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#2022年の今ここわたし

私は多分人よりもエネルギー値が高いと思う。

生きるためだけの仕事と結婚という形に囚われただけの関係性は物足りないし意味がない。
自分の人生を懸けて夢中になれる仕事に出会いたいし、たった1人の人に自分の全てを捧げて尽くしたいと思う。

だけど後者については、自分でコントロールするのが難しいし、全ての人がそういう人に出会える人生ではない事を知っているから、だからこれまで仕事に重きを置いて生きてきたんだと思う。そして時々恋愛に期待してきたんだと思う。

仕事は自分のスキルでお金を稼ぐものだから、自分の向いていること、得意なこと、求められていることをするべきだという考えをその通りだよなとも思う。

でも、今の社会は色々な選択肢があるにせよ、殆どの人にとって、生きるために膨大な時間を使って働く事が必要だ。その膨大な時間を、私は無駄にしたくない。その膨大な時間で、ずっと何かをつくり続けたい。

思ったように稼げないかもしれないし、たどり着いた先は自分の理想とはかけ離れた世界かもしれない。こんな綺麗事を思いながらも、この1年で何度も自信を無くして落ち込んで凹んでもいた。不安な気持ちの方が多いくらいかもしれない。

でもこれが私が選んだ生き方で、選んだ人生なんだって気づいた。

自分で自分の生き方を選べる人生であることを、とても幸福に思う。

大学を卒業するまでは、経済的な理由などから、自分が周りと比べて「選べないこと」が多いような気がして、それが悔しかったし、そう思う自分も嫌だった。だけど社会に出てからは、自分の力で色んなものを選んだり、挑戦したりすることが容易くなって、自分で自分の人生を進めていける感覚がすごく楽しかった。

そして28歳になってようやく気づいた。
私が両親や友人から貰い続けてきた最大のギフトは「思考の自由」だと。
「選べないこと」に気を囚われてきちんと気付けなかったことが恥ずかしい。

私は今まで両親に何かを強制されたり、思考や価値観を押し付けられるような事が全くなかった。もちろん、色んな事情で「そうしざるを得ない」ということはたくさんあったけど、その「色んな事情」がなければ本当に自由だったと思う。というかむしろ、色んな事情で自分が選べなかった事があった経験は、「欲しいものは絶対に自分自身の力で手に入れるんだ」という自分の思考に繋がっているから、それさえも感謝するべきかもしれない。

何も強制されないこと、それが私にとってはすごく当たり前だった。

何が正しくて、人としてどうあるべきか、
自分がどういう人生を歩んでいきたいか、

そういう思考の決定権を持っているのは常に自分だった。

そして失敗しても自分が帰ってこれる家がある。




誰にもなにも強制されない世界で、
勉強がしたいと思って、大学で自分の学びたいことが学べた。留学は行けなかったけど、語学留学に行けた。

何かをつくる仕事がしたいと思った。憧れた映像制作会社は受からなかったけど、イベント会社に入れた。あり得ないくらい長時間労働で、大変な時もあったけど「仕事は楽しい」という確証を得れた。

だから「もっと」という気持ちが勝って次の仕事を選べた。私の何かを信じてくれる人がいたから、任せてもらえた仕事と与えられたチャンスがあった。

だけどそれでも満足しきれなくて、30歳を迎える前に大きな方向転換をしたいと思った。デザイナーになりたいと思った。

やっと手に入れた一人暮らしの部屋と安心できる給料を手放して転職してデザインスクールに通いはじめた。身の回りの全ての環境を一変したこの1年は、自分のしたことながらすごく戸惑ったけど、仲の良い友だちがいたから、今も自分が明るく健康に生きれているなと思う。

これから先どうしていくのが良いのか、中々それが分からない。多分わからないまま、何かを選ぶことになると思う。

これまでの全ての経験が役立たなくていい。
全てのことに意味がなくたっていい。
そんな、役に立つとか意味があるとか、そういう何かに自分のこれまでの時間を押しこめるつもりはない。
何もかもが自分で決めた先で起こったことだから、ちゃんと自分で受け止めたいと思う。受け止められないような辛い事は、家族や友だちの力をかりたいと思う。

来年の自分が今ごろどこで何をしているか、全く想像がつかない。28歳になってもこんな風なのおもしろい、そしてちょっとしんどい。

2022年と27歳の自分、ありがとうね。
2023年と28歳も思いっきり生きようね。
だいすき。

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