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老いて思いだすのは、いつのどんな夜ですか?(小原信治)

喪失感と目が合う夜

 誰もがきっと喪失感を抱えて生きている。郵便配達のおじさんも、店先で世間話しているおばさんも、ぼくも、藤村くんも、そしてこれを読んで下さっているあなたも。それなりに長く人間をやっていると人は大切なものを失った哀しみをひとつやふたつは抱えている。底無し沼のようなその深い穴は何かに没頭することで忘れることはあっても、決して別の何かで埋めることはできない。たとえ同じ喪失感を抱えた者同士であっても。「×0」は「0」にしかならない。その間違いと痛みを若い時分に何度経験したか。傷つけたし、傷つきもした。その失敗も含めて、抱えている喪失感とふと目を合わせてしまうのが草木も眠る丑三つ時――そう、今回のテーマである「夜」ではないだろうか。

 清原惟監督の「すべての夜を思いだす」は高度経済成長期に建設された多摩ニュータウンが舞台の喪失感を抱えた人々の物語だ。世代の異なる三人の女性の抱えた喪失感が、幾多の自然災害、コロナ禍、そして経済大国からの凋落で様々なものを失ってきた日本人の喪失感と何度も重なる。その喪失感は団地が舞台になっていることで団地育ちのぼくにはより一層色濃く感じられた。

すべてがあるけど、何かが足りない。

 そもそも団地というのは誕生した瞬間から大きな喪失感を抱えている。それは団地創世記の1969年(昭和44年)、東京都目黒区で産声を上げた1ヶ月後に神奈川県大和市の上和田団地に移り住んだぼく自身が物心ついた頃から感じていたことでもある。当然言語化はできていなかったけれど、子供心に団地全体に漂う空虚な哀しみを感じていた。その理由のひとつが、団地を建設する際に宅地化された川沿いの緑地や水田であり、住処を失った野鳥たちの喪失感だと知ったのはずっと後になってからのことなのだけれど。

 ラジオで話したように当時は年収300万円以下の子育て世帯しか入居できなかったと記憶している。団地には子供が溢れていた。保育園も小学校も団地の広大な敷地と隣接していたし、遊具や砂場のある公園が幾つもあった。野球が同時に三試合できる広大なグラウンドも、子供用の水遊びプールもあれば、日用品や食品が揃うスーパーも鮮魚店も八百屋さんも床屋さんも美容室も暮らしに必要なものはひと通り敷地内に揃っていた。でも、その「すべてが揃っている」というのが個人的にはなんだか妙に不自然だった。それもそのはずだ。整然と立ち並ぶ街路樹も広大な芝生も一度破壊した緑を再生する為に人工的に造られた自然――すなわち不自然なものだったのだから。

「すべてがあるけど、何かが足りない」
 それが団地に対するぼくの率直な思いだった。映画「すべての夜を思いだす」というタイムマシンがぼくに団地という記憶装置の鍵を開けさせたのだろう。いつしかぼくはすべての夜に思いを巡らせる旅をしていた。

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