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猫の恩返しは死んでから ~黒猫・初代奇話~

うちのダンナが犬猫を愛でながら、よくこのようなことを言う。

「犬の恩返しは死ぬまで。猫の恩返しは死んでから」

これは、犬は生きている間、主人に付き従いながら恩を返し、猫は生前好き勝手に生き、死後に恩を返しに来る……ということらしい。

犬はさておき、猫は「家につく」「恩を三日で忘れる」などと言われているが……はてさて、本当のところはどうなんだろう?

黒猫、死しても恩を忘れず ~幽霊初代の奇行~

かつて我が家にいた邪払いの黒猫・初代は、死んでからもネタ満載の猫だった。

それぞれは他愛ない小さな事柄だが、今まで5匹送り出し、死後も一番色々あったのは初代だ。
そうして考えると、やはり彼女は特別な猫だったのかもしれない。

■挨拶に行く

初代が亡くなった翌日の早朝、実家の母から電話があった。
母は元から早朝に電話をしてくる人だから、そのこと自体は通常運行。
ただ、この日は開口一番に「何かあったのか?」と聞いてきた。
何のことかと思いつつ「昨日初代が亡くなったけど、それ以外は特にない」 と答えると、「なるほど!」と納得していた。
続けて事情を聞けば、昨晩以下のような異変があったという。

眠ろうとしたら、急に辺りが線香臭くなった。
それは仏間から香ってくるようなボンヤリした香りではなく、あたかも真横で焚いたようにハッキリと香って、すぐに消えた。

私の実家の地方では、こういった現象を「虫の知らせ」とする。
知らせの内容にバラつきはあるが、大体は訃報など"よくないこと"である。
私のところへ電話をしてきたのは、身内で私だけが実家地方を離れているため、そして母の中で霊的な変事に関しての相談窓口が私になっているからだ。

母が初代の訃報を聞いて納得の一言をあげたのは、我が家の猫達の中で初代だけが母にベッタリと懐いていたからである。

母は、基本的に動物全般が苦手だ。
だが、自分が苦手なのと、相手から好かれるかどうかは不思議と一致しない。
理由は分からないが、初代は母に異様に懐いていた。
数年に一度しか訪れない母に会えば喜び、何度降ろされても膝の上に乗る。確かに人懐こい猫ではあったが、そこまでベッタリとついていたのは、私と母だけだ。

猫の顔など覚えようとしない母だが、さすがに初代だけは覚えていたようだ。
いや、むしろ懐かれて満更でもなく、だからこそ「獣であっても律儀に最期の別れをしにくる」という考えに結び付いて納得したのかもしれない。

この話をすると、何人かは必ず「猫が線香を知っているわけがない!」 と言う人がいる。

確かにそうだが、それを言い出すと、まず「虫の知らせ」のシステム解析から考えなければならず話のキリがなくなる。
キリよく「線香の認知」に限定して語れば、それは"猫による"だろう。

諸説あるが、猫は人なら3歳児程度の知能で、80単語は区別できるという。
寺の猫などは線香の煙の中で暮らしているし、我が家でも月に何度かは焚く。
だから、初代が線香を知っていても不思議でないと言えば不思議ではない。

※線香臭、虫の知らせの考えは諸説ある。ここで語っているのは、あくまでも私の出身地のごく狭い範囲で言われていることである。

■共に旅立つ

初代は我が家で2番目飼った猫で、先住の長老と非常に仲が良かった。
常に一緒に行動し、長老が高齢になり毛づくろいをしなくなると、自分の毛以上に長老をグルーミングしていた。

それほどの仲だったためか、長老が息を引き取った時も迎えにやって来た。
そもそも、その数日前から頻繁に姿を現した。

何だろう?と思っていたら、唐突に長老が亡くなったので「お迎え」だったようだ。

どうやら犬や猫にも「迎え」は来るらしい。
長老が亡くなった時のお迎えは、初代だけではなく初代より先に亡くなったエリンギ(雄。長老に育ててもらった初代とは相性が悪い)もいた。
そこに長老が加わり、猫霊達が視えているらしい生犬と生猫×2が加わり、計6匹の獣が3DK内でお祭り騒ぎである。

このうちエリンギは飽きたのか、期限があったのか、 2週間ほどで姿を消した。

だが、初代は長老の準備が出来るまでずっと家に滞在し、暇でも潰すように私の後をテコテコとついて回った。
そうして1カ月ほどたったころ。

前提として言っておくと、私は基本死者の夢は見ない。そして会いたい人の夢も見ない。基本、私は夢をコントロールできない。
その私が、ある晩夢現で変なものを見た。

その晩、私は仕事場で横になった。
うつらうつらした頃、瞼を閉じているのに妙に視界が開けた。

見えたのは、横になった時と変わらない部屋。
電気は消え、カーテン越しの灯りでほんのり明るい。
そして、足元に生前と全く変わらない姿の長老と初代。

薄暗い中ではあったが、猫としては一番いい頃、つまりシニアに入る前の少し若い姿をしているのは認識できた。
だからこそ「あぁ、これは夢だ」と思った。そんなことはありえないから。そもそも、横になった状態で足元にいる猫は首を持ち上げないと見えないはずだ。それなのに見えているのは理屈に合わない。

そんなことを考えている間に、二匹は布団の上をノシノシと歩いてくる。夢であるにも関わらず、不思議と足が体に乗れば見た目相応の重さが掛かる。
夢なのに、あまりにも生々しい重さだった。

そうして腹を過ぎ、胸元あたりまでノシノシとやってきて、二匹で私の顔を覗き込む。

……その目が「死者の目」だった。

ホラーな意味ではない。別に目玉がなかったとか、白目がないとか(大体猫って白目ないし)そういう意味ではない。
少し薄い膜の張って焦点が合っているようで合っていない……そういう"死体"のまなざしだったのだ。

ハッとした時、完全に目が覚めた。

もちろん、そこにあるのは寝る前、そして夢で見たのと寸分違わない光景。ただ、猫の姿だけがない。
それでも私は納得したのだ。これが夢でも妄想でも、夢枕というものでも正体は何でもいい。
ただ、このように納得したのだ。

「あぁ、そうかそうか。もうアチラへ行くのか。
その前に2匹で挨拶に来たのか。
どこまでも初代は長老に連れ添うのだなぁ」


それから数日間は、まだちょくちょくと気配を感じていたが、やがて2匹の気配は私の周りから消失した。

2匹仲良く、次の棲家へ旅立って行ったのだ。

左から初代、長老、エリンギ、猫は死んでも猫である。気まますぎる

やっぱり猫も恩は忘れず

初代は、この長老の件以降も姿を現した。

どんな時に来ていたのかというと、残されたメンバーの体調に異変が起こる前に姿を現す。
対象的に長老はやエリンギはほとんど来なかった。
この2匹に関しては、性格的にさっさと毛皮を着替えてしまったのかと思っていたが、犬の臨終には揃って姿を現した。
(歴代の猫に囲まれた犬は、さながら涅槃図のようであった)

今、我が家に残る猫は、跡目を継いだ2代目黒猫と、初代と面識がない保護猫2匹。
これから先も初代が訪れるかは謎だが、仮にもう訪れることがなかったとしても私はあまり寂しく思わないだろう。
これにもちゃんと理由はあるが、それはまた別の話だし、それが叶わなくとも十分に恩は返してもらった。
あとは彼女が自分の好きなようにすればいい。

いずれにしろ、猫は猫で恩も義理も忘れないというのが今回の話。
ちなみに「恨みも恩のうち」なので、まかり間違っても虐待などはしないほうがいいだろう。

死後にきっちり、お礼参りにくるだろうからね。

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