料理にかけられた呪い
今の私は料理が好きだ。食べたいから作るのではなく、作ってみたいから作る、という時もある。義務になったら嫌になるから、作る気がない時は作らない。
ある時期意図的に、自分の中で、子供のお絵描きとかプラモデル作り、みたいなジャンルに料理を入れた。やりたいからやる事。何かができる事が嬉しい事。
それまでは、嫌いではないけれども、生活の中でやらなきゃいけないこと、というジャンルだった。
「料理」に対しては、人によって様々なイメージや意味づけがある。
戦後、テレビの料理番組のコンセプトは「料亭の味をご家庭に」だったそうだ。料亭や本格レストランの調理人さんが先生として、お店でやっている事、プロの手順を教えた。専業主婦が増えた時期とも重なったのだろう。いつのまにか、この、プロがお店でやる手順が、家庭料理の基本みたいになってしまったそうだ。(主婦には他にやる事がたくさんあるのに)
それ以前は家庭料理で鰹節削って出汁をとったり、色止めしたり、下茹でしたり、あく抜きしたり、酢水につけたり、等はしてなかった、とのこと。おかずの種類だって、そんなに多くはなかった、と。加えて手間暇かけるのが愛情のあかし、立派な主婦、義務、女らしい事、等と変な意味づけまでされてしまった。
実際には、料理の工程には、①その味を成立させるため、食べてもお腹壊さないために必要なもの ②料亭の味に近づけるために必要なもの ➂見た目をよくするために必要なものがあり、家庭料理なら、①だけで十分なのだ。おまけに②➂の工程の多くは、食材の栄養価を下げてしまう。①だけなら、それほど手間暇かけずにおいしく栄養あるものを食べることができる。
それなのに、①②➂すべての手順が必要なもの、とされてきた。そのせいで料理というとやたら手間暇かかるものみたいなイメージがついて、料理嫌いや料理が苦痛になる人が増えてしまったという。手間を省いたら省いたで、手抜き、愛情不足、女らしくない、と非難されたり罪悪感持ったり。私だって、そんな環境にいたら料理は嫌いになっただろう。
近年やっと、家庭料理とお店の料理は目的が違う、と言う「料理の先生」が出てきたし、一般家庭での作り方をシェアできるプラットフォームも増えてきた。料理に対する変な意味づけやプレッシャーが変わればいいなと思う。
今の私は、料理の手順から①を抜き出して、簡単においしいものを作ることを喜びにしている。