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犬の恩返しは死ぬまで(前編)

「犬の恩返しは死ぬまで、猫の恩返しは死んでから」

根拠も出典も知らないが、私のダンナさんはよくこの言葉を口にする。
以前、死んでからの猫の恩返し的な話を書いたが、犬はどうなのだろう?
今日は、そんな"犬が死んでから"の物語。

※猫の恩返しは以下からどうぞ。

犬の怪・イレギュラー

私は動物好きだが、別に直接動物を扱う仕事をしているわけではない。
確かに動物の絵を描いてお金を頂く時もあるが、ほぼ「純然たる趣味」として、昔から様々な動物と顔を突き合わせている。

中でも犬は、飼主とニコイチで付き合う機会が多い。
ただ、犬と人では時間を歩む速度が違う。
長く同じ地域に留まれば、馴染みの犬が天に召されるケースも少なくはない。

この場合、ここで縁が切れる犬友もいるが、大概はご近所さんのため偶然見かけたり、飼主とだけ交流が続いたりするのだが……
その横には"亡くなったはずの犬"がいる。

もちろん、これは「犬の幽霊」である。
ゆえに、いつも視えるわけではない。しかし、視える時は視える。
この犬霊たちの行動で非常に特徴的なのは、生前どれだけ八方美人だった犬も例外なく死ぬと他者を見なくなること。
たまたま視えている私など、当然アウトオブ眼中だ。
彼らの眼差しは、ひたすら主の姿を追い、笑顔は主にのみ向けられる。

これが私の知る、ごく一般的な"犬の怪(幽霊)"だ。
しかし世の中、どんなものにもイレギュラーは発生する。

ラブラドールとベビーカー

「彼女」と初めて出会ったのは、今から15年以上前になる。

彼女は、ラブラドール・レトリーバというごくありふれた犬種だが、その体毛はラブにしては珍しいチョコレートカラー。俗に「チョコラブ」と呼ばれる犬だ。

彼女が飼主の押すベビーカーにそっと付き従う姿はひときわ印象的で、今でも鮮明に思い出せる。

賢いと言われるラブラドールだが、実は若い頃はかなり活発だ。そして、その活発さに手を焼く飼い主は多い。
それなのに彼女は、ずいぶんと落ち着いているので
「これは本犬の気質もさることながら、よほど手をかけて育てたのだなぁ」
と関心したのだ。
(人でも動物でも「手をかける」のは「愛情をかける」と同義だと思っている。愛がなければ手をかけられない。もちろん、過保護や過干渉とは別の話)

それから数年後、私の元へ柴犬・柴子がやってきた。
そこから広がった犬繋がりで、彼女とその主であるSさん一家と付き合うことになるのだから縁とは奇妙なものである。

実際に付き合うようになっても、彼女の印象は変わらなかった。
彼女は、自分の体の大きさと力の強さをよく理解した上で、人にも犬にも優しく穏やかだった。

そんな彼女は柴子と2歳ほどしか違わなかったのだが、やはり大型犬の老いは中小型の柴より早い。
彼女が12歳になった年、家族に見守られる中、静かに旅立って行った。

……ここまでなら"普通の話"なんだが、

ここから先がお定まりの不思議な話。
私はこれ以降、方々で彼女を"視かける"ことになったのである。

◇その1:いとまごい

初めて"幽霊になった彼女"に遭遇したのは、亡くなった日だった。

その頃は、彼女と出会った地域から越していたが、S嫁さんとの付き合いは続いていて、彼女の容態が良くないのは知っていた。
だが、あくまで話だけなので、どの程度かは分からない。
その日もふと気にかかり「明日にでも連絡してみようかなぁ?」と考えていた。

思えばこの"ふと思う"のが、俗に言う"虫の知らせ"であり、それを気のせいと思えないように、その夜遅く"ナニカ"が我が家に訪ねてきた。

大きくて、黒っぽく、明らかに元・人間ではない……"ナニカ"

悪意がないのは分かるが、正体はよく分からない。
そしてよく分からないのは、"私の客人"ではないからだ。
しかし、この部屋にいる生き物といえば私1人と獣が3匹。
……獣を訪ねて来る怪など、あるのだろうか?

翌日「あれは何だったのだろう?」と思っていたら、連絡しようと思っていたS嫁さんから連絡が来た。
内容は彼女の訃報だったが、私はそれで納得した。 昨夜の"ナニカ"は"彼女"だ。
なるほど、肉体のくびきから放たれた彼女は、いとまを告げに来たのだ。
うちの"邪祓いの黒猫二代目"に。

この二代目、実は元々Sさん宅の縁の下で生まれ、母猫が置き去りにしていった猫なのだ。

保護直後の二代目

縁の下から保護されてSさん宅にいる間、彼女は小さな小さな二代目を大変気にかけていたそうだ。
犬とはいえ実の子のS息子くんよりも先に家にいて、いわば「S家長女」という立場で、ずっとS息子くんを見守り続けた彼女。
たった数日とはいえ家にいた二代目も「私の小さい妹」と思っていたのかもしれない。

何しろ、二代目が我が家に引き取られ数年経っても、S家の人々が「子猫ちゃんは?」と言うと、子猫が置かれていた場所へ行っては、探すような動作をしていたのだから尋常ではない記憶力だ。

その行動にどんな理由があったかは定かでないが、いずれにしろ気がかりの一つだったのかもしれない。

◇その2:バレエの発表会にて

次に「おや?」と思ったのは、S息子くんのバレエの発表会だった。

S家はダンス一家で、息子のS息子くんも小さなころからバレエを習っている。週に数回あるバレエのレッスン。その送り迎えは、S嫁さんと彼女だった。

その日、私は年に一度ある発表会のチケットを頂いて客席から観覧していた。
S息子くんの番になり、しばらく普通に見ていた筈なんだが…… ふと、舞台の隅に"ソレ"がいるのに気付いてしまった。

茶色の床と裾に続く闇に溶け込みそうで溶け込めない、茶色いドッチリとした体躯の……犬。

ジュニアスクールの発表会とはいえ、バレエの舞台裾に犬がいるという光景。
そしてその犬は当然の如く彼女である。
客席で思わず、"口ぽっかぁ~ん"になったのは言うまでもない。
シュールすぎるにもほどがある。

通常ならば見えない距離の彼女の表情は、 怪異ならではの明瞭さで実によく見えた。
可愛い弟の舞台を眺める彼女は、これ以上ないほど嬉しそうな顔をしていた。

◇その3:神社の大祭にて

子供バレエの発表会の舞台袖にチョコラブの霊が!

……という怪談なんだか快談なんだか分からないモノを見て、もう終わりだろうと思っていたが、もちろんそうではなかった。
次の舞台は神社である。

市内の神社の秋の大祭の前夜祭に、Sダンナさんはフラメンコを奉納する。フラメンコを堪能すべく現地へ赴き、そこでS一家と合流したのだが……その横に当然のように彼女がいる。
もう、ここまできたら驚けない。驚いてなるものか。
しかし、そんな私の心情を知らず、S嫁さんがこんなことをおっしゃる。

S嫁「さっきそこで○ちゃん(犬)にあったんだけど、吠えられちゃったわぁ。うちの子と仲が悪かったから匂いに吠えてるのかなぁ?」

匂いどころか、本人(犬)いますけどっ!

……と、ツッコミが喉元を通り過ぎ舌の上まで乗ったが、それを噛み砕いて飲み込んだ。

いや、言えるか。
彼女がS嫁さんの横で、私を見ながら満面の笑みで尻尾をぶん回しているなんて口が裂けても言えない!!

その後、彼女は我々と並び、ステージで華麗に舞うS旦那さんを見ていた。これ以上にないほど嬉しげな顔で、オマケに風を感じる勢いでバッタバッタと尻尾を振り回している。
バレエの時よりテンションが高いのは、単純に屋外だからだろう。

そうえいえば、彼女は自宅で練習をする旦那さんや息子くんを見ていただろうが、生きている間は、結局その晴れ姿を見ることが出来なかったのだなぁ。

犬に人の世がどれほどが理解できているかは知らないが、とにかく彼女は家族が楽し気に踊る姿が好きだったのかもしれない。

このようにして、私は行く先々で彼女を視た。 正確にはS一家の行く先々に彼女が同行しているのを視た。

ちなみにS嫁さんについて特記すべき事がないように思われるだろうが、彼女の基本位置はS嫁さんの横だ。
S嫁さんを中心に他の家族それぞれについて歩く。

家族の誰にも分け隔てなく従順な彼女だが、家族構成の関係上、彼女の面倒をもっともよく見たのはS嫁さんだ。
恐らく彼女にとってはS嫁さんが群れのボスであり親だったのだろう。

見えなくても分かること

彼女が亡くなって一番世話をしていたS嫁さんが心配だったが、密かに小学生のS息子くんが落ち込んでいるんじゃないかと思っていた。

子供が一体いつから死というものを理解できるのか。
私は子育てをした事がないから分からないが、私の経験で行けば意外と子供は大人が思う以上に早く理解している。
ある時それとなくS嫁さんに「S息子くんは大丈夫かい?」と聞いた所、

「それが、S息子は毎日一緒に学校に行っていると言うのよ」

……と、何とも言えない顔をしていた。
確かに親としては子供がそんな空事を言えば、そんな顔にもなる。

しかし、私には納得の答えだった。
この話を聞いたのは、ちょうど息子くんが学校へ行っている時間で、彼女はS嫁さんの隣にいなかった。
それまでも似たようなことがあり、何処へ遊びに行っているのだろう?と思っていたら、なるほど、息子くんへついて行っているのか。

多分、息子くんに彼女の姿は見えていなかっただろう。
視える私が言うのも説得力がないが、‟視える”は意外と上っ面の問題で、本来はもっと深い所で"分かる"のだ。

S息子くんは利発な子だが、子供特有の感性で彼女の気配を感じて、 率直にそれを言っていたんだと思う。

何故、彼女は私の前に現れるのか?

それにしても、よく視かける。

私は基本的にのべつ幕なしに霊の類は視えないし、視ようとしない。
たまたまチャンネルが合ったものは別として、それ以外については幾つか条件をつけている。

その条件の一つを分かりやすく言えば「生前からの縁」

基本、怪異とは関わりたくないが、生前から縁があるものに関しては、多少なりとも融通を利かせる。私や身内が世話になったのだからね。

確かにうちには二代目という"生きた縁"もいるし、私は彼女をよく見知ってはいる。
しかし、それにしても視すぎだ。しかも、彼女からバッチリ視線を合わせてくる。

冒頭で述べた通り、たまに飼い主に連れ添う犬を見る事はある。
だが、これはあくまでも私が"たまたま"視ているだけに過ぎない。
だから、アチラとは目線が合わない。アチラはこちらの存在に気付いていないのだ。

それなのに彼女はあからさまにこちらに視線を合わせて来る。しかも、思い切り「期待に満ちた眼差し」で。

その眼差しの意味するものは一つしかない。
「自分の代わりに伝えて欲しいことがある」

彼女が伝えて欲しいことは分かってる。分かっているのだ。
ただ、S嫁さんは"この手の話"が好きではない。むしろ、お嫌いである。
私は他人の嫌いな話を「あなたの為だから」と話したくはない。

これが人の怪で、恨めし気に出てきたのであれば「用あるのなら、テメェで夢枕に立てやボケェ!」と一蹴し、回線を強制遮断するのだが……相手は犬。

無理だ。犬でも猫でも動物は、生きていても死んでいても可愛いのだ。
頼むから、その穢れなき純粋なまなこで見つめないでくれ!

こんな調子で、これ以降も"S一家のいる所に彼女あり"
あらゆるところで彼女を視かけ、その度に熱いアイコンタクトビームを放射される羽目になったのだ。

※「犬の恩返しは死ぬまで(後編)」へ続く


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