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天狗舞踏

「まぶた閉じても、自分のまぶたの裏が見えるでしょう?」

と口にすると、大概の人に「はぁ?」という顔をされる。

「まぶたを閉じる」という行為は、"=目の機能を完全offにする"というものではない。
単純に外界からの視覚情報が遮断されるだけである。

今日は、そんな閉じられたまぶたの裏にある「個人シアター」に映った"面白いもの"の話。

寝る前の遊び ~脳内散歩~

一日のうちで最も長くまぶたを閉じるのは「眠る時」だと思う。

一部の特殊な人はさておき、大多数の人は、眠ろうと思ったら意識的に目を閉じるし、眠い時には閉じる気がなくてもまぶたが落ちてくる。
このように、人は眠るためにまぶたを閉じるが「閉じた途端に寝る」人は稀だ。

布団に入って目を閉じ、意識がなくなるまでの束の間、 あなたは何をしていますか?

もちろん動作的なものではなく、"頭の中で何を考えるか?"
明日や週末の予定、気になること、今日一日の一人反省会などを考えているうちに寝てしまう……というのが大半ではないだろうか?

私の場合も大体はそうだが、たまに「脳内散歩」をする。
つまり、寝るまでの間に頭の中で行きたい場所をイメージするのだ。
(一定のルールがあるため、妄想や想像というより経験の想起に近い)

この遊びに特別な意味はない。少なくとも私にとっては寝るまでの暇つぶしである。
生き物を飼っていると中々出かけられない時も多いので、そんな時はこのような遊びで行ったつもりになるのだ。

コントロール出来ないイメージ

その日の行く先は、隣県の某山。「脳内散歩」ではない「脳内登山」だ。

布団に入って目を閉じたら、とりあえず麓までの工程はショートカットし、 登山道の入口からスタート。
実際に何度も通った山道の入口を過ぎ、少し急な坂道を登っていく。
記憶の通りなら坂を上り切った向こうには、見慣れた山の風景が広がっているはずなのだが……

坂を上った向こうに見えたのは、県内の某神社の楼門だった。
もちろん、現実でそんなことは絶対にない。

(あ、間違えた。もう一度、坂の下から。)
頭の中で坂を登る。坂のてっぺんから向こうの景色が見えだすが……坂の頂上に着いた頃には、やはり某神社の前に出る。

しかも、一度目は楼門から少し離れた場所、二度目は楼門の前、三度目は楼門を過ぎて境内の中。
やり直す度に切り替わる風景は、どんどん奥へと入っていく。

自分の想像のはずなのに、見えるものをコントロール出来ないとはこれ如何に?

自分の記憶が混乱しているのか?しかし、今見えているのは記憶と違う。
その県内の神社へは確かに訪れたことがあるが、それは昼間だ。
それなのに見えているのは今現在の時刻と同じく夜の風景。
何かの灯りで木々の輪郭程度は見えるものの、真っ暗と言っても間違いない境内。記憶とは全く違う。

坂を登りなおす度に、頭の中で出る場所はその境内の奥へ奥へと進んでいく。
……そして、とうとう拝殿の前まで来てしまった。

個人シアターで繰り広げられる光景

流石に一度目を開けて「今夜はもうやめよう」と思った。
そして普通に眠るつもりで再び目を閉じたが、今度はまぶたに白いモノがチラチラと動いている。

最初は、室内に入る僅かな光がまぶたを通しているのかと目を掌で覆ってみたが、真っ暗にしたことで、かえって白いモノが鮮明になってしまった。

鮮明になった白いものは「人」だった。
背格好から判断するに中年から初老の男だ。白っぽい衣をまとった男が、ヒラヒラと動く姿である。

思わず目を開ける。
だが、その像は消えない。折りたたまれたまぶたの奥で、相変わらずヒラヒラと動いている。

何とも説明し難いが、目に映っているわけではない。目の前にあるのは見慣れた寝室の風景である。

しかし「どこ?」と聞かれたら「まぶた」としか言えない所に、ずっとそれが見えている。
まぶたを閉じれば目の前に、まぶたを開ければ折りたたまれたまぶたの中に。
通常なら、目の上に折りたたまれたまぶたは肉眼で見れないはずなんだが……私の視覚はどうなってるんだ?

しかも、その見えているものは自分で考えて動かしているわけではない。勝手に動いている。

まぶたを開けても閉じても見える。 なんじゃこりゃぁぁぁ~!!

駄目だ、松田優作の真似をしても何も解決しない。
(困ると、とりあえず脳内で松田優作になる不治の病)

それならば……もういっそのこと、見てしまおう。
どの道どうにもならんのだ。だったら、トコトン見てみよう。

再び目を閉じ、まぶたに映るその姿をじっくり観察してみることにした。

踊る踊るイケオジの槍舞踏

今までの流れでいけば、この男は某神社の拝殿のずっと奥、恐らく本殿かと思う所にいるのだろう。
覚悟を決めて目を閉じた後も、相変わらずヒラリヒラリと動いている。

改めて見ると、やはり若者ではなく初老の男だ。
若者のようなはち切れんばかりの筋肉ではないが、程々に引き締まったしなやかな筋肉が衣の下で淀みなく動いているのが見て取れる。

服装は、古墳時代の男性の装束のようで、首から何か下げていた。音はしないが、石と石がぶつかる小さな衝撃が伝わるので、石を繋いだ首飾りだろう。
トータルすると「The・ヤマトタケル」なファッションである。

その背や肩に掛かるのは、ロマンスグレーと呼ぶにふさわしい白と灰色の入り混じる、少しちぢれの入った長い髪。
面白いのは、この服装の時代ではお約束の"みずら頭"ではないことか。
ハーフアップ※に近い髪のまとめ方をして、そのまとめたところで緩い団子を作っているようなヘアスタイルである。

※ハーフアップとは、サイドや長い前髪だけを後頭部で一部まとめて後ろに垂らすヘアスタイルのこと。

まだまだ後退していない生え際に縁どられた額には、年齢相応のシワがあるものの、ほどほどに艶のあるいい額だ。

そして顔の中でもっとも印象深いのは、渋い面差しの中央に座す鼻。
常識として収まる範疇だが"にょっきり生えている"と形容できるほどの鼻高だ。(この印象が強くて髭はどうだったか覚えがない)

……全体的な雰囲気は、「スター・ウォーズ エピソード1」に登場したクワイ=ガン・ジン師匠を演じていた時のリーアム・ニーソンに似ている気がする。
現物よりもやや鼻高なリーアム・ニーソンだ。
つまり、とてつもない"イケオジ"である。

ただ、一見西洋人と見間違えるような風貌だが、やはり東洋人の顔と骨格の気がする。
何より目が西洋人とは違う。色や形ではなく、眼差しがこの日本という国をよく知っている目だ。

そして手には一筋の槍。
その長槍を持て余すことなく鮮やかに操り、速くも遅くもなく、止まりもせずリズミカルにひらりひらりと動いている。

一見、槍術の一人稽古のようだが、その動きはまるで舞いだ。
「武器を持って舞う」といえば、太極拳の演目でそういうものがあるし、私が見たことがあるのもそれだ。だが、あそこまで激しいものではない。

何処までも静かに、緩やかに、柔らかく舞うのである。

暗闇を背景に、白い衣と白髪に近い灰色の髪が作り出すコントラストが非常に美しい。
舞っているのはイケオジといえどオッサンなのに美姫のごとき優美さだ。

音は一切聞こえないが、トンと足をつけば、その振動がまぶたを伝って耳まで届き、軽い足音が聞こえるようだ。そのリズミカルな音までも美しい。

これは……3D映画以上の臨場感だ。
妄想にしては上出来過ぎる妄想だ。とりあえず、叫ばせてくれ。
……イケオジ万歳!!

もうこの時は何で見えてるとか、この人誰だ?とか、そうゆう疑問は全てぶっ飛んでいた。

え?だって、美しければそれでいいんだよ。
美こそ正義。あそこまで美しいものに悪いモノがあるわけない!

とはいえ、楽の音があるわけでもなく、あの淀みないリズミカルな動きというのは眠りを誘う。

飽きたとは言わないが、それを眺めながらいつの間にか寝入ってしまった。

まだまだ続くよ、イケオジ、オンステージ

翌日。
「昨夜は変なモノを見てしまったが眼福であった」とニヤニヤしながら起きようとして、布団の上で固まった。

あのイケオジは、いまだに私のまぶたから出て行かないのである。
オッサン、まだまぶたの中で踊ってる!
昨晩と同じ何の光もない中で、古風な服装のイケオジは演舞を続けている。 疲れた様子も汗をかくこともなく涼しい顔だ。

相変わらず、まぶたを開ければまぶたと共に上に移動するので、生活に支障はなかった。
やや、まぶたの奥がもにょもにょとするが、それで視界を塞がれるわけではない。
ソレが現実には存在しないものだというのは十二分に分かっている。だから、視界さえ塞がれなければ無視できる。

そう、これは……怪異が見えてしまっている時と同じ状態だ。
だから、実際に映っているのは、まぶたの裏ではない。

このオッサンがおわすのは、私が「怪異認識領域」だと思っている所で、今回はそれのSPとか、EXとか、Zバージョンなのだ。

つまり、理由は良く分からないが、またチャンネル主導権を怪異に取られたのである。
しかも理由がわからないので、いつ主導権を返してもらえるか分からない。

これは、ダンナかお師さんに相談の案件か?とも思っていたが、一日中踊り続けたイケオジは、日付が変わる頃に勝手に消えた。

不思議なモノで消えてしまうと、あの独特の臨場感や感覚も消え、姿を思い出しても、それは何処までも記憶の再生であり、明らかに違うものなのだ。

イケオジが消えた後のまぶたは、なんだか妙にスコスコし、その違和感にまた2~3日悩まされることになった。

あのイケオジは誰か?

さて、気になるのはイケオジの正体である。

ちなみに、その神社の祭神は"ヤマトタケルの双子の兄"ということになっている。
なるほど、それならあの装束は納得だ。唯一みずらじゃないのが気になるが。 (あの時代のトレンドはみずらだろ?)

ただ、もう一つ心当たりがあって、最初に登ろうとしていた山というのが、某神社の奥宮のある山なのだが……そこの祭神は天狗のような顔で描かれることが多い。そう、鼻高で中年~初老で白い髪。
そういえば、境内にある看板に書かれたお姿に似ているといえば似ている。

県内の神社と上記の神社(隣県)の繋がりは、表向きにはない。
だが、調べると県内の神社が今の祭神になったのは割と近代の話で、元々は違う神を祀っていたという説がある。
何柱かある候補の中には、隣県の天狗顔のお神の名も並んでいた。

私は個人的に"それはあながち間違いではないかもしれない"と思っている。
何故なら、その県内の神社へ行った際に視てしまったのだ。

境内に槍を手にした天狗がずらりと並んでいるのを。

ここの神社の由来には天狗の天の字もなかったし、祭神はヤマト(兄)だったので 「何故天狗?しかも大勢?」 と思ったが、後から調べたら、どうやら祭神とは別に天狗伝説もある場所だった。

隣県の天狗顔のお神とここの天狗伝説にどういった繋がりがあるかは知らないが、火のない所になんとやらと言うのだし、何かあるのだろう。

後日、ダンナにこの話をした。
ダンナはイケオジの正体について「それは君がいつも行く山の……」と言いかけたので、聞かないことにしておいた。

確かに某神社の某山にお住いの天狗の神さんは私も好きだ。
多分、大分ご贔屓にはして頂いているし、その理由も何となく分かる。そのことについては大変感謝している。

だが、私如き凡人の「まぶたシアター」にご出張されて、あまつさえ、あのような美麗なモノを見せられる理由は「意味がわかると怖い話」に分類される気がしてならないため、あまり深く考えたくない。

そんな訳で、とりあえず私の中でこのイケオジは「ただのイケオジ天狗」ということにしており、この一件は 「天狗舞踏事件」もしくは「踊るジェダイマスター(笑)事件」として、心の怪異事件簿に記録されている。

確かに眼福ですがね。ありがたいものですがね。
本当、何がしたかったのか今もサッパリ分からん。

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