間違った前提
気づきの道を歩き出す人、人生を本気で悩み、だからこそ苦しむ人は
本当に尊い人たちです。
こういう人たちは、失敗や苦しみを決して外側のせいにしたりしません。
アイツが悪い、親が悪い、会社が悪い、政治が世の中が世界が悪いとは
決して言わないのです。
常に自分自身を振り返り、自分の至らなさ、自分の努力不足、
自分の才能を責め、苛みます。
自分が悪いから間違うのだ、苦しむのだ、と考えるのです。
人生と自分をどうでもいいと思っている人は、悩むことはないからです。
これを思うとき、それは涙が出るほど悲しい物語ではないでしょうか。
他人や世の中のせいに出来たらどんなに楽なことでしょう。
ゴミ箱を蹴り上げ、床を叩き「自分は悪くない」と言えたら、
それはどんなに楽でしょう。
でも、自分自身を見つめている人はそんなことはしません。
こんな人たちこそ、本当に幸せにならなければいけないと思うのです。
ここで大切なことは「内観」「自分を変える」「自己啓発」など、
一見、自分を見つめ、高めようとすることが、
自己虐待のもう一つの手段になってしまっていないか?
ということなのです。
他を責めず、自分を責めるということは結局のところ、自分が悪い、
自分が間違っている、自分には何かが足りないと言っていることと同じです。
このように、外側に責任を負わせず、自分にその責任を感じる人は、
「自己欠乏感」のある人たちです。
自分には足りないところがある、
間違っているところがあると信じているのです。
そう信じているからこそ、
自分を変えよう、もっと自分を磨こうとするのです。
自己欠乏感からする行動・行為は必ず、
さらなる自己欠乏感を増大させてしまいます。
内観や自己改善に努力しても、それがうまくいかなければ、
やはり自分には何も出来ない、能力も才能もないとの結論に行き着くからです。
マイナスから始める行為はマイナスで終わります。必ずそうなるのです。
この自己欠乏感こそ、深く深く見つめなおす必要のあるものです。
「自分には足りないところがある」これは果たして真実でしょうか?
あなたという人はこの宇宙にたった一人だけです。
あなたは他の人と、ことあるごとに比べるでしょうが、
その比較している人はあなたとは全く違った人、別人、別の存在です。
この宇宙で比べるもののない、たった一人だけの特別なあなたに、
何かが欠けているなどとどうして言えるでしょう?
比べるものがないのに、どう比較しますか?
「間違った前提」からすべての悲劇と苦しみが生じています。
あなたに間違ったこと、足りないものなど何一つありはしないのです。
ただあなたがそう言わない限りは。。
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