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本当の宝物は、他人から見たらゴミなのかもしれない

 私にしかわからない価値。
 自分にしかわからない価値あるものが、その人にとって、本当の宝物なのかもしれない。

 波乗りピカチュウのイラスト、もうだいぶ薄くなってしまって……見えますか? もとはちゃんと鮮やかなイラストだったんですよ。二十年以上も使っていて、こんなに薄くなって、みすぼらしいカップになってしまいました。

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 このカップ、私が出版社に就職したお祝いに、同じ出版業界を目指していたダブルスクールの仲間から贈られたものです。つまり就職祝いのカップ。それ以来、このカップは私の仕事と共にずっとそばにいました。

 サラリーマン時代は会社の給湯室に。このカップでコーヒーを飲みながら残業にも、理不尽な上司の要求にも耐えました。
 今は家で執筆中にデスクの隅で、私の喉を潤すために待機しています。

 他人から見たら、使い古した小汚いカップでしかないでしょうね。メルカリに十円で出しても買い手はつかないでしょう。無料であげると言っても貰い手はいないでしょう。夫にも「もう捨てたら?」と言われてしまいました(^^;)
 捨てないよっ!

 宝物は他にもある。例えば夫から贈られた婚約指輪とか。でも、これは私だけに価値があるんじゃない。ブランド物のダイヤの指輪は、リサイクルショップに持っていけば、そこそこの値段がつく。つまり、赤の他人にも価値あるものなんだよね。プロポーズされて、幸せな気分で夫とジュエリーショップを回って見つけた指輪という思い出は私だけのものだけれど、指輪自体はその価値を私だけに注いでくれてはいない。私だけの宝物ではない。

 拙著『アルケミストの不思議な家』に出てくる、ガラクタばかり拾ってきては同居人に叱られる錬金術師のファウストなら、きっと指輪を無視して、煤けたカップだけを拾うんだろうな。

『愚かな凡人たちは宿っている魂を見つけることができず、無慈悲に物を捨ててしまう。ここにある物は、かつては誰かの宝物で、誰かを勇気づけたり幸せにしたり悲しみを溶かしたりしていた美しく輝ける魂を持った物なのだ。吾輩は黄金に輝く魂を取り出して、錬成し、新しい金に生まれ変わらせるんだ。これが現代の錬金術師の尊い仕事さ』
              ーアルケミストの不思議な家 p37より


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  たとえそれが偽物でも、誰かにとっての宝物なら本物以上の価値が生まれる。

 それを書いたのが『招き猫神社のテンテコ舞いな日々』でした。
 偽神社だけれど、そこに訪れる人々を幸せにするハートフルストーリー。
 そこに神様がいなくとも、人々の優しさが奇跡を起こす。なぜなら偽神社は誰かにとっての大切な場所だから。特別な想いがこめられた場所だから。

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