしれない。
で、一人になった時しみじみと、陰口を言っているAさんの姿が頭に浮かべられたりする。
逆に、Aさんに何の関心もなければ、もしかしたらこれがきっかけでAさんに関心が向けられるかもしれない。これが自分の世界にAさんの存在感が生まれる瞬間かも知れない。
若い人なら恋愛に例えると一番わかりやすいかもしれない。
Bさんはあなたのことを好きらしいよ、なんていわれると、自分の中でBさんが赤丸急上昇になる。気になりすぎて、気が付けばいつもBさんを眼で追う。そして、そんな自分に、「Bさんのことを好きなのかも」となる経験、多くの人があるんじゃないだろうか。
逆に大好きなCさんが、「実はCさんって誠実そうに見えて、けっこう異性との交遊が派手」なんていわれると、そんなシーンを想像する。
Aさんも、Bさんも、Cさんも、
本人はただ自分の日々を生きてるだけなんだけど、
それを見ている私たちは、ちょっとしたことでAさん、Bさん、Cさんへの評価が変わる。
Aさんや、Bさんや、Cさんにとってみたらたまったものではありません。
で、彼らができる対策というのはただ一つ。
人の評価なんてアテにしないこと。
さて、私たちはそんな風に、ある意味勝手な世界を作り上げ、
勝手な世界をみているようだ。
その世界を作り上げているのが、言葉と思考。
ところで、悟りとはなんぞや?というとき、「物ごとをありのまま見ること」という表現をすることがある様子。一見簡単に見えるけど難しいのは、私たちは無意識に言葉と思考で自分の勝手な世界を作り上げているという部分。
この言葉と思考との距離を取ることが、悟りに近づく一歩なのかもしれない。(そもそも悟りに近づきたいのかどうかは知らないけど…笑)
ただ、大事なのは、言葉と思考がちょっと偏った世界を作り出している可能性がある、ということ。そのことに気付くことが、実は幸せな人生への第一歩なのかも、なんてことを最近感じ始めています。
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