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シチリア料理はそのままこの島の歴史を語る・ギリシャ植民地時代に花開いた食文化

シチリア島の州都、パレルモからの発信。 ボンジョルノ。

シチリアの食の歴史、第二弾はギリシャです。 紀元前8世紀〜紀元前2世紀頃の話。 昔から地中海民族の代表とされるギリシャ、当時はいくつもの小都市国家で形成されていました。 アテネ、スパルタなどよく知られているものから、イオニア、コリントなどあまり馴染みのないものまで様々ですが、ここでは簡単に全てを「ギリシャ人」としましょう。

紀元前735年に島の東部タオルミーナ付近の沿岸、ジャルディーノ・ナクソスと言う街にギリシャ人が植民地を作りました。 前回のフェニキア人と同様で、地中海貿易の為です。 そして翌年シラクーサにも植民地を作りました。 既にオリーブやブドウは存在していましたが、ギリシャ人は優れた技術で栽培の発展と拡張を行い、現在のイタリア料理に欠かせないワインとオリーブを当時からたしなんでいました。ギリシャ神話にはちゃんとお酒の神様もいますから、生活に欠かせない物だったのでしょう。

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画像はカターニアの市場のオリーブ売り場です。 シチリア産に加え、ギリシャ産も売られています。 塩味も色々、味見をさせてもらってから購入するのがおすすめです。

ワインに関しては、当時は水で薄めて飲んでいたそうですよ。 彼らは島の南、北にも植民地を作りましたが、パレルモのある西側だけは天敵カルタゴ(今のチュニジア)の勢力圏であったため、足を踏み入れる事ができませんでした。 

それでもシチリア島の沿岸を回った彼らは島が逆三角形をしていると言うことは理解していて、この島に「トリナクリア」という名前を付けました。 3つの岬という意味です。 2500年前に付けられたこの名前、そして当時のギリシャ人が生み出したシチリアのシンボルマーク、今でもほぼそのまま使われているというのが感動的ではありませんか?

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下の段、左から2つ目が当時のデザイン、シラクーサの考古学博物館で見付けました。 紀元前4世紀のコインです。 自分でもよく見付けたなぁと言う感じでしたよ。

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そして現在のデザイン。 小物からかなり大きな物にまでこのデザインが使われています。

この時代にひよこ豆やレンズ豆を使ったスープ、蜂蜜や様々なチーズが生まれました。 肉、魚、卵もふんだんに食べられるようになり、ドルチェと山盛りのフルーツが食後に出されていたという話ですから、後の食べることをこよなく愛するイタリア人の「食のスタイル」の基本が出来たと言うことですね。 

様々な種類のチーズは現在のホームパーティにも欠かす事ができません。 

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塊のままドーンと出して、それぞれナイフで切り分けるスタイル、最初はびっくりしました。 豪快でしょう? 今ではすっかりと慣れてしまいましたが。 日本でこれをやろうと思ったら、一体幾らかかるのでしょうね?

リコッタも食べられていました。 リコッタはチーズを作った後のホエーに凝固剤を加えて再加熱して作ります。 日本ではリコッタチーズと呼ばれますが、イタリアでは「リコッタはチーズではない」と言う認識です。 

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紀元前3世紀にはシラクーサでギリシャ人によって書かれた料理本が出版され、ほぼ同時期にやはりシラクーサで料理学校が設立されています。 これらの事実から「単に空腹を満たす為の食事」から「食を楽しむ文化」に発展した事がわかり、それが最も驚く事だと私は思っています。

そして現代ではごく当たり前となった「持ち寄りパーティ」も行われていたそうです。 何を持ち寄ったか具体的な記録は見付けられませんでしたが、凄い事ですよね?

ギリシャの植民地の中でもシラクーサはとても重要です。 アルキメデスが生まれたのもここですし、太宰治の「走れメロス」の舞台になったのもシラクーサです。

シチリアで(他の都市でもそうですが)オリーブをつまみながらワインを飲む時、ギリシャ人に感謝ですね。

1回目のフェニキア人と塩田の話が「歴史系noteまとめマガジン」に追加され、24時間でPVが5000人を超えました。 びっくりです。 読んで下さった方々、有り難うございます。 次回は古代ローマ人が登場します。

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