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富士登山 

青い富士。7月10日、小雨降る富士吉田の町から見上げた富士山は青く、裾野を雨雲に包まれて水彩画のようで貴賓があった。この日、静岡側の登山ルートの初日、山は暴風雨で、3人の方が命を落とされたという。

翌日の7月11日が私達の登山日。前日の10日、私は富士吉田市に入ってホテルで前泊することにした。山梨県を訪れるのは初めてで、地理がまったくわかっていないから多少は慣れておこうと思ったのだ。河口湖とか富士吉田市とか吉田口五号目とか、毎回地図を見ないとまったく位置関係がわからなかったほどだ。富士山駅、新富士駅、富士市、富士スバルライン、富士河口湖、富士吉田、富士宮と、そこらじゅうの地名に「富士」とついていて(そりゃそうだけど)、最初は混乱はなはだしかった。アメリカ在住の私は、富士山目掛けてやってくる外国人観光客と変わらない。日本語がわかるだけまだ移動が楽だけど。

目指すは標高3,776m
北緯35度21分38秒、東経138度43分39秒

初心者が準備する

富士登山に行くなら、仕事辞めて自由の身になった今年を見逃したくないと色んな人に話しているうち、アメリカの旧ママ友2人が声を上げた。最強の初心者3人の「山友チーム」が2月に決まった。ガイドさんは、ネットで検索して「初心者、女性でも安心して登頂できます」の謳い文句に惹かれて、フジヤマトレックツアー内田幸男(ウッチー)さんに決まった。

ウッチーさんとのメール連絡が始まると話は進む。何回かのやり取りで詳しい説明を読み進むうち、「後戻りできない感」タップリになってくる。ここは嬉しいはずなのに、不安がつのる。決心が揺らがないようにするには、口に出してアウトプットしてしまうという対応策が効果的だ。2月からずっと「7月に富士山に行くんです」と周りの人に言うと同時に自分にも言い聞かせることになった。

フジヤマトレックツアーのサイト以外にも富士登山オフィシャルサイトや YouTube などで情報収集する時間はたっぷりあった。体力作りする時間もたっぷりあった。練習のために低山ハイキングも何度かしてみた。装備も揃えすぎくらい揃えて準備を進めた。でも、手抜きもするし、また、どれだけやっても上限はなく完璧にはならない。基本スタンスは「楽しめればいいんだ」、修行に行くわけじゃないから。だけど、富士登山は serious business。遊びだけれど真剣な遊びだ。

いくつもある登山ルートから吉田ルートを選んだ。これは初心者におすすめで、同じく初心者におすすめだけど登山道が急で岩場が多いという富士宮ルートは避けたかったからだ。行きたいけど自信がない、とにかく比較的やさしそうなところから攻めてみようということで吉田ルートになった。

ところが5月になって、今年から吉田ルートだけ1日4,000人という人数規制と2,000円の通行料を払うことになった。規制と聞くと穏やかじゃない感じはするが、この規制のためか、通常なら非常に混雑している吉田ルートも、いい感じの空き具合だった。悪天候も影響していたのかもしれないけれど。でも、人数規制のある吉田ルートを選んでかえってよかったのだ。

初心者が登る

7月11日の朝の笠雲

悪天候。まだ梅雨明けにならない7月のこんな早い時期をなぜ選んでしまったのかという後悔はなかった。もう少し後ならもっと混雑しているだろうから。でも富士スバルライン五号目に到着したとき、強風と雨で、すでに心が折れかかっていて、「決行するかどうかはガイドさんの決断にお任せします」と早やサレンダー気味。このときのガイドさんはウッチーさんではなく、臨時代理となった森本美沙子さんだった。ウッチーさんは、英語で言うところの an urgent family matter でこの日はお休みを余儀なくされて、翌朝山小屋で合流になる。ウッチーさんの代わりに森本さんが私の宿泊先までお迎えに来てくれて、富士スバルライン五号目までの1時間の道のりをドライブしてくださった。小雨模様だったけど快適、so far so good。それが五号目では歩行困難にもなるような強風だったのだ。

富士スバルライン五号目は標高2,300m。気温は約5°Cだった。
1時間ぐらいそこで身体を高度順応させるという予定だけど、13時出発予定の2時間前の11時ごろ到着。2時間しっかり順応させて万全の体制で出発できる。それよりさらにもっと早く、新宿から高速バスで到着していた山友チームの2人。彼女たちと合流して、五号目の休息所で雨具を装着したり少し食事をしたりする。ここはショップやレストランと、登山者だけでなく観光客でも賑わっている。ここまで観光に来て写真撮って帰るという手もあるのだ。普段はそれほど限定品に弱いわけではないけれど、五号目限定の富士山メロンパンをランチにした。

五号目限定の富士山メロンパン

さて、13時になって出発。入り口は16時から3時まではゲートが閉まって入山できないようになったのが新しい規制の一部。

リストバンドと記念の木札

入り口で通行料 2,000円を払ってリストバンドを付けてもらう。それと、任意の富士山保全協力金 1,000円を払って木札をもらう。これで準備完了。入り口でリストバンドを見せて入る。

黄色のジャケットにブルーのザック

今回はこちらに記載のコース「1泊2日・山小屋泊ー山小屋ご来光登山」と同じようなコースを行く。七号目の山小屋の東洋館には17時ごろ到着予定。登り4時間の予定だ。翌日は早朝起床で天候を見て頂上をめざすかどうかが決まる。

最初は幅の広いなだらかな山道。問題ない。眼下、遠方に富士吉田の町、樹海、河口湖、山中湖が見える。

14時ごろ、森本さん撮影

森本さんのおすすめで、六号目の富士山安全指導センターでヘルメットをレンタルする。強風で落石が飛んでくるかもしれないかららしい。2,000円で借りることができ、下山するときに返却すると返金される。ヘルメットかぶっているとなんだか安心するので、これは正解だ。

六号目から少しキツくなる。

15時
15時40分
16時25分
17時35分
17時54分 七号目の山小屋 東洋館に到着

七号目には7軒の山小屋があって、予約している東洋館は七号目の一番上。七号目に着いてから6軒の山小屋を通過して、18時ごろ東洋館に到着した。五号目から5時間。ガイドの森本さんにゆっくりとお願いして、何度も止まりながらの登りだった。しっかりサポートしてもらって、荷物も軽くするため持ってもらったりして。ありがとうございました。

山友
チームの2人は、モンベルの体力レベルでいうと、私の推測では、体力3.5ぐらい。ちなみに私は2.5ぐらい。3人のうち一番遅いのだ。写真でわかるように一番遅い人が一番前を歩くことになっている。岩場の登りになると足が上がらなくなったりして、思うように進まない。高所にも心穏やかじゃないし、足が上がらないしで、一部、四つ足歩行となったが、なんとか皆さんの助けのおかげで到着できた。最後には荷物まで持ってもらって。ありがとうございました。

東洋館は標高2,900m。日没の頃になると、雲海の彼方に沈む夕陽が空を深紅に染めていった。ダイナミックなサンセット、言葉にならない自然の織りなす美。至上のひととき。

18時32分
19時03分
19時13分
19時27分
19時28分

山小屋の夕飯はけんちん汁。温まる。朝ごはんのお稲荷さん弁当も配布されて、後は寝るだけ。寝床はカーテンが入り口の個室に別れていて、スリーピングバッグが置いてある。下にフカフカのシーツも敷いてあって、なかなか心地よい。コンセントも各寝床にあって充電できてしまう。トイレは外で、一度200円払うだけで24時間何度でも使える。快適。

翌朝は4時前に起床。5時にウッチーさんが登ってきて森本さんと交代になる。ウッチーさんは、私達が登ったのと同じルートを、なんと2時間で登ってこられる。
5時にウッチーさん到着。強風という天候を考慮しての結果、下山することになった。いずれにしろ私は、さらに岩場が続く登りをこれ以上続けるのはきつかったので、森本さんと下山するつもりでいたのだが。

身体がきつくなってくると8割程度行った所でギブアップする傾向があって、それがいいとか悪いとかではなく、それが自分なのだと受け入れる。登頂できなくても満足なのだ。七号目から下山しても満足。

強風と小雨の中、6時出発。七号目から六号目までの下山道は、登りと違って岩場を通らなくて済む。8時半には五号目の登山口に到着。あっという間の下山だった。

写真ではわからないけど強風と雨
ウッチーさんの後についていく

途中、何頭も馬に乗った人たちが登ってくる。歩いて下山できなくなった人たちを馬に乗せて下りてくるためだそうだ。

登ってくる馬

日蓮聖人の六角堂
花を愛でる余裕も
左上から時計回りでムラサキモメンズル、ミヤマオトコヨモギ、ナナカマド、シャクナゲ
五号目到着
この写真を含め、私の入っている写真はすべて森本さん撮影のもの

ここで森本さんとはお別れ。写真をたくさん撮っていただいて感謝。図らずも、2人のガイドさんと一緒に下山できたラッキーな私達。無事に帰ってこれたのもガイドさん達のおかげだ。

ガイドさん達は、2ヶ月のシーズン中20回以上登山されるという。そこまで極めると、見えてくるものも違ってくるのかもしれない。山のエネルギーが身体と心と魂にしっかり浸透してくるのかもしれない。ウッチーさんは青木ヶ原樹海探検ツアーもされていて洞窟の探索もできる。上からも下からも地球のエネルギーを享受されていることだろう。

神社と吉田うどんで締め

ウッチーさんの特別なご配慮で、最後は神社参拝もできた。
北口本宮冨士浅間神社は吉田口登山道の起点にある。この「冨」が本来の漢字だそうだ。これ以上高い山はない、上に何もないという意味で、上に点がない。

車で五号目まで行くという贅沢ができなかった昔は、ここから登山が始まった。ここの神様は最も美しい神様といわれているコノハナサクヤヒメ。ヤマトタケルノミコトが東方遠征に狩り出された時に富士山を訪れてここに祠を建てられたという、1900年以上も前の話。苔むす石灯篭がずらりと並ぶ参道、1000年杉の御神木。雨の中、さらに厳かな空間だ。

北口本宮冨士浅間神社

金運の最強スポットといわれている新屋山(あらややま)神社にまで連れて行っていただいた。これで金運はさらに向上。

新屋山神社

硬い麺で有名な吉田うどんがランチだ。

硬くて美味しい


最後に

終わった今は富士山が少し身近に思える。見るほうの自分の意識が変わったのだ。
あちこちで富士山が目につく。実家に戻る新幹線の駅を降りるとホームに富士山の写真が2枚ドーンと掲げられている。今まで気付かなかった。駅からタクシーに乗ると、登山が趣味の運転手さんで話が盛り上がったりした。そんなシンクロニシティが起きるのだ。

「富士山は眺めるもの」という。でもやっぱり登るもの。登っている間はあまり何も考えられなかった。山との無言の会話、風の音に聞き入る、自分のハーハー苦しい呼吸、その中にいるだけ。それがいい。

登山の前日、メールボックスにこんなメールがあったのが気になった。
長編小説「失われた時を求めて」の作家マルセル・プルーストの名言が書かれていたのだ。見方や認識のしかたを変えることで本当の発見が得られる、新しい景色を求めることではなく、というのだ。新しい旅に出る直前に入ってきたこのメッセージは、いましめか。

The real voyage of discovery consists not in seeking new landscapes, but in having new eyes.
「真の発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。 新しい目で見ることなのだ」

でも結局新しい景色を求めて我々は旅をする。新天地を体験する、そこに身体を置くことで得られる発見は大きい。富士登山は自分の発見、そしてなにより自然の力を見せられる体験だ。




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