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老いても答えが出ないことはなんですか?(小原信治)

答えが出ていることはなんですか?

 藤村くんと「老い」にまつわる質問を出し合って書いている往復書簡。今回の質問者はぼくだ。質問しておいて何だけど、答えが出たことなんて今まであっただろうか。

 常々「トランクひとつで身軽に生きていきたい」を信条に、物質的なものは最小限に切り捨てている。服はコレ、靴はアレと答えを出している。にもかかわらず、それ以外の答えに関してはそううまくはいっていない。自分の答えに自信がなくて、いつも懐に代案を忍ばせている。何なら代案の代案くらいまで用意している。代案の代案の代案を頭の中で考えている。

 答えが閃いた瞬間は自信に満ち溢れている。これしかないとガッツポーズしている。だが文字にした瞬間、答えは色褪せていく。自信は蜃気楼のように消えていく。だから答えを出した次の瞬間には代案を考え始めている。いつも何らかの答えを探している。いつも迷っている。ずっと迷い続けている。迷いに終わりはない。だからいつも眠りが浅い。

 それでも締め切りは来る。幾つか出したうちのひとつを答えとして提出することになる。提出したものが結果的に「ぼくの答え」として残っていく。でも、その裏には幾つもの代案が出番を待っている。だからいつも揺れている。揺れ動いている。誰かに背中を押されて簡単に別の答えに乗り換えることもある。朝令暮改。そうやって生きてきたし、これからもそうやって生きていくことになるような気がしている。それはとても怖いし、心許ないのだけれど。

 人生の命題――何の為に生まれ、何の為にここにいるのか。何をすればこの命をまっとうできるのか。

 本当は自分の中に確固たる答えを持っていたいし、その答えに向かってまっすぐ突き進むような人生が歩んでいけたらとこれを書いている今だって思っている。何ならここからでもそんな風に生きられたらと思う。でも、55歳を目前に控えた今も自分の人生に明確な答えを出すことができていない。

答えが出ていないからできることもある

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