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小説『君の背中に見た夢は』の印税の一部をあしなが育英会に寄付しました

2ヶ月ほど前になるが、小学校受験をテーマとした小説『君の背中に見た夢は』を上梓した。小学校受験は想像していたよりも奥深く、取材を始める前に持っていたネガティブなイメージは一変した。本作の執筆は非常に刺激的な体験だった。

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社会の停滞感が強まる中、教育に対する人々の関心は高まる一方だ。大学の選抜方法や中学受験の傾向、早期英語教育のあり方など、SNSを開けば毎日のように喧々諤々の議論が交わされている。小学校受験はその最前線なのだろう。

個人的にこうした流れは大変興味深く、小説の題材として教育を扱ったことは間違っていなかったと改めて感じる。その一方で、人々が教育に関心を寄せれば寄せるほど、資金を投じることができる層とそうでない人たちの格差が拡大していくことについて、肯定的に受け止めることができないという感覚もある。

現代の日本社会において、教育が格差の再生産と社会階層の固定化を促進する作用を持っていることは疑いないだろう。国を挙げて国家を支える人材を育成するという明治維新後以来の哲学はすでに過去のものとなり、教育とは我が子を少しでも良い席に座らせることを目的とした、極めて私的なものになった。

先日、「奨学金は借金であり帳消しにすべきだ」という大学生の意見がSNSで炎上していた。低利子の奨学金が果たしてきた役割の大きさを思えば筋の悪い主張だとは思うが、幼少期から惜しみなく教育費用をかけられて育った人と、何の支援もなく大学卒業時点で数百万円の借金を背負った人が同じ土俵で競う社会が果たして健全なのかという本質的な議論は置きざりにされたままだったように思う。

本件に限らず、モヤモヤしたものを抱えながら執筆している途中、あしなが育英会から遺児の母親による作文集『星になったあなたへ』を頂いた。夫に先立たれ、女手ひとつで子供を育てている母親の声を集めたものだ。どのエピソードも壮絶で、多額の借金を抱えたまま夫が急逝し、6人の子どもと一家心中を考えたところで子供に止められたという話すらあった。これは遠い世界の話ではなく、小学校受験がブームとなっている国の出来事だ。

私も人の親であり、我が子の将来の選択肢を増やしたい、少しでも良い人生を歩んで欲しいと教育費を積み増す人たちの気持ちは痛いほど分かる。ただ、自分の子供を有利にするためだけに教育が存在するような社会は果たして子どもたちのためになるのだろうか。SNSで話題になるような、親の愛情が教育費の多寡で計られるような昨今の歪んだ文化に対してはかなり懐疑的な視線を向けている。

ちなみに先程紹介した、一家心中を考えたもののギリギリの所で踏みとどまった母親だが、その方のお子さんたちは国立大を出て医者になったり、幼稚園の先生になったりしたそうだ。教育が本来の目的を果たした好例であり、早期教育の効用や効率的な受験の突破方法だけでなく、こうした話がもっと広く社会で共有されるべきなのではないかとも感じる。

前作と同じく、『君の背中に見た夢は』の印税の一部を遺児支援を行っっているあしなが育英会に寄付することにした。どんな綺麗事を言おうが、中学受験や小学校受験をテーマにして人々を煽る私もまた、この社会の歪みを作り出している一員だ。せめてもの罪滅ぼしという意味も込め、作家を続けられるうちはこの取り組みを継続したい。

私は格差や社会階層が固定化された社会は脆弱であり、放置されるべきではないと確信している。国家や経済の仕組みが格差の拡大を止められないならば、せめて個人個人の善意が集まり、運悪く恵まれない立場に置かれた子供の学ぶ意志を後押しできる社会であってほしい。

あしなが育英会のような取り組みはもっと広く知られるべきだと思うし、我が子により良い教育を与えてあげたいという思いを持つ親御さんの思いが1%でも他の子供に向かうようになって欲しい。

長々と書いてきたが、あしなが育英会の理念に共感していただける方がいれば、是非。少額からでも構わないので。



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