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名もなきトースト

小学生の頃、トーストにはまったことがある。
いや、とろけるチーズやおしゃれな具をのせた今どきのトーストではない。第一、当時のわが家はまだオーブントースターではなかった。ポップアップ式の、赤い地に白抜きの花柄がついた、ザ・昭和のトースターでパンを焼いていた。私が夢中になったのは6枚切りの食パンをただトースターで焼いてバターを塗っただけの、シンプルなトースト。そうか、パンがおいしかったのか、なんて聞かないでほしい。近所の生協で母が買ってきた普通の角食パンだ。

バタートーストはなぜこんなにもおいしいのだろう。そのおいしさにとりつかれていた。いつもは家族全員で食卓を囲んでいるのだが、ある日曜日の朝どういうわけか私は一人で朝食をとることになった。寝坊でもしたのか、それとも妹や弟は他の用で早く出かけてしまったか。状況は覚えていない。忙しくしていた母から「パンを焼いて自分で食べなさい」と言われてぽつんと一人、食卓についた。

トースターにパンを一枚入れて焼き、牛乳をコップに注ぐ。バターは室温でちょうどやわらかくなっている。パンにバターを塗って食べる。焼けたパンの香ばしい匂いが心をくすぐる。カリッとしたパンの耳も悪くないが、バターを塗ってしっとりした部分がやはりおいしい。
あっという間に食べ終わってしまい、もっと食べようと二枚目を焼く。そのパンもすぐに食べ終えてしまう。おいしい。そう思いながら次のパンを焼く。焼けたパンにバターを塗って食べる。おいしい。パンを焼く。バターを塗って食べる。牛乳を飲む。

ふと気づくと、パンを一袋食べてしまっていた。

母がやってきて、これ全部食べたの?と呆れ顔で言う。私はおなかがいっぱいになり、もう何も考えられない幸せな状態だ。叱られたかもしれないが覚えておらず、その満足感だけが記憶にある。

だいたいにして私はそういう性分なのだが、すぐに何かに没頭してしまう。やがてトーストを分解して食べ始めた。まず耳を外す。食パンにおいて耳と中身は別物である。耳の最大の弱点はモサモサして硬いことだ。はずした耳にバターを塗ればいいのだと子供の浅知恵で考えてやってみたが、食べてみるとバターを塗っても耳の硬さはあまり改善されないことがわかった。
次に、白い部分にとりかかる。トーストしてあるから、表と裏には焼き目がついている。バターを塗り、ふと思いついてバターのついた面とバターのついていない面を、はがして2枚に分けた。バターのついている面を食べてみる。

とてつもなくおいしい…!

薄いパンにたっぷりとバターがしみ込んでいて、ちょっとおおげさにいえば、パンとバターが1:1である。凡庸な小学生がトーストのおいしさはバターのうまみなのだと気がついた瞬間だ。ちなみに(当然だが)バターのついていない面はやはりいまひとつだった。
そうなると、次にやることは決まっている。バターの両面塗りだ。表にも裏にもバターを塗る。どうにもならない耳はまずかじってしまい、その後で表と裏に分けて食べる。手がバターでべたべたになるのは子供にとって特に気にすべき点ではない。指をなめれば解決。
「トーストの完璧な食べ方」を発見した私は、しばらくその食べ方をしていた。母は何も言わなかったが、父にみつかり「行儀が悪い」と叱られた。マナーの問題というより、そもそもパンを食べるのにバターを使いすぎるということだったにちがいない。
私のトースト熱は終わった。私は耳をはずすこともなく、焼いたパンの表にだけバターを薄く塗って食べるようになった。

花柄のトースターはやがて、厚切りパンが焼けるトースターに進化した。そのあと、いよいよオーブントースターが家にやってきた。ピザトーストやチーズトーストを作って食べてその新しさにびっくりした。オーブントースターは毎朝パンを焼き続けると何年かで壊れる。結婚してから三十年ちかく朝はずっとパンだから、トースターは何台か買い換えた。今はパンがおいしく焼けるというトースターを使っている。水を入れてスチームの力を借りるようだ。慣れると普通になってしまう。私たちはいろいろなものを日常化していく。

いま「トースト」とネットで検索すると、華やかなトーストがたくさん出てくる。チーズトースト、フレンチトースト、どこそこのおいしいパン、おいしいバター、最高のトースター、網焼きもいいらしい。トーストはネットではキラキラと輝ける存在だ。
でも、わが家で毎朝食べているのは誰に自慢できるでもない普通のトースト。近所で買った角食パンを無造作に焼いてバターを塗る。ときどきジャムをのせたりするが、とくに工夫はしない。ただ食べる。十分においしい。幸い、わが家にはパン一斤を一度に食べてしまう娘はいないので、パンを買うのも数日に一度で大丈夫だ。

今日もパンを買いに行く。自分がこれまでに食べたトーストを積み上げたらどのぐらいのタワーになるだろうか、なんて楽しい想像をしながら。特別ではないごく普通の四角いパンだからこそ、堅実に積んでいくことができるのだ。明日の朝も、トーストと、コーヒーと、スープ。いつも通りの朝ごはん。明日の朝になれば私は名もなきトーストをまた一枚、タワーの上に積み上げるだろう。

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※このnoteは、「AJINOMOTO PARK」編集部×noteの「#おいしいはたのしい」コンテストの参考作品として、書かせていただきました。
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読んでくださってありがとうございました。日本をスープの国にする野望を持っています。サポートがたまったらあたらしい鍋を買ってレポートしますね。