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無意識の選択にも、親のマインドが見え隠れ

世の中には星の数ほどたくさんの仕事がありますが、みなさんはどんな仕事をしていますか。あるいはしていましたか。
それってどうやって選んだのでしょう。
そこには時代背景だったり、自分の希望だったり、様々な理由があることでしょう。

先日、以前お世話になったキャリアコンサルタントさんと、clubhouseで仕事について話しました。ここでわたしは一番最初に働いた会社の話をすることに。

私が新卒で入社した会社は、ショッピングセンターの運営をする会社でした。その数全国におよそ50施設以上あります。

結構珍しい仕事なんです、この仕事。
なんでこんな仕事についたかっていうと、それは就職活動が近づく頃。サークルの先輩から「ショッピングセンターのコンセプトを作る仕事ってあるんだぜ」と教えてもらって、へーって興味を持ったから。

わたしの実家はお出かけと買い物が大好き。
父母はバブルの絶頂期を生きた人、それはそれは新し物好きで、
お洋服、雑貨、外食などいつもトレンドを追いかける夫婦でした。

私が高校生になると、日本にアウトレットモールが誕生。新しいところができれば、「次の週末は横浜に行こう」「今度は御殿場だ」「いやいや軽井沢が増床したらしいぞ」
と一家でえっちらおっちら全国津々浦々お出かけ。時には父と2人でアウトレットモールに行くなど、さながらデート状態のことも。
そんな家族なので、トレンドやお買い物などの話が食卓にものぼることもしばしばでした。

大学生になると、稼いだバイト代を握りしめて毎月1枚づつ好きなブランドの服を買うことが1番の楽しみに。
少しでも安く手に入れたいから、バイトをする場所は社販のある駅ビルか百貨店、という策士ぶりの入れ込みようでした。
気づけば
「どことそこは姉妹ブランド」
「あそこの駅ビルはリニューアルしてセレクトショップゾーンができた」「服のタグを見てどこのアパレル会社かチェック」
などのオタクぶりが進み、先輩から教えてもらった仕事は
「まさにこれやってみたいことじゃあないか」となったわけです。

当時就職氷河期の末端で、女子大の私にとっては超絶きびしい中、なんとかつくしに尽くし、第1希望の業界にすべりこみ。こうして仕事人生が始まりました。

ちょうどその頃からショッピングセンターは超拡大期に入り、
毎年いくつもいくつも新施設がオープン、会社の業績もうなぎ上り。

会社には毎年100人ずつ新しい人が入ってくるし、
とにかく毎日が激務で深夜明け方まで働く。
シャワーを浴びてまた出社する。
そしてどんどんと新しい施設が開業する。
沢山のお客様やショップスタッフの方と試行錯誤の毎日。
いろんなセールの企画を考えたり、雑誌とのタイアップをしたり、
時にはCM作りの立ち合いなども。
ありとあらゆる仕事を来れば、拾う、打つの1000本ノックとはまさにこのこと。

時代はリーマンショックだったり、東日本大震災だったりと揺れ動く不透明さが沢山な中、逆行するかのように会社はバブルのような勢いでした。

職場の先輩たちもみんなおしゃれが大好き。
死力を尽くして稼いだお給料は10万単位でお洋服につぎ込んでいる人たちもざらでした。ショッピングセンターの事務所にはファッション雑誌がワンサカあり、掲載されたブランドなどは常にチェック、雑誌掲載商品が入荷されたお店についてなどお客様からお問い合わせが来ることが常にあるので、事務所の人も常にチェックしています。

こんな環境で刺激にまみれながら、激動の日々を過ごしていたのでした。

で、ここまで話をしてもわかりますが、就職先の選び方が、育った環境の影響力がもろに出ているパターンです。無意識レベルだったけど、ものすごい影響力。

キャリアコンサルタントさんはこれを聞いて、
「仕事って、どんなタイミングかはそれぞれあるけど、原体験の影響って大きいよね」と。

なるほど、そうなのかもしれないなぁ〜と感じたのです。

さらに言うとこのグングンニョキニョキ成長していく感じもまた父のこれまでの歩みと似ていて…

父は外資系企業務めだったのですが、日本法人が立ち上がったばかり頃に入社、黎明期をひたすらビュンビュン風を切り、時代を作り、ガツガツと歩んできていたのです。

そして母から言われたのは「わたしは就職には一切口を出さなかったけど、本当に親子だなぁと思った。あんたたち似てるよね」と。

ちょっと驚きませんか。
別に父に似たい、真似したい、憧れてるとかそんなの思ったことないのに。

自分の興味関心をたどっていったら、後ろに出来上がっていた道筋は父と企業のテイストなんかまで同じだったということです。


細胞にすりこまれた無意識レベルでの影響力にびっくりしてしまいます。

なんだかそう考えると親になった今、自分の子供へも無意識に影響力を与えてしまっているではないかという不思議さと危うさ、ある種の怖さを感じたり…

3歳の息子には、自分で生きる思考、判断力をつけてほしい。
周りに左右されずに、自分の「これ」を突き詰めて欲しいなぁと思っている。

けれど…

結局は原体験に基づく何かはあり、何かを選び取る。

まっさらで、まるで何にも縛られない自由ではないんだなぁと思わずにはいられません。




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