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『空洞のなかみ』を読んで

 たった三行の台詞が出て来なくなり廃業を考え始めた主人公は、ある出会いを機に自分が何者かもわからない「空っぽ」な状態で現場を渡り歩いていく。しかし突然外部から遮断され「無」の状況に陥ってしまった。そんな彼はもはや演者ではなく愚者でしかない……

 それまでと雰囲気の違う最終話。E2045の数字は日付?Eは?(emptyな20年の4,5月かな?) 流動食は満足な食がとれないことの例え?ゴドーってどんな話だっけ?…なんて細かいことも気になりつつ、エピローグまで読み終えて、彼の行く末に安堵。

 一人では何のアクションも起こせず、ただ誰かを待つだけ。続けることができるのか、そこで終わりなのかも他者に委ねられている。俳優とはそんな受け身の職業だということを改めて現実として突きつけられた時期だったのでしょうか。

 混迷と不安のプロローグ、ユーモラスな本編、最終話での不穏と狼狽を経ての着地。「愚者譫言」全体も各短編も同じ構成なのがリズミカルで心地いい。

 軽妙な筆致の中にシニカルさや不安定な心情が潜んでいて、あー面白かった、だけでは済まないザワつきも残った。そういえばリズムとテンポが軽やかなのにどこか一癖二癖あるこの感じ、松重さんのお好きな変態音楽と通じるものがあるような。
 
 この度、晴れて著作権者となった松重さんの次の一手が待ち遠しい。松重さんは世のニーズを読むことに長けていて、制作サイドでも成功する人だと常々思っていたので、松重さんの繰り出すセルフプロデュースに期待は高まるばかり。

 「空洞のなかみ」で小説とエッセイがリンクしてお互いの面白さを引き立たせているように、本来の俳優業とそれ以外とを併せて魅せてくれたらこんなに楽しい未来はないし、挑戦を続ける姿勢に私も勇気をもらえるような気がしています。

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