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子育ての方針転換

私はかなりの心配性だ。たぶんそれは、とても小さなころから。物心がつく頃にはいつも何かを心配していた気がする。

苦手な体育の授業、苦手な先生の授業、一人での留守番、なかなかとめられないスカートのボタン、いつくるか分からない大地震、ノストラダムスの大予言…

些細なことから規模の大きすぎることまでいつも何かを心配している。それが子育てにも影響していることに、最近気がついた。


「~したら危ない」を言い過ぎた

この世に我が子という尊すぎる存在が誕生してから、私は母としての「子供を守る」という本能がギンギンに働いている。

「この道は車から見にくいから気を付けてね」

「少しでも変な人が話しかけてきたらダッシュでコンビニに逃げるんだよ」

「地震が来たらここは危ないからあそこへ隠れるんだよ」

「それに乗ったら危ないよ」

「飴を飲み込まないように気を付けてね」

こうやって書いていると当たり前のことなんだけど、たぶんこれの細かいことを毎日のように言っている。きっとまわりの友達よりも「〇〇に気を付けて」と子供たちは注意されていると思う。

おかげで危機管理能力は高めの子供になったけど、「世の中には危険なものやことがたくさんある」と思わせてしまったかもしれない。

子供たちを守ろうとするあまり、

世の中は楽しいことがたくさん<世の中は危険なことがたくさん

になっているのではないだろうか。と、ふと思った。


メンタルの弱い息子

息子はとてもメンタルが弱い。小さい頃から泣き虫だ。私にそっくり。

人見知りはしないし、誰とでも仲良くなれるし、コミュニケーション能力は高い。が、些細なことで心が折れる。ちょっと調子に乗ると、いつも痛い目にあっている気がする。

そんな息子は最近、塾に通いだした。中学受験用の塾なので、かなり時間も長いし宿題も多い。毎月成績別にクラス分けが行われるため、3時間にも及ぶテストがある。

そのストレスで、息子は過敏性腸症候群というものになってしまった。

自律神経のバランスが崩れ、おなかの調子が定期的に崩れる。受験も塾もやめてもいいよ、と言ったものの、「友達と同じ学校に行きたい」と言って本人の受験の意志は固い。これは困った。

とにかくストレスを彼から取り除かないと。そう思っていた矢先、息子が

「生きるって大変だね…」

と言った。

これはやばい。たかだか9年しか生きていない息子が「生きるのは大変」とまで言い出した。普通なら9歳なんてそのへんを駆けずり回ってくだらないことでゲラゲラ笑い転げているものだろう。そんな子供らしい瞬間ももちろんあるけど、「生きる」を悟りだしたのはちょっとやばい。放っておいたら「生きてるのは大変だからもう死にたい」なんて言い出すかもしれない。(←心配性発動)


今日あった楽しいことを数える

私に似て変なところでネガティブになる息子をどうにかしないといけないと思った。

学校から帰ってきて「今日は嫌な日だったなぁ」「今日はこんな嫌なことがあったよ」なんてため息交じりに話してくることがある。そもそもこれがよくない。今日あった嫌なことより、今日あった楽しいことに目を向けなければ。

それから夜ごはんのときに「今日は何が楽しかった?」と聞くようにしている。少しでも、ほんの小さなことでも楽しかったことを意識してほしいと思って。

まだ状況は大きく変わらないけど、まだ9歳。ここから価値観や考え方を変えることはギリギリ可能だろう。私と、本人の意識によって。


小さな幸せに意識を向ける

大人になって思うことは、小さな幸せをしっかりと大切に生きている人ほど、心が満たされていると思うということ。

先日ママ友とのふとした会話で

「あー、晴れてるだけで嬉しくなるね!」

という一言が交わされた。この価値観を共有できる人と仲良くなれて、私は幸せだなぁと思った。

息子にも小さなことで幸せを感じてほしいし、寝る前には今日あった楽しかったことを思い出してほしい。

そして子供達には、世の中は危険なこともたくさんあるけど、楽しいことで溢れているんだよ、ということを伝えたい。


ママ9年生。子供たちを幸せな大人に育てるために、今日も頑張ります。

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