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添削屋「ミサキさん」の考察|11|「『文章術のベストセラー100冊』のポイントを1冊にまとめてみた」を読んでみた⑪

|10|からつづく

1⃣使いやすいのは「直喩」「隠喩」「擬人法」の3つ

 比喩には直喩、隠喩、換喩、提喩、諷喩、擬人法など、いくつかの方法があります。
 いちばん一般的で使いやすいのは、直喩、隠喩、擬人法の3つです。

「『文章術のベストセラー100冊』のポイントを1冊にまとめてみた」66ページ

さて、実はこのジャンルでは『日本語のレトリック』(瀬戸賢一著/岩波ジュニア新書)という名著があります。わりとこの本の分類に依拠して論じられている方も多いようです。「ジュニア」向けを超えてますね。

先にこの『日本語のレトリック』での定義を抜き出しておきますね。

隠喩(メタファー/metaphor)
類似性にもとづく比喩である。「人生」を「旅」に喩えるように、典型的には抽象的な対象を具象的なものに見立てて表現する。
例:人生は旅だ。/彼女は氷の塊だ。
直喩(明喩)(シミリー/simile)
「~のよう」などによって類似性を直接示す比喩。
しばしばどの点で似ているのかも明示する。
例:ヤツはスッポンのようだ。
擬人法(パーソニフィケーション/personification)
人間以外のものを人間に見立てて表現する比喩。
隠喩の一種。ことばが人間中心に仕組まれていることを例証する。
例:社会が病んでいる。/母なる大地。

『日本語のレトリック』

さらに、換喩、提喩、諷喩についても抜き書きしておきます。

換喩(メトニミー/metonymy)
「赤ずきん」が「赤ずきんちゃん」を指すように、世界の中でものとものの隣接関係にもとづいて指示を横すべりさせる表現法。
例:鍋が煮える。/春雨やものがたりゆく蓑と傘(蕪村)
提喩(シネクドキ/synecdoche)
「天気」で「いい天気」を意味する場合があるように、類と種の間の関係にもとづいて意味範囲を伸縮させる表現法。
例:熱がある。/焼き鳥/花見に行く。
諷喩(アレゴリー/allegory)
一貫したメタファーの連続からなる文章(テクスト)。動物などを擬人化した寓話(fable)はその一種である。
例:行く河の流れは絶えずして……。

『日本語のレトリック』

説明文はやけに難しいですけど、例を見るとわかりやすいですね(これも実は比喩のおかげか!)。

アレゴリーとは比喩なの? と気になったので、もう少し引用してみます。

ちなみに、諷喩(アレゴリー)もある意味比喩の一種ととらえるんですね。
アレゴリー: Allegory)とは、抽象的なことがらを具体化する表現技法の一つで、おもに絵画詩文などの表現芸術の分野で駆使される。意味としては比喩(ひゆ)に近いが日本語では寓意、もしくは寓意像と訳される。詩歌においては「諷喩」とほぼ同等の意味を持つ。また、イソップ寓話に代表される置き換えられた象徴である。

引用:Wikipedia

寓意、寓意像の意。語源はギリシア語の「allegoria」で、「別のものを語る」という意味である。抽象的な概念や思想を、具体的形象によって暗示する表現方法であり、その主要手段は擬人化、擬動物化である。「正義」の観念を剣と天秤をもった女性像で表わしたり、「狡猾」を狐で表現するなどがその例である。また白色が清純を、聖母マリアのマントの青色が「天の女王」の意味を表わすといった、絵画的表現もそれと言える。アレゴリーの他の特色として認められるのは善悪の対比による宗教や道徳上の教訓、風刺の要素をもつことで、これは特に文学的表現において用いられる。

引用:現代美術用語辞典

さて、話を戻します。
本書の66~68ページに例文がたくさん載っているのですが、上の引用で十分かなと思いますので、割愛します。

ちなみに、「春雨やものがたりゆく蓑と傘」という与謝蕪村の俳句は、絵画的にイメージが浮かぶ面白い句ですね。

それから、分かりやすいテキストとして、NHK高校講座テレビ学習メモ(ベーシック国語第31回「比喩表現」)というのを見つけました。解説が分かりやすいので、のぞいてみてください。

では、例文を見ていきましょう。
小説の文章が多くなります。

芥川賞作家柳美里さん『JR上野駅公園口』(河出文庫)より。

 ぽつぽつと雨の当たる不忍池の水面に輪投げのような波紋が広がっては消え、広がっては消え、――、どこへ行こうか、と考えてはみたものの、体の芯が引き抜かれてしまったみたいで、肩を濡らす雨のひと滴ひと滴にさえ戦慄(おのの)いているように震えが止まらなかった。

 雨は、傘で顔を隠す通行人ひとりひとりの傍らで静かに話しかけるような振りになっていたが、寒さは雪に変わらないのが不思議なほど厳しかった。
――歩いていた。寒さと頭痛に縛り上げられ、自分が自分から押し出されてしまいそうだったが、足だけは前に、前に、動かしていた。はっきりとそう決めていたわけではないが、シゲちゃんが行くと言っていた図書館に向かっていたような気がする。

『JR上野駅公園口』

いかにも比喩というような比喩は使ってませんよね。でも、比喩のあることで、その場面の雰囲気や主人公のようすがありありと浮かんでくる気がします。

直木賞作家荻原浩の傑作『僕たちの戦争』(双葉文庫)より。(注釈をいれると、軍国少年だった主人公が21世紀にタイムスリップ、逆に現代のフリーターが戦時中にタイムスリップしたという設定のお話で、ここは現代にある軍国青年が「渋谷」を訪れたときのようすです。)

「どの店にも不必要と思えるほどの商品が並び、食堂が煙や匂いを立てて客を誘っている。しかも恐ろしいほどの人出。芋の子を洗うとはこのことだ。人が多すぎて、うまく足が運べない。
 目眩と耳鳴りはすぐに脳味噌を攪拌されるような頭痛となった。ミナミがいなかったら、耳を塞ぎ、目を閉じて、その場でうずくまってしまったかもしれない。
「どう、渋谷、思い出した?」
 周囲の喧騒に張り合ってミナミが声を大きくする。思い出すもなにもない。悪夢にも出てこない魔界だ。四日前、病院から抜け出した時に見た光景など、この阿鼻叫喚に比べれば、三途の川の渡し口にすぎなかった。

『僕たちの戦争』

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