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懐かない猫はお嫌いですか?

今年の2月から一匹の猫を預かっている。
推定5歳の雌で、名は「きぃ(ちゃん)」という。

人間ならアラサーシングルマザー風。なんかモテそう。

去年の夏に子猫と一緒に保護され、諸々の事情があり我が家で預かることにした。
もっとも、預かるを通り越し、このまま飼うことになりそうな予感はするが。

きぃちゃんは長らく外で暮らしていたせいか、お世辞にも「人慣れしています!人懐こいです!」とは言い難い。
だが、私はあまり気にせず……むしろ、やや面白がって預かることにしてしまった。

それというのも、以前、最高に人慣れしていない元野良の雄猫を飼っていたことがあり、その大変ながらも創意工夫に満ちた日々が懐かしかったのだ。

きぃちゃんについては別途詳しく書きたいが、彼女と暮らす中でふと思い出したことがある。

懐かない動物は可愛くないですか?

今から15年以上前。
件の雄猫にまだ指一本触れないどころか、目が合っただけで威嚇されるような有様だった頃に親父が訪ねてきた。

食い物で猫を懐柔しようとたくらんだ親父だが、そんなもので篭絡される程度なら誰も苦労はしていない。
ケージの隙間から差し入れた薩摩揚げは強烈な猫パンチで箸と共に宙を舞った。
カラカラと床に転がる箸、ドィンドィンと跳ねる薩摩揚げ。
その二つが静止して一瞬の静寂の後、ぼそりと一言。

「懐かない猫なんて飼っても可愛くねぇだろう」

更に続けて「犬でも猫でも、懐くから可愛いんだ」
その様子は、私の心情が心底理解できないという様子だった。

こんな些細なことを今も覚えているのは、宙を舞った箸と薩摩揚げが面白かったからではない。
親父の言い分は、私が常々疑問に思うことだったからだ。

私は物心ついた頃から"動物好き"にカテゴライズされる人間だが、同じたすきを下げた人と話をしていても違和感を覚える時がある。

違和感の中身は色々だが、今回の話に関係するのは「犬が好き・猫が好き」と言えども、やはり皆「人懐っこい個体を好む」ということだ。

過去に私も里親探しをしたが、サクサクと引き取られて行くのは「人懐こい子猫」である。
臆病だったり、攻撃的だと子猫でも難航する。
そうして考えると親父の「懐くから可愛い」が世間一般の感覚なのだろうと思う。
そういえば、昔読んだ「子犬・子猫の育て方マニュアル」のような本にも「明るく人懐こい個体がよい」と書いてあった気がする。

それでは、私が猫を引き取る時どうしていたかといえば、性格で選んだことがない。そもそも、保護からの引き取りだったりするので選択の余地がない。
しかし、それで困ったことは一度もないのだ。

件の雄猫。ここまでくるのに軽く1年以上かかっている

「懐く」とはどういうことだろう?

人々から「懐く・懐かない」と聞く度に、結局「懐く」とはどういうことなのか考える。

「慣れている」と「懐く」は似ているが、言葉の違い以上の差があると思う。
野良猫がすり寄ってきた時、犬が物欲しげに足元でおすわりをした時、よく「人懐こい」「懐かれた」などと言う。
だが、本当にそうなのだろうか?

例えば、犬が食べ物を持っている人間の前に"おすわり"をすると、人の視点では「犬は食べ物でコントロールできる(犬を支配できている)」と考えてしまう。

しかし、「犬の視点」で考えれば、こうかもしれない。
「人の目の前で座ると、手に持っている食べ物を差し出す」
人の前で犬が座るのは、服従し機嫌を取っているのではなく、人に狙った行動をさせるためのピタゴラスイッチ。(おとうさんスイッチならぬ、飼主スイッチ)
こう考えるとコントロールされているのは人間側になり、"慣れている"は、「犬が人を使うことに慣れている」となる。

あるいは、「キャバ嬢と客」「ホストと客」のような関係性と言ってもいい。

このように考える理由は、犬のしつけ相談で「おやつがないと言うことを聞かない」などの話をよく聞くからだ。
これは飼主(あるいは飼主家族)と犬だが、それ以外の相手でも結局同じことだろう。

確かに食べ物を使えば早く距離を縮めることはできる。
でも、それだけでは駄目なのだ。
食べ物で縮めた距離は、あくまで切っ掛けに過ぎない。
目に見える報酬ありきでの薄い関係を確固たる絆と勘違いしているうちは、いつまで経ってもピタゴラスイッチや「キャバ嬢・ホストと客」の関係から抜け出せないのではないだろうか。

人から「慣れた」「懐く」「言うこと聞かない」など聞く度に、頭の中でこれらのことをグルグルと考え、密かにう~むと唸っている。
もっとも、慣れさえすれば共存生活をする上で大きく困ることはないと思うので、気にすることもないのかもしれない。
だが、私のように「人懐こくもなく、人慣れもしていない」猫を預かったりすると、考えざるおえないのだ。

答えは猫のみぞ知る

里子に出した猫も含め、それなりの数の人慣れしていない猫と関わってきた。
思い起こせば「人と暮らすことに慣れさせよう」とは考えたが「懐かせよう」とはしてこなかった。

私が思う「人と暮らすのに慣れる(人慣れ)」は、人と同じ空間で過ごすことに大きなストレスを感じず、双方が大きな怪我をすることなく程々の距離で暮らせることだ。
(人側が多少引っ掻かれたりするのは、相手が小さい肉食獣なので諦める。逆は当然駄目)

まず、そこがゴール。その先は、猫次第。
一生ピタゴラスイッチで終わるのか、それとも「多少ドン臭いが、まぁまぁの同居人」に昇格できるかは、猫だけが決められて、猫だけが答えを知っているのである。

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