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コーチングに正解はなくてよいんだ 3人目のコーチと対話を通して感じたこと


いつの日からか、世の中で「コーチング」という言葉を耳にすることが増えてきた気がします。

「一体なんなのだろう?」「どんなことするのだろう?」

というのが、私の第一印象。なんだかその正体がぼんやり霧のような姿をしていて形にならない。よくわからなかった。


うっすら見えたその姿、つまりお仕事のツールっていうこと?


私の中のコーチってあれですよ、習い事とか競技する選手の横にいる人みたいなイメージなの。勝手にだけど。

でも、どうも違うのかしら?ってうっすら思い始めたのは、気づいたら身近な友人や知り合いたちがコーチ養成スクールに通ってコーチになろうとしていて、彼らの行動をチラリと物陰からこっそり垣間見ていたから。

私が垣間見た様子からは、どうやらビジネスでの世界で取り入れる手段なのかしら?と感じたのでした。それに、色んなコーチのお作法だったり、組織があるみたいだということも。霧の姿がちょっぴりアップデート。

友人が通っているコーチスクールによると、

コーチングとは自発的行動を促進するコミュニケーションと定義しています。コーチングは組織のマネジメントにおける人材開発手法として、多くの企業・組織が、人材開発、リーダー育成、組織開発のために導入されています。
(コーチ・エイHPより引用)

なんですって。へー!やっぱりビジネスの世界での話なのね!と、なんだかちょっと日常の暮らしごとからは遠い感じもしていました。

けれど、どうやらそうでもないみたい。生きること、暮らすこと、全てにコーチングは全て寄り添ってくれるんだ!

そんなことを感じたのは、同じオンラインサロン仲間でコーチとして活動をされている中原絵里子さんと出会ったからでした。


お仕事の話以外をしてもいい 正解はない


今回コーチの絵里子さんは、サロン内でのビックなプレゼントとして、みんなにコーチングします!という企画を立ててくださりました(本当に優しい……)。

実は私、これまでコーチとの出会いはすでに2回ありました。絵里子さんとの出会いはコーチとして3人目なのです。

まずびっくりだったのは、先にセッションを受けていたサロンのメンバーは、みんないろんなお話をしていた様子。私はそのことにびっくり!

なんだかこれまでのコーチとって、お仕事の話をしてばかりだったけれど、そうじゃなくても良いのかしら……?という期待を込めて、セッションにお申し込み!

それまでは頭の中でなんとなく「仕事のこと」を話すもの?という気持ちがどこかにあったのかもしれません。

そっか!別に正解はないんだよな、「〜しなければ」から解放されたスタートでした。

多分この入り口でおんなじように感じている人もいるんじゃないかなあ。

コーチングって、「答えがないし、姿が見えないからこそ」何にもイメージができない人もいるかと思えば、私みたいに何か勝手に自分の中で決めごとをしてしまうっていうこともありそう!

安堵感を抱きながらも、いざセッションはスタート!

コーチは心地よく走るために伴走する、良き相棒


今まで経験したできごとから、私はコーチングってこんなことなのかな?と感じていました。

コーチングは、時間を決めてコーチにむけて自分の気持ちや状態を話す。こんがらがっていても迷っていても、言葉にできなくても。とにかく何かしらを言葉にしてみる。

もしこんがらがっていても、コーチはそれを紐き、綺麗に整理し、時には疑問や感嘆をそっと投げかけてくれる。

セッション中は、一つのテーマに沿って、コーチを受ける人(つまり今回は私)が、自分の思っていることや出来事をひたすらにつらつらつら〜と話をしていきます。

時折言葉が詰まったり、考えに及んだりすると、じーっと考えを巡らせて、また言葉を絞り出し、そして歩み始める。言うなれば長距離マラソンの伴走者や給水者のような立場がコーチなのです。

でも、この寄り添ってくれるコーチ、寄り添い方が人によって本当に違うんです……!近づきすぎてもいけないし、離れすぎてもいけない。相手との距離感がとっても難しい。すごーく感覚の鋭い方々なんだと想像しました。

絵里子さんは、私が想像していたよりも給水のタイミングをしっかり伺ってくださる方。

「その時にそう思ったのはなぜなのでしょう?」

「でも、今の話をしている時の永見さんは、とても表情が輝いていましたよ?」

「きっと本当は自分で答えを導けているのではないでしょうか?」

このように、彼女は決して正解を言いません。なぜなら、正解というのはコーチを受ける人である私が持っているものだから。

だけど絶妙なタイミングで質問や疑問だけではなく、「私の表情をとらえてくれて変化を教えてくれる」

これが絵里子さんの良さだなあと感じました。
(ってすみません、めちゃ評価な感じになってしまった)。

コーチそれぞれの良さがある 正解はない


これまで過去2回私がコーチングを受けてきた時に、なんとなくしっくりこなかったのは「空気を飲んでいるかのよう」だったから。

自分の出来事を話し、整理してもらい、また話す……、も。なんだか見守られているだけで、特に抵抗がないというか、自分の変化が感じられないというか。味がしない、栄養が入ってきているように感じない。だから空気を飲んでいるようだったのです。

でも絵里子さんと話してみて、いろんなコーチがいらっしゃるのだと思った。

「外からの微細な変化を捉えて、そっと教えてくれる」

自分では空気を飲んでいるように思うかもしれないけれど、そんな小さな変化を教えてくれるのは、ライターとしても活動されている絵里子さんならではなのかもしれません。

コーチには正解がない、コーチングにも正解はない

そういえばそうだよね、お医者さんだって、先生だって、カウンセラーさんだって、習い事だって。

別に形が一つなわけではないんだ。自分にとっての心地よい形やコーチを見つけていければ、ぐるぐる巡る思考をトラックランするのではなくて、長距離ランに変えることができる。

人生を心地よく走るために、考えることへの伴走者をお供にしてみる

いつでも誰でもどんなことでもOK

健やかに走るためには、応援者を見つけることをお勧めしたいです。


<中原絵里子さんのブログはこちら>


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