いつかこれを読む君へ

 僕がいまここに文章を書いているのは、この冬に僕はおかしくなって、アパートの部屋にひきこもり、誰にも会わない生活をはじめたからで、いっそのことこれまでのすべてをどこかにあらいざらい書いておきたくなったからだった。正直僕には話す相手がいない。
 でも、話す相手がいないと言っても、僕は別に森の中に一人で住んでるわけじゃない。閉めっぱなしのカーテンをめくれば、いくつか建物も見えて、その建物には窓がついている。今は夜だけど明かりがついているものもあるはずだ。周りに人は暮らしてるんだ。
  でも、その暮らしてる明かりのしたに、誰がいるのか僕にはわからない。近所だというのにね。ここがそこそこ都会だからだろうか。そんな場所で、突然見知らぬ男が話をしませんかと訪ねてきたら、誰だって困ってしまうだろう。場合によっては警察なんかを呼ばれてしまうかもしれない。それぐらいはまだおかしくなっている僕にもわかってるんだ。つまりは何が言いたいのかというと、周りに人はいるけど、口をきいたりする間柄の人間は誰もいないということなんだよ。
  そりゃあ僕も、まったくひとことも喋らない毎日を送っているというわけじゃない。口をきいたりすることぐらいはあるんだ。アパートの部屋にひきこもっているといっても、完全にひきこもっていたら餓死してしまう。からだの調子が悪くて日に一度ぐらいしか食べていないといっても、食べていることは食べている。 つまりは真夜中だけどコンビニなんかに行って、最低限食べるものは買っているわけさ。そのとき店員なんかと買ったものの受け渡しぐらいはやっているわけで、ひとことふたことは何か言葉を交わすときもある。釣銭もらうときとか、お箸ご入用ですか、と言われて、要るか要らないか答えるとか。
 でも、 言葉を交わすと言ってもそれぐらいで、そこで突然自分のことを話し出すわけにもいかない。相手はコンビニの店員なんだからね。そりゃあ名札に、「ごとう」 とか書いてあるかもしれないけど、ごとうさんは日頃何してんのとか、仕事中に訊いたりし始めたら迷惑だし、深夜のコンビニ店員なんて、特にそんなこと人に話したくはないだろうしね。
 突然向かいの建物が爆発するとか、大地震が起こって店の中かぐちゃぐちゃになって、ごとうさんと協力しないと外に出られないとか、津波がやってくるのが見えたとか、そんなことでもない限りは、あくまで客と店員なんだ。それに大地震が起こったって、復旧すれば、またそれまでと同じになるだろうし、ずっと日本中が大地震にでもなれば、客とか店員とか関係なくなるかもしれないけど、誰もそこまでになるのは望んでない。大部分の人間は、ずっと客や店員であり続けるみたいな、そんな存在と役割を続けていたくて、誰とも話しなんかしたくないのかもしれないしね。僕だって目の前の店員に、いきなり何か話す気にはなれないんだ。
 だから結局こんな誰も見ていないネットの片隅に、これまでのことを自分なりにでも書いておこうと思ったわけさ。ノートなどに書いていたらなくしてしまうおそれがあるし、書いておきたい気はするけど、なくしてしまったらもう一度書く気力は起きない気もする。その点ネットだと、僕がいなくならない限りは、何度でもここにやってきて、これまであったどたばたについて、書いていくことができる。まあこれまでと言ったって、主にはここ三年ばかしに起こったことだけどね。
 でも誰にも話さないで、そしてもし自分もいつかそのことをはっきりとは思い出せなくなるときがくるのだとしたら、ここにでも書いておいた方がいいような気がしたんだ。なぜだかよくわからないけど。いまはそんな気がしている。
 ひきこもっててからだの調子は最低だけど、とにかく書けるだけ書いとけよ、ってもうひとりの自分が言っているような気がするから。いまはとにかく吐き出すように外に出してしまった方がね。

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