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シチリア料理はそのままこの島の歴史を語る・古代ローマ人と小麦畑

シチリア島の州都、パレルモからの発信。 ボンジョルノ。
前回から2週間ほど間が空いてしまいましたが、シチリア島の歴史と料理の第3弾です。 ギリシャで食文化が花開いた後、どうなったのでしょうか?
紀元前232年〜紀元後4世紀にかけての話です。 シチリア島に古代ローマ人が入り込みます。 彼らはそれまでに沿岸に植民地を作ったギリシャ人、フェニキア人、そしてフェニキアの植民地であったカルタゴ人とは異なり、地中海貿易の発展の為に上陸したのではありません。 食料の小麦粉を確保する為にこの地を欲したのです。 第一次ポエニ戦争でカルタゴに勝利したローマ人(紀元前242年)は、島上陸後小麦栽培の為内陸へ、内陸へと侵入を続け、初めてシチリア島が統一されました。

古代ローマ帝国の政治家達はとても賢く、「パンと娯楽を与え得ることが、国家の秩序維持の為に必要不可欠」と認識していたので、コロッセオなどで行われる娯楽と必要量の小麦の確保をとても重要視していました。 シチリアの小麦は古代ローマ人のお腹を満たし、市民を大人しくさせる役割を担っていたのです。 胃袋が満足すれば気持ちも満足、人間はいつの時代もあまり変わらない感じがしますね。
パスタの国というイメージが強いイタリアですが、実はヨーロッパで最もパンを食べる邦として知られていますし、南イタリアでは今でもパンでお腹を満たしている人がいると聞きます。 イタリア人は無類のパン好きなのです。 中でもシチリアは、パン屋さんが1日に2度以上パンを焼く唯一の週だそうです。

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この他古代ローマ人が持ちこんだ物と言えばレンガ、セメント、アーチ。 それらを使ってピッツァ用の窯度を作りました。 勿論パンを焼く為です。

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更に漁業にも発展が見られます。 内陸部まで入り込んだ彼らは、森で狩猟、川や(もちろん海でも)漁をして食料を得ていました。 驚く事にイカも食べていたそうです。現在でもイカ、タコを食べないヨーロッパ人が多いというのに、古代ローマ人はイカを、それも詰め物をしたイカを食べていたという事実が残っています。詰め物の中身は? なんとパン粉です。 硬くなったパンのリサイクルだと思われまうが、日本のイカ飯と同じですね。 そしてこの詰め物をしたイカ、現在のシチリア料理としてもちゃんと存在しているのですよ。 パン粉、アンチョビ、松の実、レーズン、パセリをオリーブオイルで混ぜた物がが具となります。

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これは以前私が作った物。 ヤリイカに詰め物をして、オーブンで焼きます。 美味しいですよ。

生活に欠かせないパンは、宗教行事にも関わりを持っています。 パレルモの西60Kmくらいの所にあるサレーミという町では、3月19日の聖ジュセッペの日にはパンでデコレーションされた祭壇を作り、お祝いをします。

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小麦は「春の訪れ」、「新しい生命」のシンボルだそうで、このお祭りに使われるようになったそうです。

このデコレーションに使われるパンは非常に硬く、食べる事はできません。

パン作りをする地元のおばちゃん達。

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シチリアは日本にあるような、いわゆるお惣菜パンが充実しています。 フィレンツェで暮らしていた頃、早朝にバールで朝食を・・・と思うと甘い物だけ。 甘いものが苦手な私は食べる物がなくて困った物ですが、ここでは全然大丈夫。 朝からお惣菜パンが並びます。

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ハムとチーズ入り、ミートソース入り、トマトとモッツァレッラ、ベシャメル入りなど、種類も豊富でとっても美味しい。

現在でもシチリアの小麦栽培はイタリアのかなりの部分を占めています。 ただ残念な事に近年はカナダやウクライナなどの輸入の小麦粉を使用する業者が増えてきているのです。 カナダ産は農薬と化学肥料問題、ウクライナ産は輸入過程の品質管理の悪さが問題、船で運ばれて来る間にネズミと共存していたり・・・。 小麦はカビが生えても目に見えません。 危ない・・・・。

それはともかく、古代ローマ人によって島が統一され、生活のなかで一番大切な小麦の栽培が拡張されて今に至ります。シチリアではモニュメントとしてローマ人が残した物はごくわずかなのですが、内陸を走っていると一面中小麦畑! 有り難う、古代ローマ人。

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