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添削屋「ミサキさん」の考察|7|「『文章術のベストセラー100冊』のポイントを1冊にまとめてみた」を読んでみた⑦

|6|からつづく

さて、実際の作家の方の文章を勝手ながら例にあげて見てみましょう。

桐野夏生さんの話題作『日没』の一節より。

 部屋は病室と同じだ。施錠もできないし、家具もほとんどない。ベッドと小さなソファセット、デスク。いや、病室の方がはるかに自由だろう。ネットに接続できるし、電話で話すことも、メールやLINEもできる。テレビだって見られるし、冷蔵庫もある。しかし、私のこの部屋では、寝る以外にすることがない。

『日没』

短い引用ではありますが、作風に合った過不足のないきびきびとした文章ですよね。
ところで、ためしにこの文章で、漢字にできるところを全部漢字にしてみます。
(見た目・体裁を合わせるために、網かけの引用形式で表示します。)

 部屋は病室と同じだ。施錠も出来ないし、家具も殆ど無い。ベッドと小さなソファセット、デスク。否、病室の方が遥かに自由だろう。ネットに接続出来るし、電話で話す事も、メールやLINEも出来る。テレビだって見られるし、冷蔵庫も在る。然し、私のこの部屋では、寝る以外にする事が無い。

いかがでしょうか?
判断はおまかせします。

作家がどのように表記するのかは誤字でない限り現在も自由ではあると思うのですが、表記ルールのようなものが一般化していなかった時代でも、よく見るとひらがな表記をあえてしているのが案外多いです。
先に私は『近代文学を読んだので、漢字表記がよいと思っていた』というようなことを書きましたが、よく検討してみるとそれは思い込みだったような気がします。

 吉祥寺で降りて、本当にもう何年振りかで井の頭公園に歩いて行って見ました。池のはたの杉の木が、すっかり伐り払われて、何かこれから工事でもはじめられる土地みたいに、へんにむき出しの寒々した感じで、昔とすっかり変わっていました。
 坊やを背中からおろして、池のはたのこわれかかったベンチに二人ならんで腰をかけ、家から持って来たおいもを坊やに食べさせました。
 「坊や、綺麗なお池でしょ? 昔はね、このお池に鯉トトや金トトが、たくさんたくさんいたのだけれども、いまはなんにも、いないわねえ。つまらないねえ」
 坊やは、何と思ったのか、おいもを口の中に一ぱい頬張ったまま、けけ、と妙に笑いました。わが子ながら、ほとんど阿呆の感じでした。
 その池のはたのベンチにいつまでいたって、何のらちのあく事では無し、私はまた坊やを背負って、ぶらぶら吉祥寺の駅のほうへ引返し、にぎやかな露店街を見て廻って、それから、駅で中野行きの切符を買い、何の思慮も計画も無く、謂わばおそろしい魔の淵にするすると吸い寄せられるように、電車に乗って中野で降りて、きのう教えられたとおりの道筋を歩いて行って、あの人たちの小料理屋の前にたどりつきました。

いわずと知れた太宰治ヴィヨンの妻』の一節。
話はいきなり脱線しますが、いやいや、やはりうまいですね。好き嫌いはともかく、太宰の文章のうまさは皆が認めるところではないでしょうか。
最後の段落は、何とこれで一文です。それでも読みにくさをまったく感じさせない、さすがです。

話を戻すと、現代の表記ルールでほぼ使われなくなっている「事」や「無」を使用している他方、漢字にできるものをあえてひらがなにしているのが目立ちます。

こういう名文を読むと、現代作家ももっと自由でよいような気もしますが、添削屋「ミサキさん」は「事」や「無」などは手を入れさせていただいています。

それはともかく、この文章は女性の一人語り(一人称)という特殊性もあるかとは思います。けれども「見た目」だけからいっても非常に読みやすいですよね。

ただし、太宰のとくに中期の作品は、美知子夫人が太宰から口述筆記したものも多数あります。美知子夫人の機転もあったかもしれませんし、当時の編集者の判断もあったかもしれません。
そこまではここでは調べません。
ただ現在読んでみてどうか、というところで参考にしてみてください。

|8|につづく




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