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【ロシア1994年-1995年】ソ連崩壊後のロシア・モスクワで撮っていた「ひとりごと」のような写真をお見せしていくにあたっての、長い長いはじめのひとこと

【はじめに】

筆者は1994年8月から翌年8月まで、モスクワ市内で大学の語学研修生として暮らしていました。もう25年以上まえになります。そのときに撮っていた写真をいくつかのキーワードごとにまとめて、次回から少しずつお目にかけていこうと思います。今回はそのプロローグです。

どういうふうにお目にかけるか、ずっと悩んでいて完成しないままでいるのも気持ちが悪い。そこでまずは「はじめに」と書いてしまうことにしました。

noteでは「『ロシア』『ウクライナ』に関係する内容の可能性がある記事です。極端な内容・真偽不明の情報でないかご注意ください」という、なにかあったさいに媒体としての掲載責任を回避したいのであろうという警告が冒頭に出ます。本記事は筆者独自の見解であり、noteおよび運営企業とはなんら関係のないことを筆者としても明示しておきます。もっとも、みなさんを政治的に混乱させる記事でもありますまい。

どうやってお見せするかまだ悩んでいて、インデックスプリントを作ったり

■冷戦は終わったけれど

1990年代のソ連崩壊後のロシアというのは、市場主義経済を導入し始めたことにより社会的、政治的、経済的にいろいろな混乱が生じていた時代です。

冷戦は終わり国際関係としては平和な時代がやってきました。ロシアを国際的に孤立させないためにさまざまな支援が国際的になされていました。そして、言論の自由も商業活動の自由ももたらされました。ところが、ルーブル通貨の為替レートの下落によるハイパーインフレーション、給与の遅配、そしてはげしい政争にチェチェン戦争、凶悪犯罪の増加の悪化という、それまでにはなかったさまざまな混乱がやってきたといいますか。「ショック療法」と当時いわれていました。

それでも、1994年から1995年というのは、1991年のソ連崩壊直後とはことなり、外国から輸入された商品が豊富に出回っていて物不足ではありませんでした。行列などはもうありませんでしたし、白タクを捕まえるのにマールボロを見せることもありません。ロシア国内でマールボロの製造が始まってさえいました。モスクワには東京と変わらないような品揃えのスーパーマーケットもすでにありました。ただし、価格も東京とあまり変わりませんでしたし、国産の商品だけで買い物をするのは困難になりつつありましたが。

当時は国営企業の民営化が進められていました。ところがそれは必ずしも公平なものではなく、いつのまにか「有力者たちによる国有財産の分捕り合戦」と化していきました。私有化をうまく利用した一握りのひとたちが、のちにオリガルヒ(寡占資本家)とよばれるようになっていきます。自分の才覚で成功したひとたちも、もちろんいるはずです。そして成功したひとにぎりのひとたちは高級車に乗り、西側ブランドの服を着て派手な暮らしをしています。

いっぽうで大多数の市井のひとびとは、安定した暮らしが崩壊していくようすにおびえていらだっていました。物価は高騰し、福祉は削られ、銀行預金は目減りし、投資詐欺事件や強盗事件、凶悪事件も増えました。

素朴な自信を持っていた祖国が崩壊して、毎日のようにさまざまな事件が起きて、みないちように誇りを傷つけられて自信を失っているように見えました。

ソ連時代とあまり変わらないようで、ところどころに商業広告があるのが90年代です。
「回数券の値段は高いと俺も思う。文句は市長に言ってくれ」とバス車内にありました

■強い国でも開放的であってほしい

こうした社会的な混乱は、政府が中央集権的に権力を強めてオリガルヒを従わせるかとりつぶしたこと、原油価格と天然ガス価格の高騰、あるいはロシア金融危機後に海外企業の撤退もあったことから、21世紀に入るとずいぶんおさまり、安定していきました。

アップル製品を買いIKEAで買い物をし、トヨタ車に乗って休暇には海外旅行にも行く、そういう消費生活を楽しむことのできる中産階級が少なくなくなったのです。道行くひとたちの服装もヨーロッパやアメリカ、日本の流行と変わりません。ペレストロイカの時代に行列したマクドナルドはモスクワのあちこちに支店を広げて、けっしてめずらしい場所などではなくなりました。コロナ禍のまえに東京の高級ホテルでは、ロビーで聞こえるのはロシア語ばかりということも。

現政権の権威主義的で拡大主義的な政策は諸外国では強く批判されています。ところが、国内では依然として高い支持を受けているのは、ひとびとの暮らしを安定させたとみなされて、それを享受しているひとたちが数多くいるからです。

いろいろな方がすでに言及されていますが、権威主義的な政府首脳の発言には『カラマーゾフの兄弟』に出てくる大審問官の台詞をいつも連想させられます。「人間には自由とは耐えがたい重荷ではないのか」「人間は、パンのためなら自由を放棄して、パンを与えてくれる者の奴隷になったほうがよいと考えるのではないか」とサタンが演じる大審問官が作中でイエス・キリストに問う、あの場面です。

私自身は同意しかねるのですが、国内情勢を安定化させたことにより高い支持率を得ること自体は理解はできます。彼らが「強い祖国」という姿に誇りを抱くのであろうことも。結局のところ、ロシアはずっと昔からいまにいたるまで権威主義的で拡大主義的な「帝国」であり、そうあろうとする野望を捨てられないままなのでしょう。1994年から1996年と1999年から2009年の二度に及ぶチェチェン戦争、2008年の南オセチア紛争、2014年のクリミア併合とドンバス危機の勃発、そして今年のウクライナ侵攻にはとくに強くそのことを思い出させられました。

今回の事態はいまごろ訪れた「ソ連帝国」崩壊の最後段階なのでしょうか。

それでも、外国人としては彼らに対して思うのです。自立した強い国になっても、民主主義的で開放的な親近感の持てる国であってほしいと。

ロシアのひとたちにも、ウクライナをはじめとするソビエトに加盟していた国々のひとたちにも、私は親近感を勝手に抱いています。権威主義的で拡大主義的な政府とその政策、汚職と腐敗に満ちた政府を支持する気にはなれませんが、文化とそこに生きるひとたちが好きです。

それゆえに私は現在の、そしてこれからのロシアとその周辺国のひとびとのことを思い、現在とこれから先の困難を想像して胸を痛めています。親近感を抱くひとたち同士が武器を手に傷つけあっているのですから。戦火がやんでも相互不信と憎悪が残るだろうと想像すると、深くため息をつきます。

コンサートポスターに「チェチェン戦争反対ロックコンサート」チラシ勝手に追加されていたり、
カール・マルクス像でスケートをして遊んでいるとか。そういうところが好ましく思えました

■なんだかおだやかなところに思えた

私は経済学や政治学、社会学、国際関係学、安全保障についての現役の研究者ではありません。せいぜいが「かつてスラヴ地域研究者の卵だった者」でしょうか。だから、知識のアップデートができていない点、それによる視点の偏りと情勢の見誤りもあるのではないかと思います。90年代のロシアについて書こうとすると、調べながら書いていても迷いがあります。

90年代は混乱の時代ではあったことは事実です。第一次チェチェン戦争も起き、テロ事件もあり治安もよろしくない。あの時代に戻りたいと思うひとたちは、ロシアにもいないでしょう。

ところが、そういう情勢下であっても、ひとびとの日々の暮らしにはいろいろとおだやかな雰囲気を感じられました。ずっと訪問できていませんが、いまよりも自由な雰囲気を外国人の学生にも感じさせました。基本的にはむしろ「おだやかでゆるやかなところ」なのではないかというのが、彼の地に対する印象です。

ただし、彼らがおおやけの場で見せる顔と私的な場で見せる顔はまったくことなります。笑顔をまったく見せず、冷たく厳しいつきあいにくい公の顔と、優しくおだやかで人情にあつい私的な顔を使い分ける二面性があるのです。

おおらかでやさしく、おだやかで知的だったり、繊細で興味深いひとたちがたくさんいる。いっぽうで、冷徹で冷酷なきわめて悪いひともいる。もちろん、どこでもそういうひとたちはいますが、彼の地ではこの二面性の差がものすごく大きいように思えるのです。

厳しい冬とおだやかな夏というたいへん大きな気候の差が、そうした性格をもしかしたらかたちづくっているのでしょうか。

ひとびとの暮らしが見える気がして、公共交通機関に揺られるのが好きでした。
そして冬が厳しいからか、春になるとみんな楽しそうに見えました

■ドキュメンタリーではなく「ひとりごと」

1994年から1995年にかけておもにモスクワ市内で写していた私の写真は、いわば、«монолог(ひとりごと)»のようなものです。文学部所属の軟派な大学生でしたから。混乱する社会を切り取った硬派なドキュメンタリーではありません。

それでも、あの時代にも存在した、なんともいえないおだやかさを感じさせる部分だけは、少しは映り込んでいるのではないかと思います。

ウクライナでの戦争が開戦から半年たってもいっこうに沈静化しない2022年8月24日にこういう写真を公開するのは、むかしのモスクワのひとたちのおだやかな姿をなつかしく思うからです。彼らや彼の地の親近感を感じさせるようすをまた見たい。おだやかな日々がきてほしい。ウクライナの独立記念日に、平和を祈りながらこの文を書いています。

モスクワ市のトロリーバス網が2020年に廃止になったといまさら聞いて驚かされています

そういうわけで、近日中にこのシリーズを公開いたします。写真のセレクトとレタッチ、見せ方の編集に大いに考え込みながら進めております。公開までいましばらくお待ちくださいませ。

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