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『ストロング・スタイル』のウラバナシ(3)

 さて、前回・前々回と主人公二人について、モデルとなった実在のレスラーなどネタバラシをさせていただきました。

 今回は、ちょっと毛色を替えまして、ひとつ、本作を通して描きたかったテーマについて、ゆるゆるお話させて頂こうかなと思います。


↓↓↓以下、ネタバレあり↓↓↓


■プロレスの「陰」、リング禍について

 さて、本作に登場する「小林虎太郎」は、かつてJPFに所属していた「エル・ヘリファルテ」というメキシカンレスラーに憧れて、ルチャスタイルのレスラーになっていきます。
 「エル・ヘリファルテ」は、孤児院の運営費を賄うためにプロレスラーとなってファイトマネーを稼いでいたのですが、ある日、フィニッシャーである二回転ムーンサルトプレスを失敗し、帰らぬ人となる、という設定。

 また、虎太郎の恩師であるサンダー真田も、他でもない、虎太郎の繰り出した技を受け損ねて頸椎を損傷、半身に麻痺が残る大怪我をし、事実上、自身の団体・NMBFの消滅を招くことになります。

 プロレスにはフェイクの部分というのがもちろんありますが、同時に、リアルの部分も存在しています。プロレス技は一歩間違えば殺人技ですから、どうしても危険と隣り合わせになってしまう。試合中に致命的な怪我を負って命を落としたり、再起不能になる選手も過去に何人もいたのです。
 そういった、リング上で起きる事故を、プロレス他、格闘技の世界では「リング禍(またはマット禍)」と呼びます。

 オール読物誌上での連載のお話が来た時、僕が最初に「書かなければならない」と思ったテーマが、「リング禍」でした。本作では、ブックやアングルといったプロレスの「裏」も書いてきましたが、リング禍はプロレスの「陰」の部分にあたるのではないかと思います。

■なぜ「リング禍」を書かなければならないのか。

 僕は、プロレスは「スポーツ・格闘技」であると同時に、「エンターテインメント」であると思います。エンタメの定義というのは難しいのですが、お客さんを楽しませることを至上命題とするもの全般が「エンタメ」である、と解釈しています。

 僕もエンタメ作家を自称していますから、自分の主義思想や使いたい文体・言語表現を盛り込むより、読んだ人が面白いと思ってくれるかどうか、に全霊を注いでいるつもりです。まあ、「全然面白くねえけどな、お前の小説!」と言いたくなる人もいるかと思いますけれども、個人的な好みの問題はこの際置いておきますね。そういう気持ちだけはありますよ、ということでご納得くださいませ。

 エンターテインメントの成立の第一条件は、お客さんが「安心して」楽しめることだと思います。エンタメ作家が、急に支離滅裂で精神状態がヤバそうなツイートとかしだしたら、おいおい大丈夫かこいつは、と、読者さんは物語に集中できなくなってしまうと思うんですよね。芥川龍之介とか太宰治じゃないんだし。

 プロレスにおいて、お客さんを一番「安心」させるのは、やはりレスラーが怪我をしないこと。それに尽きます。ですが、プロレスの長い歴史の中では、何人ものレスラーが命を落としたり、怪我をしてきたりしました。
 
 けれど、昭和プロレスの頃にリング禍で亡くなったレスラーは、実は一人もいません。力道山の時代から、馬場猪木二巨頭時代まで、死に至る大怪我をしたレスラーはいなかったのです。プロレスのマット上で死亡事故が起きるのは、1990年代以降のことです。

 日本のプロレス界で初めての死亡事故が起こったのは、男子ではなく、女子の試合。JWP所属のプラム麻里子選手が、試合中に技を受けた際に誤って頭部を強打、脳挫傷で命を落とします。

 90年代に事故が起こったのは、僕は全日の四天王プロレスに代表される、過度に危険な技の応酬がトレンド化したことにあると思っています。それまではパイルドライバーくらいであった「脳天から垂直に落とす技」が数多く開発され、同時に、受け側に高度な技術が求められるようになったのです。

 結果、女子の試合でも、男子顔負けの危険技が多用されるようになり、肉体的耐久力でどうしても男子に劣る女子レスラーが、最初の犠牲者になってしまったのではないのかな、と思います。

 プロレス技過激化の流れを作った、全日四天王のトップである三沢光晴選手も、皮肉なことに、投げられた際に受け身を取り損ね、リング上で命を落とすことになってしまいました。受け身の達人として知られる三沢選手でしたが、自団体の経営者としての仕事と人気レスラーとしての試合漬けの日々で消耗していて、最後の試合の直前には体調不良も訴えていたそうです。そういう中で起きた事故でした。

 ではなぜ、レスラーたちが危険な技を使わなければならなかったのでしょう。それは、「お客さんが求めるから」という一つの理由につきます。
 より刺激的なものを。より過激なものを。観客の欲求が膨らんでいった結果、レスラーたちはついに、その鍛え上げた肉体ですら受け止めきれないほど危険な技を使うところまで追い込まれてしまったのです。

 僕たちが楽しんでいるプロレス。レスラーたちは「超人的」な肉体を持っていますけど、決して「超人」ではありません。彼らも人間です。あまりにも危険な技は、彼らの命を危険にさらすことになります。

 プロレスというのは双方向性のあるエンタメであると思います。レスラーとリングだけがあっても、試合は成立しない。そこに、客である我々が存在して初めて成立するエンターテインメントなのです。だからこそ、僕たちにも「リング禍」の責任の一端がある。プロレスがただの「殺人ショー」となってしまわないように、過度な要求はしない、という心構えを持たなければならないと思うのです。

 プロレスに限らず、エンタメと言うのは作る側と受け取る側が協力して作り上げるものだと僕は思います。音楽ライブでもそう、小説やマンガもそうです。作り手や演者だって人間ですから、「自分は客だから」「金を払っているから」と相手のことを考えない要求を繰り返していれば、いずれその関係は破綻します。人気漫画家の作品が読みたいという欲求のままに、「刊行スピードを上げろ!」と作者や出版社に要求した結果、作者が体調を崩して長期休載になってしまう、なんてこともあります。

 プロレスを知らない人、知ったばかりの人には、「リング禍」という悲しい過去があったことを知ってもらえるように。そして、プロレスファンの方にはそういう悲劇があったことをもう一度思い出してもらえるように、僕は本作に「リング禍」というテーマを入れ込もう、と思いました。

■初めて遭遇したリング禍

 僕が初めて「リング禍」を目の当たりにしたのは、2001年…大学生の時だったと思います。ちょっと細かい経緯は覚えていないんですけど、当時FMWのエースだったハヤブサ選手の試合を(たぶん、ケーブルTVで)観ていた時のことでした。
 仙台の実家に住んでいた僕はその頃、地元団体のみちのくプロレスを追っかけていましたので、みちプロにもよく参戦するハヤブサ選手のことはよく知っていました。ヘビーの体格なのに、とんでもない身体能力を持ったハイフライヤー。試合を観ながら、空中技を軽々と繰り出すハヤブサ選手は、大好きな選手の一人でした。
 ですが、その試合。ハヤブサ選手は、リング内で飛び技を仕掛けるためにセカンドロープを蹴ろうとしたところで足を踏み外し、脳天からマットに落ちてしまいます。確か、その瞬間を見てしまったんですよね。生だったのか、録画だったのかは覚えてないんですけどね。
 足が外れた瞬間、体が空中で棒のようになって、次の瞬間には、戦慄が走るような角度で首がぐきんと曲がって。会場の空気が凍りついて。
 記憶の補完のために動画を探してもう一度見てみようかと思ったんですけど、アレをもう一回見る勇気は出ませんでした。恐くて。なので、ちょっと記憶違いなところもあるかもしれません。

 それまで、ただ「プロレスかっこいい」で見ていた僕には、衝撃的な出来事でした。同時に、プロレス技って恐ろしいな、と痛感させられたのです。

 『ストロング・スタイル』作中、リング禍によって命を落とした「エル・ヘリファルテ」。孤児院を経営する牧師、という設定はフライ・トルメンタという実在のレスラーのものですが、ハヤブサ選手の悲劇も、キャラクターに込めました。リングネームのヘリファルテ(gerifalte)は、スペイン語で「隼(ハヤブサ)」を意味する言葉であったりします。

■リング禍について考えた、偶然の出来事①

 ハヤブサ選手のリング禍から時を経て、僕は作家としてデビューしたわけですけれども、『ストロング・スタイル』の企画が持ち上がるずっと以前に、ひょんなことから二つの偶然に遭遇したのです。

 一つ目は、ZERO1さんの、火祭り2013開幕戦。

 編集さんに連れて行っていただいたお店に大谷晋二郎選手がいらっしゃったというご縁で、僕は後楽園ホールのZERO1の試合を観に行くことになりました。ZERO1さんの興行は初めての参戦でしたし、試合自体は面白く観戦したのですが、全試合終了後に「星川尚浩デビュー20周年記念セレモニー」が催されることを、当日知りました。
 
 星川尚浩選手と言えば、僕が追っかけていた頃のみちのくプロレスに在籍していた選手で、薬師寺正人選手とのタッグが印象的だったレスラー。けれど、その後、試合中の事故で脳出血を起こした結果、体に麻痺が残ってしまいました。

 当日はいろんな選手が集まって、星川選手の再起を応援していました。一時は車椅子だった星川選手も、懸命なリハビリで自分の足で立って歩くところまで回復はしていたのです。俺は引退していない。必ずリングに戻ってくる。そう誓う星川選手ではありましたが、歩く姿を見ると、その道がどれほど険しい道のりだろうか、と、僕は陰鬱な気持になってしまいました。

 その時、ふと、花道沿いにいた僕の隣に、リングを見上げる覆面姿の男性がいることに気づきました。男性は車椅子に座っていて、花道からリングを見つめていました。プライベートマスクから覗く素顔の口元は、少し笑みを浮かべていたように思います。

 それは紛れもなく、あのハヤブサ選手でした。

 体は小さくなってしまっていて、自由に立って歩くこともままならない様子でしたが、ハヤブサ選手もまた、リング復帰を目指してリハビリを続けていたレスラーの一人でした。

 あのハヤブサの横に並んで、星川尚浩を見ることになるなんて。

 鮮烈なイメージの残るハヤブサの最後の試合の記憶も相まって、なんだか心に迫る時間であったことを記憶しています。火祭りの試合以上に、その二人のレスラーの作る光景が、ぐさりと胸の中に残ったのでした。

その後、2016年にハヤブサ選手はくも膜下出血により、47歳の若さで急逝なさいました。この場を借りて、心からご冥福をお祈りします。

■リング禍について考えた、偶然の出来事②

 もう一つの偶然は、2015年のこと。

 僕が、中野の飲み屋さんで、某作家さんとお食事させていただいていた時、ふと、店内に貼ってあるポスターに目が行ったのです。あ、プロレスだ、って。
 結構、飲み屋さんはあっちゃこっちゃにプロレスの告知ポスターが貼ってあるのでさして珍しいものではないんですけど、その日はなんとなくポスターに目を向けたんですよね。

 そしたら、隣の席の女性が、「お兄さんプロレス見るの?」といきなり声を掛けてくる。はあ、けっこう好きなほうです、みたいな返答をすると、お隣グループの女性たちが、一斉に僕の斜め向かいに座っている女性を指さして、わあわあ大騒ぎ。知ってるでしょ?って。

 なんとびっくり、飛翔天女こと豊田真奈美選手だったのです。

 僕はわりと何があっても動じない方なんですけど、さすがに、隣の席で飛翔天女がウーハイ飲んでいるとは想像もつかず、状況に絶句。よく見ると、隣の席は皆さん女子レスラーだった。豊田真奈美選手、旧姓・広田さくら選手、永島千佳世選手、そしてカルロス天野選手。ガチの女子レスラー集団じゃないか、と、本気でビビる。

 その(恐いものなしっぽい)レスラー四人衆が「試合あるんだよね!」と、笑顔で猛烈にプッシュしてくるもので、抗う術もなく、僕はその場で手売りチケットを購入。レスラーのみなさんは、ありがとう!ってさわやかに笑いながら、店にあるポスターも引っぺがし、わいのわいのとサインを書いてくださった。


 なにその嘘松話、って思います?

 いや、マジなんすよそれが。

 お姉さま方、頂いたサイン入りポスター&チケット半券は大切に保管しております。

 偶然の遭遇で偶然手にしたチケットは、尾崎魔弓率いるOZアカデミーの後楽園ホール興行。そしてその日は、中野の飲み屋にいらっしゃった、カルロス天野選手の引退セレモニーの日でした。

 試合は、とても面白かった。当時まだ現役で、僕の推しレスラーだった紫雷美央選手もいたし、志田光ちゃんの尻は素晴らしいし、豊田真奈美選手は相変わらずトップロープに登るスピードが速い、と感心したし。

 でもなんか、ZERO1火祭りに続き、こういうセレモニーを見るのは、なんだか運命的と言うか、暗示めいたものを感じざるを得なかった。というのも、カルロス天野選手は、当日は引退試合を行うことができなかったのです。「外傷性脳幹損傷」を負っていることが発覚し、プロレスラーを引退、廃業することになってしまったからです。試合をすれば命の保証がない大怪我ですから、引退試合も実施することが叶わなかったのです。
 ただそれでも、天野選手の場合は「幸運」と言えたかもしれません。怪我の箇所を考えると、体に麻痺が残るなどの深刻な怪我になっていてもおかしくなかった。自分の足で、歩いてリングを降りることができた、というのが奇跡的、というレベルであったようです。
 一歩間違えていれば、天野選手もリング禍に遭っていた可能性があったのです。

 3年前の記憶なのでこれもちょっとあやふやなんですけれど、セレモニーの最後、天野選手が前述のプラム麻里子選手の話をしたのですよね。命の大切さを訴えかける内容だったと記憶しています。
 実は、日本初のリング禍、プラム麻里子選手の事故があった時、対戦相手であり、リング禍の原因となったライガーボムをかけたのは、その日の興行主であるOZアカデミー代表の尾崎魔弓選手。そして、そのタッグパートナーが天野選手でした。プラム選手の最後のパートナー、コマンド・ボリショイ選手も当日参戦していました。

 相手を死に追いやろうとして技をかけるレスラーは、一人もいません。尾崎選手はヒールですし、リング上では泣くことも許されない。きっと、リングに立つことにはものすごい葛藤があったんじゃないかと思います。天野選手はOZアカデミーの創設メンバーとして、尾崎選手を支えながら、リング禍の重荷を一緒に背負い続けてきた選手。天野選手自身はからっとした物言いをする方なので、どこか飄々としていて悲壮感はあまりないのですが、そういう人が発するからこそ、「命の重さ」という言葉について、とても感じるところがありました。

 僕の人生に重なった、「リング禍」にまつわる二つの偶然。その頃はまさか自分がプロレス小説を書くとは思っていませんでしたけど、「リング禍」の歴史は、僕の中でプロレスと切り離せないものになりました。

■プロレスラーは人間なのだ

 僕が、本作を書く上で、一番大事にしようと思ったのは、一個の人間としてのプロレスラーを描く、ということでした。
 プロレスラーだって人間なのです。そんなのあたりまえじゃん、と思うかもしれませんけど、リング上のレスラーを見ていると、いつの間にかそのあたりまえのことを忘れてしまいそうになります。過激な技に興奮したり、そういう技を求めて歓声をあげたり。

 近年は、一時期の危険度を競い合っていたようなプロレスから、徐々に業界全体が安全性に配慮した試合にシフトしてきているな、と思います。それでも、最近、たて続けに人気レスラーが事故に遭いました。

 いかに屈強なレスラーでも、一歩間違えば命を落としたり、体の自由を失ってしまうこともあります。プロレスというのは、ややもすると虚構の部分をことさら取り上げられたり揶揄されたりすることもあるのですが、こういった「リアル」は確かに存在する。だからこそ、レスラー同士のぶつかり合いと言うのは、あれほど人を熱狂させうるのだ、ということをどうしても言いたかったのです。

 今後、このような悲劇が二度と起こらないことを、いちプロレスファンとしては願ってやみません。


 昨年、試合中に深刻な怪我を負った高山善廣選手も、今懸命にリハビリを続けています。プロレス会場などで「TAKAYAMANIA」と称して有志が募金をしていることもありますので、見かけた際には、どうかご協力を。



と、今回はちょっと重めの内容となってしまいましたけれども、また次回はネタバラシ系のノートを書こうかなと思っております。




小説家。2012年「名も無き世界のエンドロール」で第25回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。仙台出身。ちくちくと小説を書いております。■お仕事のご依頼などこちら→ loudspirits-offer@yahoo.co.jp