映画えんとつ町のプペル~子供ですら夢を語ったらバカにされる世界で~
号泣するからマスクの替えを持っていけ
と言われてる映画えんとつ町のプペル。
全てのシーンでクオリティに圧倒される。
どうしてもこういう表現になってしまうけど
映像も音楽も動きも、ハリウッド映画のよう。
物語には、
地域通貨である腐るお金を中央銀行から守るために
外の世界から隠れた町が
いつのまにか監視社会みたいになって…
異端を許さない社会になってしまった…という背景が。
腐るお金の発案者シルビオゲゼルの名前からか
シルビオレターという人物も。
お金が腐ればため込むことができないので個人が過剰に所有することもなく使うので、経済がまわるという発想。
それでうまくいってたのに、中央銀行につぶされた過去があるため、町ごと隠れて、えんとつで煙を常にたいて、外から町の存在がわからないようにして250年過ぎた。
外から隠れるためだったのに、いつのまにか、人々は星や外の世界の事を忘れる。町の権力者は、人々が外の世界の事など思いつかないように、異端審問所作ってパトロールまでしてる。
人々が幸せになるための仕組みだったはずなのに、もはや何が目的なのかもわからない…。そういう事って、よくあるような。
そんな中、星があるという話を聞き、星を見る事をあきらめない親子がいた。
みんな均質化して、変わった事しないように、夢なんか見ないように、周囲に合わせて生きてるのに、
そんな事言う奴は徹底的に攻撃される。
夢を追いかけるのをあきらめて折り合いをつけた人間であるほど、バカみたいにあきらめてない人間の事が許せないんだろう。
だって、もし、そいつが正しかったとしたら、自分は何のためにあきらめたのかわからなくなるから。
私が子供の頃、母が誰かと話してるのを聞いた。
「かおるちゃんは大きくなったら、なんになりたいって言ってるの?」
「歌手になりたいって」
「あら、かおるちゃんも案外かわいいのね」
そのおばちゃんの言葉を聞いて、
歌手になりたいなんて子供っぽいんだ、そういう事は言ったら恥ずかしい事なんだって刻まれた。
子供でも、そういう空気は敏感に感じ取る。「現実的」な事以外めざしちゃダメなんだ、と。
どこかで折り合いをつけて生きてしまう。
だから、夢を追いかけてバカにして攻撃する側の気持ちもわかる。
映画では、あきらめなかった主人公たちが、
やり遂げようとしたとき、
すっかりあきらめきって攻撃してた人たちが
協力者に転向していく姿も描かれてる。
批判してた人たちの心の奥底に眠ってたものが
現れてきた瞬間だろう。
繰り返し見たい映画と出会った。