誰にも言えない十代の僕

中学生になると、もう父親の住むワンルームマンションには通わなくなり、何か宗教的なことをさせられる、ということは無くなった。
僕は普通の、いや、今までも周りの人からはそうだったが、どこにでもいる普通の中学生になったはずだった。
働く母と、僕の二人暮らしとはいえ、それ以外は周りの人たちと同じような生活をしていて、他の人たちとは全く変わらない。家に帰ると新興宗教を信じている父親に、祈りを捧げるように言われたり、人の食べる物とは思えないようなものを口に押し込められて、飲み込むように言われたりすることも無くなった。
学校に通って、他の人たちと同じように毎日を過ごしていれば、みんなと同じように普通になれると、僕ははじめは思っていた。
中学時代は、ずっとおとなしく、反抗したりもグレたりもしなかった。
僕がたまたま通っていた学区は、中流以上の家庭はあまり多くなく、ヤンキーとか不良と呼ばれる学生が(そういうものが何かカッコイイとされていた時代でもあり)、それなりに多かった。そういう学生の中には、確かめはしないが、家が貧しかったり、僕のように片親の子どもなんだろうな、という感じがする子もいくらかいた。
そういうものは打ち明けたりはしなくても、何か当人同士はお互いに通じ合うのだろうか、一度クラスのヤンキーに、お前はこっち側の人間だろ、と突然言われて、ドキッとしたことを憶えている。
ただ、確かに僕はそっち側の人間かもしれないが、でも僕はグレたりする勇気はなかった。そういうことをすると、自分は普通ではない、と認めたことになるし、不良になるのは、どこかでそれが許されるから、不良になっているのだと思えた。親が新興宗教のカルトだ、ということは、周りからは許してもらえないことだと僕は思っていた。
自分は変わっていない、自分は普通である、そう自分に言い聞かせて、僕は中学時代を過ごし、偏差値五十後半の、公立の普通科高校に入った。徒歩や自転車で通える、公立の普通科高校はそこしかなかった。
高校受験の進路指導のときには、有名大学から一流企業に進むための、私立の進学高校の受験も担任に薦められたが、母子家庭で、別居している父親が養育費を払ったり払わなかったりしている家の子どもが、私立の高校に行けるわけがないだろ、と僕は内心思った。それに一生懸命勉強して、共学ではない進学校に通うのは、そのときの僕には普通のことではないように思えた。たまたま周りにいる、進学高校に入ろうとしている人間は、クラスの女子から相手にされず、友だちも少なく、運動も出来ず、面白味もなく、ダサイやつだとみんなからバカにされているようなやつばかりだった。そういうもの全てから目を背けて、勉強することで、一発逆転を図ろうとしている。そしてそういうやつには、イヤな感じの親もいて、その親からも詰められて、更に勉強させられている。そうやって行くのが、その頃の僕から見た、男子校の進学校だった。そういうヤツらが集まってくる場所。それは僕にとっては、歪んだ普通ではないやつの行く場所だった。
中学の時のクラスの、三分の二のクラスメートが、工業高校や商業高校、あるいは私立の底辺高へ行った。残った三分の一のうち、半分が進学校に行き、半分は僕と同じように偏差値五十台の普通科高校に入った。
高校に入ると、まさしく偏差値五十台の公立の普通科高校なので、全員が普通の人だ、という感じがした。不良もヤンキーもいない。中学のクラスメートの中には、シンナー中毒になって学校に来なくなった生徒や、中二で誰の子かもわからない子どもを妊娠して産んで、学校に来なくなった生徒もいた。ヤクザへの上納金の為に、金を集めに来る怖い先輩もいない。勉強は出来るが不潔で気持ち悪く、いじめられているような生徒もいない。みんな中学のときのそういうクラスメートのことは憶えていないか、直ぐに忘れるようだった。あるいは学区が違うと、本当にそういう生徒はいないのか。
でも僕は忘れることは出来なかった、それは、もう一人の僕、普通を上手くやれなかった僕、別の僕の可能性のような気がしたから。
でも周りの公立の普通科高校に入る人に、そういう人はいないようだった。
普通の人しかいない。ちょっとへんな感じがしたが、町で偶然会った、中学の友だちの話を聞くと、それは贅沢な悩みのようにも思えた。その普通科高校にギリギリ入れなかった友だちは、工業高校に通っていた。そしてそこでの生活を最悪だ、と言った。ほとんど全員男で、みな平均以下の頭で、働いていくための、とまで言って、ああもう言いたくないよ、と言い、じゃあな、と去って行った。
何か僕はよくわからなくなった。
父親も、父親が信じるものも、歪んで、正しくないもののように思えた。信じるものにとらわれて、それを他人に強制する父親も、気持ち悪い人間に思えた。でも父親から逃れて外の世界に出たのに、世の中も、そこにいる人も、どこか本質的には変わりが無いように思えるのだった。
学校でも同じことを言っている。大人も同じことを言っている。雑誌を開くと、何か同じ声が聞こえてくる。テレビを点けても何か同じ声が聞こえてくる。テレビのドラマでは、苗字が同じの、あつことゆうこという女優が出て来て、三ヶ月ごとに別の話をやっているが、中身は同じことを言っている。
まるでみながゲームか何かをしているように見えた。宗教が別の何かに代わっただけで、ゲームをしていることにかわりはない。
高校に入って少しも経たないうちに、ひとりでいることがつらくなってきた。別に周りに人はいる。放課後みんなで街をぶらぶらしたり、一緒に映画を観に行ったり、そういう一般的に友だちと言えるような存在はいる。
でも僕はひとりだった。ずっと誰にも言っていないことがあった。普通の家に育っている振りをして、父親のこと、父親が信じる新興宗教のこと、自分がどんな思いをしてきたか、そんなことは誰にも言っていなかった。ひとりだということを実感するほど、それを打ち明けられる人が欲しかった。
だが、悪い人たちではなかったが、そんなことを話せる人は、僕の周りにはどこにもいなかった。学校のどこにも、そんな人はいなさそうだった。
代わりに僕は何とか熱中出来るものを探そうとした。興味を持ち始めていた、サッカーの部に入ってみたが、思っていたより僕はサッカーが下手だった。入った高校のサッカー部は、僕が知らないだけで、県内一、二を争う名門だった。中学時代に名前の知られた選手をはじめとして、そこに集まって来ているのは、小さな子どもの頃からずっとサッカーやってきた人間ばかりで、はっきり言えば僕は必要とはされていない。そこで僕が一員としての存在感を持ち、皆から認められ、ポジションを与えられ、チームの仲間として必要とされている、という実感、それらを手にしていく日々というものが、絶対に訪れないことは入って直ぐにわかった。僕は部を早々に辞めるしかなかった。
あとは学校という、年齢も同じの、大して差のない人間同士が集まっている集団の中で、何だか自分をちょっと優位に見せたり、斜に構えて見せたりしてるやつばかり。こんなつまらないことがずっとつづくのか高校って、と思い始めた一年の一学期の終わり頃、僕はその彼女と親しくなった。
同じクラスだが、それまではほとんど話したことが無い子だった。クラスでいちばんかわいくて、自然とクラスの中でわかれているカーストみたいなものの、いちばん上位の女子グループの、その中心の子だった。

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