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ゴッホの作品に衝撃を受けて半世紀…。

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私が14才の時 ゴッホの伝記に掲載されていた「悲しみ」という作品を見た時
衝撃を受け 30号位の板に母に貰ったシーツを貼り油絵の具で 一気に模写をしたことは忘れられません。

それから 絵描きを目指して半世紀になりました。
20才の時 切り絵作家の宮田雅之氏の個展と出逢い 「切り絵をやってみたい」とすぐ材料を求め 切り絵作品を20点作り 銀座のギャラリーで個展を開いたのが24才の時でした。
自分の性格に合っている切り絵を制作し続けましたが 切り絵は 当時 工芸のジャンルでしかなく 公募展に大作を出品しても陶芸や染色の着物などと一緒に展示されていました。

ある時 私の作品を見た画家が 工芸ではなく「純粋に絵画として出品をしてみないか」と公募展に誘って下さいました。
それが縁で数々の受賞をし会の評議委員までやらせて頂き 作家さんとの交流が出来、20・30代一番大きな作品を発表出来ていた時でした。
個展を開催していく中で、ドイツ・ デュッセルドルフでの切り絵の個展も企業のメセナによる後援を頂き開催できたのも39才の時でした。

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夏の陽射しが強すぎただけなのに  F80号 切り絵

アルバイトや自分の特技を生かし機械の図面を描いて生計を立てて来たのですが 絵の世界に居たいと思い 夢であったギャラリーと画材店を平塚にオープンしました。

「絵を教えてくれませんか」という青年と出会い。当時画材店の仕事に専念していたので 美術団体の先生方にお願いして(油彩・水彩・版画・テンペラ画・書道・絵手紙・粘土・押し花・陶芸)等々教室経営を始めました。
教室経営が10年して 社会情勢が少しづつ変わり 2004年に 毎日開講している絵画教室を目指し自分が講師としてやることを決めました。そのころ丁度 アクリル絵の具が デザインの世界から絵画の世界まで急速に普及し始めたのもきっかけになりました。切り絵から一気にアクリル画を創作していた私はカリキュラムを作り生徒募集をかけ今に至っております

002.月は東に陽は西に.s40

月は東に  s40号  アクリル画

講師として沢山の生徒さんとの出会いの中でみなさんに伝えたい事として

長く続けて欲しいと思います

技術的な事も 理論的な事も 短時間では習得出来ません。
昨日は知らなかったこと又出来なかったことが 今日は出来ることもあります

素直にやってみて 嫌いを作らないで下さい

受け身ではなく 自ら知ろうとする事が大事だと思います

出来ない難しいのは 当たり前のことですが 続けて行く中に 答えが見えて来るのだと思います

最後までお読み頂き、ありがとうございました。今後も有益な情報発信していきますので、スキ・コメント・フォローなど頂けますと励みになります。
よろしくお願いします。

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