私が過ごしてきた10年間
あの日、体調不良で仕事を休んで、1人で家で寝ていた。
実家を出たばかりで、1人でベッドに入って、昼過ぎから3時間くらいぶっ続けでやっていた、フジテレビの韓流ドラマを見ていた。名前は忘れちゃったけど、韓流ドラマおもしろいな~と、だらだら。
突然カタカタと揺れが来た。私は昔から本当に地震が苦手で(地震の揺れが得意な人なんていないだろうけど)、実家にいるときは震度4レベルの揺れが来たらリモコンを持ったまま家から飛び出す始末。緊急地震速報が鳴った時は、ハミガキしながらベランダに飛び出したこともあった。とにかく「地面が揺れている」という感覚が本当に嫌いなのだ。だから、地震が来たと思ったら、地震を感じないように、自分も揺れるようにしている。傍から見たらとても変だけど、それが一番の対処法。
そしてあの日も私は「地震だ!」と思って、ベッドでゆらゆら揺れていた。でも多少のゆらゆらでは揺れを感じてしまうほどの揺れ。「これはやばい!」と私は体調不良のことなどスッカリ忘れて、ベッドの上で前転後転レベルにぐるんぐるんと転げまわった。客観的に見たらかなりやばい。
小さなキッチンからはフライパンが落ち、小さな棚からは香水の便が1つ落ちた。初めての状況に一人で「きゃー!!」と叫びながら転げまわった。
♢
テレビの画面が韓流ドラマから、突然ニュースに切り替わった。ヘルメットをかぶってスッピン(か極薄メイクか)の安藤優子さんが滑り込んできた。これはただ事ではなさそうだ。
とりあえずパジャマでスッピンで半泣きの私はいきなり外に出られないと判断。窓を開けた。いつもと同じような、静かな日常だった。「え、あんなに揺れたのに普通?」「え、夢?」「え、私だけ揺れてた?」そんな風に思ったくらい、周りはシーンとしている。でもテレビはニュースに切り替わり、スッピン(風)の安藤さんがいる。
母から電話が来た。地震恐怖症の娘を心配してくれていた。一気に涙が出てきた。これは何事か。そしてまた揺れた。余震も止まらない。もう私は一生ゆらゆらしてるしかないのか。
ちなみにニュースのCMが入るたびに、安藤さんの顔は濃くなっていった。地味に覚えている。やっぱりメイクは大切よね、と。
幸い家には何も被害がなく、恐怖に震えながら、ベッドに戻って布団にくるまっていた。そして東北の映像が流れてきた。信じられない。震度5強の揺れに震えている場合ではない。もっと大変な人たちがたくさんいる。
1人きりだったけど、Twitterでたくさんの人が心配してくれた。あの時本当に、SNSがあってよかったと思った。
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息子は今年、10歳になる。2011年に生まれた。
あの震災から数か月後に結婚し、息子が生まれた。
原発が爆発して、放射性物質のニュースがたくさん出た。水からも放射性物質が検出されたとか、〇〇の粉ミルクから放射性物質が検出されたとか、とにかく不安な日々が始まった。何が本当で何がフェイクニュースなのかもよく分からず、真夏でもマスクをしていた。「東京は本当に安全なのか」「マスクで放射性物質は防げているのか」毎日鬱になりそうなくらいだったのを覚えている。
それから数か月、28時間にわたる陣痛を乗り越え、息子は元気に生まれた。本当に、無事に生まれてよかったと泣いて喜んだ。息子が生まれた瞬間の気持ちは、今まで感じたことのない感情で、「いまが人生で一番幸せだ」と感じていた。
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それから約4年して第二子の娘が生まれた。
手のかからなかった息子に対して、とにかく大変な娘。1歳1か月まで2時間おきに授乳をして、毎日夢と現実をさまよい続けるような1年間を過ごした。
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今年息子は10歳。娘は6歳になる。この10年間、子供たちを育てるのに必死だった。一瞬で過ぎ去った。
東北に比べて揺れは少なかったけれど、あの恐怖の揺れをいつか子供たちも経験する日がくるかもしれない。防災については口うるさく言っている。
テレビで震災の映像が流れるたびに、生かされている命を大切にしようと思う。そして子供たちにも必ずそれを伝えよう、とも。
いつくるか分からない地震への恐怖へ打ち勝つためには、地震対策などの防災を万全にする他ないだろう。「これだけ備えてるんだから、いつでもかかってこい!」と言えるまで。そして子供たちの前で、揺れに対抗するためにバタバタ転げまわりたくない。私も冷静を保てるようにしなくっちゃ。
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あの日からの10年間。ひたすら子育てに励んできた。10年て月日はすごいなぁ。そりゃ50㎝ぴったりで生まれた息子が、140㎝にもなるわけだ。25歳で出産した私が、そりゃもう34歳にもなるわ。(当たり前)
あの日を教訓に、毎日を大切に、次の10年も過ごしていこう。ムダなことなんて何もない。あの日のことを、ムダにしてはいけない。
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