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帝は何処

■2019/10/22 即位礼正殿の儀


 女衆が乗る舟に、徳子(とくし)の兄である中納言・知盛がやってきた。源氏との決戦の最中、兄は船上の要らぬものを棄てるよう侍女(そばめ)に言いつけると、母・二位尼(にいのあま)の前に首(こうべ)を垂れた。二位尼の膝上には、幼き帝が抱かれていた。

 知盛は多くを語ることなく、ただ「珍しき東男(あずまおとこ)をお目にかけましょうぞ」と大声で呼ばわった。徳子は、嗚呼、と嘆息する。即ち、敵の慰み者になる前に女共は自決せよ、との意であろう。

 戦の大勢は決したのだ。

 血刀を下げた知盛が舟を去ると、二位尼は各々に覚悟するよう伝え、自らは帝をやさしく胸に抱いた。帝は幼いながらも定めを悟ったのか、西の空に手を合わせ、念仏を唱える。涙は流すまい。そう誓っていたにもかかわらず、徳子の目に熱いものが揺れた。

 徳子の子、言仁(ときひと)皇子が帝となったのは数年前のことであった。先帝の譲位を受け、まだ幼い言仁が新しい天皇として即位することとなった。紫宸殿で執り行われた即位礼正殿の儀の光景を、徳子は今でもはっきりと覚えている。父・清盛が若い頃には雲の上の存在であった殿上人たちが稚児の前に平伏し、清盛の音頭に従って天も割れんばかりの万歳を唱えた。

 徳子は母后として、幼い帝を抱いて高御座(たかみくら)に座していた。波のように襲いくる万歳の音声(おんじょう)に、徳子は慄いた。胸に抱いているのは、天孫である帝。だが、衣を通して感じるのは、ようやく言葉を話し始めたばかりの、我が子のぬくもりでしかなかった。

 ――東男に神器を渡してはならぬ。

 二位尼は神剣を差し、神璽を収めた箱を抱えた。もう一つの三種(みくさ)の神器(みたから)である神鏡は、徳子に託された。二位尼は正統な帝の証である剣璽と帝の御体をその腕に抱くと、迷うことなく、揺れる壇ノ浦の波間へとその身を躍らせた。最期、真っ黒な海に落ちていく帝の目が、徳子をじっと見ていたように思えた。

 源氏の軍勢は間近に迫っていた。もう一刻の猶予もならない。腹を痛めて生んだ我が子は、既に海の藻屑と消えた。諸行無常。徳子は神鏡を抱えると、我が子の姿を追った。

 海の底深くに、極楽浄土はあるのだろうか。だが、そこに心静かなまま辿り着くことはできなかった。うねる波に揉まれて天地さえ判らなくなり、抱えていた神鏡も手放してしまった。水を飲む苦しみに藻掻いていると、頭を引きちぎられるような痛みが走った。

 気がつくと、徳子は舟の上にいた。敵兵が身を投げた徳子の髪に熊手を引っ掛け、無理矢理引き上げたのだ。敵方の舟上、濡れ鼠のようになった徳子は、ただただ震えていた。

「帝は何処(いずこ)か」

 徳子の目の前には、浅黒い肌の小男が立っていた。九郎義経。これが源氏の大将かと思うと、屈辱の余り手が震えた。

「帝は、二位尼と共に御入水なされ――」

 帝の最期を語る徳子をじっとりと見ながら、小男は苦笑した。否、と首を振って徳子の言葉を遮る。

「よいか、御剣(みつるぎ)がまだ見つからぬのだ」
「御剣が」

 小男の目を辿ると、見覚えのある箱が二つ、船上に並べられていた。帝の証である、三種の神器。小男が殺戮の果てに欲しているのは、ただそれだけなのだ。

「女、もう一度聞く。帝は、何処か」

 徳子の目から、遂に涙が零れた。幼い我が子は、何故死ななければならなかったのか。帝とは、いったいなんなのだ。

「恐れながら、お伺い申し上げます」

 帝は、何処ですか--。

 徳子の懸命の叫びは、海風に攫われて儚く消える。 

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小説家。2012年「名も無き世界のエンドロール」で第25回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。仙台出身。ちくちくと小説を書いております。■お仕事のご依頼などこちら→ loudspirits-offer@yahoo.co.jp

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覆面被った小説家です。『名も無き世界のエンドロール』で第25回小説すばるを受賞し、デビュー。自著の裏話、コラム、掌編小説などを随時公開しております。 質問箱→https://peing.net/ja/kaoruyukinari?event=0
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