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自転車のかごに

アパートの、道に面した自転車置き場に置いている、わたしの自転車のかごに、イヌのフンが入れてあった。イヌのフンをティッシュペーパーでホットドックのように挟むかたちにして、入れてあった。
わたしがいったい何をしたというのだろう。
そんなにわたしは、ただ生きて存在して、息を吸っているだけで憎いのだろうか。
すべての人が、わたしへの悪意を隠し持っているんじゃないか、という気さえしてくる。
いったい誰の仕業なんだ。
向かいの家も、隣の家も、イヌを飼っている。
どちらかに恨みをかっているんだろうか。
朝、ゴミを捨てに行くときに、うんこが自転車のかごの中に入れてあると気付いたのだが、わたしが自転車のかごのうんこを回収していたときに、ゴミ出しに出てきた向かいの家の主婦と目が合ったのだが、別段普通の感じだった。
人の自転車のかごにイヌのうんこを入れておきながら、あんな態度でいられるんだとしたら、なんて人間とはおそろしい生き物だろう。
隣の家にも、小型犬を飼ったババアが住んでいるが、そのババアとは、口も聞いたこともなければ、わたしは別段うるさい生活音をたてているわけでもないし、誓って、恨みをかうようなことはしていない筈なのだ。
それとも、どこか見知らぬ人間の、通り魔的な、うんこカゴ入れ犯罪なのだろうか。
人間がおそろしい。
まだ、人糞ではないのがましだったのだが。
確かに、自転車のかごにうんこをしているところを見つかったら、たいへんなことになるし、それはリスキーだ。

もしかして、小学五年の下校時に、突然便意をもよおし、どうしても我慢しきれず、見知らぬ人の家の庭で、野グソをして、あまりにでかい一本グソが出て、思わずそのまま走って逃げたことがあったのだが、二十年越しで、その悪行のバチがあたったのだろうか。
広島市南区比治山の麓にあった、見知らぬ赤い屋根の家の人、本当にすみませんでした。あれは確か少し暑い日でした。どうしていいかわからなくなって、出すまでは穴を掘って埋めるつもりだったのですが(知らない間に庭に見知らぬ人間のうんこが埋まっている、というのもひどい話ですが)、出てきたうんこのあまりのでかさ自分でも驚いて混乱し、逃げてしまったのです。
しかし、神は見ていて、そのバチなら仕方がないのだが、誰かから得体の知れない悪意をかっているのだと思うと不安です。

いや、庭に野グソの場合直接の悪意はないが(アスファルトの上に野グソははばかられたのだ。土に還らないから)、かごにイヌのうんこの場合は純粋な悪意だ。

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