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正しい野望を持つということ

スープ作家の有賀薫です。今日の夕方、秋に出たcakes発『スープ・レッスン』の4刷りが決まったという報せを受け取りました。

#noteでよかったこと というハッシュタグがあります。ちょっと遅ればせながら、私もnoteをはじめてからこれまでの話を書いてみようかなと思います。
人のうまくいった話って何の役にも立たないことが多いので、もしひとつの話として興味があれば、読んでください。暑苦しくて長くて、こういうことを書くのは苦手なんですが、いまだからこそ、ここに書いておいた方がいいような気がしました。

noteもcakesも知らない方に、簡単な紹介をしておきます。(ユーザーは読み飛ばしてください)
「note(ノート)」は「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする」をミッションにしたプラットフォームです。この文章もnote上で書かれています。小説、エッセイ、写真、イラスト、漫画、料理、ビジネス、デザインなど、芸術から実用まで多岐にわたるジャンルで、プロアマ問わず誰でも参加し、作品を発表できます。記事に直接課金して、作品を販売できるのも大きなポイント。力や人気のあるクリエイターには、出版などの道も用意されています。
一方、noteの姉妹媒体「cakes(ケイクス)」はさまざまなジャンルのクリエイターが参加する有料のウェブメディアです。noteとは違い編集者がつくことで、より質の高いコンテンツを提供しています。

noteから『スープ・レッスン』cakes連載まで

『スープ・レッスン』は、cakesでの同タイトルの連載をまとめた本です。この本の、そもそものはじまりは、4年半前にさかのぼります。

私のnote初投稿は、2014年4月7日。noteがスタートアップした日にアカウントをとって、投稿していました。これはちょっと自慢できることかもしれません。

最初はスープだけではなく、食べ物の絵や、サンドイッチやお菓子の写真なんかも載せていました。この頃は自分の表現といえば、レシピより絵や写真でしたので、テキストはあまり書いていなかったんです。

でも、スープ作家としてやっていこうと思って、noteに掲載する記事もスープに絞り、レシピなども定期的に投稿するようになりました。それから1年ほど経った、2015年11月。noteで募集されていたcakesクリエイターコンテストに応募して、佳作をいただきました。

受賞作品です。今なら、編集部のおすすめ記事にしてもらえるかどうか…というレベルですが、当時は料理のコンテンツも少なかったですし、何よりコツコツとnoteで続けていたスープの活動全体を、編集部が温かくも拾ってくださったのかなと勝手に思っています。

『スープ・レッスン』がcakesでスタートしたのは翌年6月のことです。連載のはじまる少し前に初めてのスープ本が刊行され、いよいよスープ作家としてのデビュー、という形になりました。

noteに投稿していなかったらcakesでの連載もなかったし、本が出てもそれが売れて、スープ作家として仕事がもらえていたかどうかはわかりません。今の活動につながったという意味で本当に感謝しています。

とはいえ、私がnoteから受け取った最大のギフトは、もっとほかにあります。それは、正しい野望を持てるようになったということです。

希望より野望を持つこと

noteに投稿しはじめた最初の頃は、こんなレシピを出していました。

この頃は実用より、アートの延長に食があったんですね。スープも、素材の色や形、絵としての構図を意識していました。
悪くないと思うんですが、誰に、何を訴えたいかはあまり伝わりません。プロの作品としてはもの足りない。何者でもないくせに、かっこつけてる感じですよね。

私、わりと「希望」を失わないタイプで、いい歳まで何ひとつ形になっていなかったのに、全く自分や自分の作品がダメだと思っていませんでした。よくいえば楽観的。これはこれですごいと我ながら思うのですが、やはり何か形にしたいときは、私は大丈夫、という「希望」ではなく、私は絶対なしとげる、という「野望」を持つべきなんですよね。

2014年から、私はスープの本を出したくて、あちこちの出版社に本を出しませんかとお願いしたり、何人かの編集者と話を進めながら、ちっともまとまらないという日々を送っていました。

私は、自分の作品が世に出れば世界はこうなります、とはっきり言えなかったんです。世界というのは、その作品を目にする多くの人々のくらしや、あるいはその作品を扱ってくれる業界、という意味です。
自分に自信もなかったし、それに「野望」ってガツガツしてカッコ悪いって思っていた気がします。涼しい顔で何かを得ようとしていました。

本の話が決まらなかったのは、経験のあるなしではなく、クリエイターとしてやっていこうという意識のなさを見抜かれていたのだと思います。

一方、noteでは、作品に自分の思いや考えを伝えようとする方が多かった。クリエイターとしてこうなろう、こうなりたい、私を見て、もっと見て、そしたらみんな幸せになるはずだから!
そんなクリエイターたちを目の当たりにして、この歳になって野望というものをはじめて持ちました。それは作品のクオリティとは全く別のもの。クリエイターなら今日創作を始めたような人でも、持つことがゆるされるものです。

正しい野望とは

欲というものは恥ずべきだという思いが多くの人にあるようですが、正しい食欲、正しい性欲、正しい知識欲。こうしたものはとてもすがすがしく、他人から見ていても気持ちが良いものです。赤ちゃんや動物のストレートな欲を大人になっても持ち続けられる人は最強です。プロとか、アマとか、そういうことはぜんぜん関係ないんです。

正しい承認欲求や、正しい野望など、社会的欲求も同じ。
作品を出している以上、人の目にとまりたいと考えない人はいないと思います。そのことを隠す必要はないし、仮に動機が承認欲求でスタートしたとしても、結局それを忘れて作品に没頭してしまうのが、クリエイターだと思います。

cakesで多くの若いクリエイターが投稿しているのを見たとき、表現する人を見る気持ちよさを感じると同時に、反省しました。遠慮していてはダメだ、むしろ暑苦しいぐらいの密度でなくては届かない、だってこれだけたくさんの有能なクリエイターがいて、作品を世に出そうとしているんだから。

知らずのうちに封じていた自分の野望を、もっと開放してあげよう。他の人の作品をたくさん見ていたら、自然にそう感じることができました。

私は毎朝のスープ写真を全掲載する『スープ・カレンダー』や、スープの実験室『スープ・ラボ』のレポートをnoteにアップしていきながら、スープの仕事を探っていきました。自分でもどこか常軌を逸したと感じられるような熱が出ていた気がします。

とはいえ、そう簡単に事が運ぶわけもなく、スープ・ラボだって毎回赤字だし、毎回緊張の連続でした。それまでは言葉という虚構の世界に生きていましたが、食のイベントには「モノ」が動きます。鍋や食器、食材など、重い荷物を住んでいる埼玉から都内に運ぶのに、本当に苦労しました。30人分の食事を作るのもほとんど初めてです。飲食店で働いた経験もないのでやり方のイメージも作れず、体力消耗も激しくて、これ、いつまで続けられるんだろうと思いながらやっていました。みんなが面白い!と喜んでくれるのと、自分自身もこれでやるしかないという思いでなんとか続きましたが、それがなければ簡単に挫折していたと思います。

クリエイターズコンテストの募集を目にしたのはそんなときでした。それまでコンテストや順列なんてあんまり興味がなかった私でしたが、このときは、はっきり野望を持って臨みました。なにか、自分がここまできたという人にも説明できるものが心の底から欲しかったんです。そういう、念のようなものが伝わったかもしれません。

面白いことに、受賞が決まり、連載をきっかけにまた本の売り込みを!と思っていたところ、全然別のつながりから出版が決まりました。同時多発的にこうしたことが起こったのは、偶然ではないと思います。

アマからプロへ。

2016年の3月、初めてのスープ本『365日のめざましスープ』が出て、一段落した5月。cakes編集部から一本のメールが来て、しばらくおあずけになっていた連載の打ち合わせをしようということになりました。

5月のある晴れた日、新宿駅のスープ・ストックトーキョーで編集者の中島さんとお会いし、私がマシンガンのようにスープの話をして、中島さんにひたすら聞いてもらう2時間ばかりの濃い顔合わせがあり、帰宅してパソコンを開くと早くもさっきの話を理路整然と整理したうえで、連載はこの方向でいかがでしょう!みたいなメールが入っていました。私が原稿を書いてレシピを作り、赤が入ってというやりとりを何度かしたら、連載はあっという間に始まりました。

『スープ・レッスン』はこうしてcakesでスタートしました。最初の記事を出して、ランキングで一位をとれたとき、続けられるかもしれないと思ってほっとしたのが懐かしいです。

私が主婦として家で作っていたスープを、プロとして多くの人に提供するようになるまでの、その心の中では、こんないきさつというか、変化があったのです。

本当の野望は?

今年のcakesnoteフェスで登壇したときもお話したんですが、私がレシピをcakesやnoteや書籍、また様々な媒体で発表する目的は、スープを作ってもらって「料理ってこんなに簡単でいいんだ!」と気がつき、結果的に暮らしや家事が楽になったと感じてもらうことです。

アクセス数が伸びた、売り上げ部数が伸びたということは重要ですが、それは単なる通過点にすぎません。

誰もが自分や家族の食事をまかなえて暮らしが楽になり、家庭料理の本当の価値が見直されること。幸せは思っているより簡単だと気づいてもらうこと。

目指すところはそこにあります。これは今の私の「野望」でもあります。

繰り返しますが、自分や人の健康的な野望を見るということはとても清々しく、楽しいことです。
自分の欲しいものをまっすぐにみつめる。それは創作物が人に与える力だと思います。世代の違う多くの創作物にふれて、自分の奥にしまいこんであった野望のほこりを払い、表に出して風にさらす、そんなことをnoteでさせてもらったような気がしています。

私の #noteでよかったこと 、いかがでしたか。よかったら感想も聞かせてくださいね。

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私の野望の詰まった一冊。

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