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恐れを越えた先に見えた世界は、思ったよりなだらかだった

このnoteは、参加しているオンラインサロン「京都暮らしの編集室」の有志メンバーによる12月25日までのリレー企画、アドベントカレンダーに合わせて書いたものです。テーマは「2023年の振り返り」。
12月1日から毎日メンバーがかわるがわる書いている楽しい記事は、上記から読むことができます。

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12月も気づけばあと1週間になってしまった。この週末はパパさんママさんにおかれましては、プレゼントお運び代行業に忙しいことでしょう。年末に1年を振り返るという余裕などないのだ。ないのに、何故か私は23日の担当としてnoteを執筆する決意をしてしまった。
なのに、更新が23日にあと1分間に合わなかった‥……。ぐう。

ということで、これは23日の担当分のnoteとして、薄目でお読みいただけたら嬉しい。

転機が訪れた2023年

現在の私の職業はフリーライターである。それまでは、長いこと会社勤めと並行をしながらライター業を担っていた。いわゆるダブルワーク。それも9年近くも。ずいぶん引きずり続けているな、なぜ今まで踏ん切りがつかなかったのだ、自分。とも思う。

しかし、過去にnoteでも書いていたのだが、会社員の仕事とライターの仕事、どちらの仕事にも意味があり、相互作用をなしていた。何より自分が選び取って就いていた仕事だから楽しかったのだ。

そんな私に転機が訪れた。子どもの療育である。


我が家には、来春小学生になる子どもがいる。言葉の遅れを伴っており、コミュニケーションに時々つまづくこともあるため、保育園に加えて、言葉の発達をサポートする教室などに通級している。

しかし、2023年の初頭に、ついに主治医から一言告げられる。

「就学を見据えて、週1通級のペースをもっと増やした方がいいよ」

……ああ、もう私はこれで会社員を続けることは難しくなった。これが私の中の転機を迎える決定打だった。

なかなか振り切れなかった、会社員という肩書き

それまで会社員としてはとても恵まれていた。
自分のやりたい領域の仕事をして、フルリモート・フルフレックス、中抜け可能、月間総労働制ゆえに、1日の業務時間も自分でコントロールができた。だからこそ、ライターの仕事もできていたし、子どもの通級も週1だったらなんとかなっていた。

とはいえ、子どもの通級につきそうということは、仕事に当てられる可処分時間は減る。これから先、通級の時間が増えれば増えるほど、私の稼働時間は減り、会社に勤めている以上は相手のスケジュールや頻繁にある会議のスケジュールにも合わせないといけない。もはやコントロールができない状況に陥ろうとしていた。

ならば、せっかくダブルワークとしてやっているライターで独立してしまえばいいではないか。誰もがそう思うだろうし、自分でもそう思っていた。

ありがたいことに前年の2022年には、ライターの仕事もかなりの量を経験していた。たまたまこの年は、「もし自分がライターとして独立するなら、どのくらいの仕事をこなせば実現できるのか?」を自分に課して実験していたのだ。

会社の仕事もこなしながらだったので、過酷だったけれど、この実験があったゆえに、会社を辞めても生計を立てられる見込みもあった。

それでも自分の気持ちにブレーキがかかっていた。どこまでも辛抱強い自分。辛抱強いというか、あきれるほどに恐れが強かったのだ。

だから、子どものことがなければ多分会社員を辞めることはなかったと思う。子どものせいとは決して思っていなくて、むしろ子どもが背中を押してくれたのだ。

体は正直なサインを出していた

こうして2023年の前半戦、会社員を辞める・辞めないと極限まで葛藤をしたあと、上司に退職を告げた。これがまず第一のヤマだった。

いざ会社に退職を伝えてからは、転職直後で右も左も分からない後任に、全力で自分の仕事をレクチャーし、自分の仕事も片付けていた。引き継ぎをするためにあらゆることに精力を出し、精魂尽き果てて終わった。

この緊張感が体と気持ちからすうっと抜けるには、かなりの時間を要した。

緊張感が抜けるよりも先に、体からサインが現れ始めたのが会社を退職して独立をしたタイミングだった。このとき、生まれて初めて全身にぶわっと皮膚炎が発生し、ありとあらゆる箇所がただれた。まるで毒出しをしているかのように。自分の体は想像以上に頑張っていたのだということを思い知ったのだった(いや、もしかしたら加齢による免疫力の低下なのかもしれないのだけど)。

初夏の頃、ついに私はフリーライターとして雇われない仕事1つを手にして、歩いていくことになった。


手放して見えた世界は、思ったより怖くなかった

それから半年。2023年の後半戦は、フリーライターとしておたおた歩いて、走って頭を掻きむしって、そして今まで以上に子どもの療育と向き合った。

わかったことは、意外となんとかなっているということだ。

よく「新しいことは、握りしめているものを手放さないと入ってこない」などというけれど、それは本当だ。

私はあんなに何か「不安」を握りしめていたけれど、手放した先にある世界には、自分が思うほどおそれたものはなかった。

いや、もしかしたら恐れるようなことはあったかもしれない。ただ、それ以上に豊かな気づきや経験があり、記憶の上書きがされているのだろう。

手放してみたからこそ訪れた新しい経験と出会い、気づきがたくさんあった。それはまた、別の機会にここに記してみたい。

歩み出すために一歩を踏み出すことは、自分が想像する以上に勇気がいる。

踏み出し方は人それぞれ。ただ、たとえ私のように退路を断つような形で歩み出したのだとしても、ふみ出した先の世界はそれほどおそれるほどのものではなかった。

来年は、道をデコボコさせる、面白いアイテムをたくさん散りばめられたらと企んである。それほどに今景色が変わった1年を経て、私の毎日に楽しみを見出しはじめている。


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