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私が沖縄行きを決断したとき

 高校二年生の夏。私は自らの進路に迷っていた。学校の課題ともあって、夏に開催されている大学のオープンキャンパスを周っていたのだが、自分のやりたいことのある学部がどうにも見つからない。それどころか、自分がやりたいことさえ見失いかけていた。

 私は中学までは天文学者になりたかった。しかし、高校に入学して生物の先生に出会い、その先生の授業を受けているうちに生物学へと魅かれていった。だからこそ、大学では生物学に没頭したいと思っていた。

 一口に生物学と言っても、様々なジャンルがある。生き物通しの繋がりや生態系に焦点を当てた群集生態学から、動物の行動に注目した行動学、さらにはミクロな世界で行われる生命のダイナミクスを探求する細胞学など、ジャンルを挙げ始めたら終わりが見えない。それらの中でも私は、どちらかと言えば個体だとか生態系に焦点を合わせたマクロな生態学に興味があった。

 しかし、東京の大学を覗いてみると、トレンドである遺伝子や細胞など、ミクロな世界を扱った学科や研究室ばかり。もちろん、それらの研究は現代生物学の礎を築き、今もなお目覚ましい発展を遂げている素晴らしい研究分野である。それでも、「なにか違う!」という正直な気持ちを抑えられず、どうにもそれらの研究室のある大学へは進学する気が起こらなかった。

 そんなある時、某私立大学のパンフレットを見ていると、ふと目につくものがあった。それは、その大学で開催されている「4泊5日、沖縄フィールドワーク研修」の紹介であった。「これだ!」と思った。ずっと探していた私のやりたいこと。私はフィールドに出たかった。研究室ではなく、山や海の中で生き物と触れ合い、研究したかった。この研修を知ってからは、もうこの大学に行きたいと思うようになったが、ここでまた考えたことがある。「この研修のためだけにこの大学へ行くのか」。もちろんその他の授業も面白そうではあったものの、一番の志望理由である研修は一度きりで、大学4年間のうちの僅か5日間である。

 その大学のパンフレットを何度も見返しているうちにやがて私は1つの考えを思いついた。「そうだ、沖縄の大学へ行けばいい」。これが私の大きな一歩の始まりである。

 そう決めてからは早かった。まず沖縄の大学について調べ、飛行機を予約してオープンキャンパスへも行った。案の定、やりたいことができる学部があった。自分のためにあるような学部だなとさえ思った。

 沖縄の大学のオープンキャンパスへ行き、夏休みが終わり、すっかり私は沖縄へ行くつもりで意気揚々としていた。しかし、新学期に入り周りの人の進路を聞くと、やはり東京の大学へ進学する友人が多かった。私は、周囲の進学先を聞いて、もう一度東京の大学も考えてみようかとも思うようになった。進路決定において、周りに流されることは禁物であるが、それでも東京から出たことのない自分が沖縄へ行くというのは大きな決断で、私にとってそれなりの覚悟がいることだった。

 私は放課後に生物の先生を訪ねた。進路を相談するためである。私は何時間でも自分の悩みをぶつけてみようかと思って先生を訪ねたが、相談はあっと言う間に終わってしまった。先生から言われたことはこうである。「人生何があるかわからない。やりたいことをやればいい。」少しありきたりな言葉かもしれないが、これが全てであった。先生は続けて、「それに、沖縄まで見に行って、もう自分の中では決まっているんじゃない?」と言った。この言葉は、周囲に流されかけていた私を救ってくれた。当時、自分の意志を貫けなさそうだった弱い私にとって、この言葉は背中を押してくれる大切な言葉となった。

 あれから3年以上が経過し、今私は沖縄の大学で群集生態学の研究をしている。入学してからの二年間は、新型コロナウイルスの影響で、思うようにいかないこともあった。もし、例の私立大学に入学していたら、沖縄研修には行けていなかっただろう。「人生何があるかわからない」。改めて恩師の言葉が胸に響く。大学に入学してからの2年と半年、思うような活動ができず、世間からも同情されることだってある。しかし、私は満足している。沖縄の自然の中で生物を学べている現状は、私が最も望んだものだからだ。そして、それは、おそらく私にとって初めての大きな決断の結果であるからだ。

 私は今でも、大学一年になる春に飛行機から見た沖縄島の景色を忘れない。薄く広がった雲のベールに包まれるように、青い海に浮かんだその島は、私にとってどんな宝島よりも魅力的であった。

 まずは一歩踏み出すこと。真剣に悩み、苦悩の末決めたことなら、少しくらい悪いことがあっても、良かったと思える。私はそう信じている。


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